2010年08月07日(土) 万所(まんじょ)遺跡現地説明会 (自転車)
8月6日の朝日新聞に次の記事が掲載されていた。
中国製青磁碗 伊勢で初出土
2010年08月06日
伊勢市辻久留3丁目の万所(まんじょ)遺跡の発掘調査で、鎌倉時代の墓跡から中国製の青磁碗(わん)がほぼ完全な形で出土した。県埋蔵文化財センターによると、県内では7例目、伊勢市内で見つかったのは初めてという。7日午後1時半から現地説明会がある。
今回見つかったのは、この地域では最古級(約1万年前)の大鼻式と呼ばれる縄文時代初頭の土器のほか、平安時代中期と鎌倉時代前期の掘っ 立て柱建物跡がそれぞれ1棟、平安時代末期から鎌倉時代前期の墓跡5カ所など。墓跡からは、直径16センチ、高さ6・3センチの青磁碗と、陶器の小皿2 枚、土師器(はじき)の小皿1枚がほぼ完全な形で出土した。
また、出土した土器のうち平安時代中期の土師器の皿は明るいだいだい色をしていて、明和町の斎宮跡から出土するものと同じだった。同センター調査研究2課の田村陽一さんは「斎宮周辺の焼成窯でつくられたものが伊勢神宮にも納入されていたのではないか」と話す。
現地説明会は午後1時半〜3時。雨天中止。問い合わせは同課(0596・52・1732)へ。
この記事には「斎宮」、「伊勢神宮」のキーワードがあり、すぐに反応してしまった。また、完全な形で発掘された青磁の碗にも興味を覚えた。
午前のジョギングを早めに切り上げ、12時過ぎには説明会が開催される現地へと向かった。
バス停の足元に付けられた案内板に従い、車道の反対側にある路地へ入ったところ民家の敷地で、行き止まりだった。
さらに、県道を走ると、右手に幟(のぼり)が見えてきた。案内の方に誘導され、堤防に上り、振り返ってパチリ。木の奥が県道。
堤防から宮川を望むとまさに工事中の様相であった。今日は日曜日なので作業は止まっているが、平日なら堤防の改修完成まで着々と作業が続いているのだろう。今回発見された遺跡も、発見さえる前と同じように埋められて、もしくは壊されて堤防の下で再びの眠りにつくのだろう。
振り返るとその先には、説明会の会場が待っていた。
緑の奥にある、赤いテントで受付を済ませると、開始まで30分ほど時間があった。いただいた資料を見つつ、遺跡の周辺をうろうろしていた。今日も暑かったが、見学者は続々と現れ、百人以上になっていた。
こんな感じで、工事現場と同様に看板が立てられている。
今回の発掘現場の全貌、
こんな感じ。
配布された資料に周辺地図が掲載されており、そこに「高倉山古墳」の位置も明記されていた。その地図からするとこの先に古墳があるのか?
発掘現場には名札が置かれ、発掘対象の位置が一目瞭然であった。
定刻となり説明会が開始された。
堀立柱建物2は調査区画の縁で見つかり、半分弱が発掘されていない状態であった。あと2mくらいなのに掘れないものなのか? まあ、これをやり始めたら切りがなくなるか? もう少しもう少しで発掘区画が2倍にも、3倍にもなるかも? やはり区画を越えられないのは現実解だろう。(でも、すこしさみしい。)
こちらは、掘立柱建物1で掘立柱建物2よりも柱の径が太い。
こちらは墓3で、人が横たわって寝られるスペースがあった。鉄釘が見つかっていないので、釘を使用した木棺で埋葬されたのではなさそうだと。もしかすると、釘を使わない木棺を利用したか、もしくは身展葬(体を伸ばした埋葬法、寝たような格好)だろうとのことだ。
説明者の方が、ここの墓は北枕になっている(?)と、言われたので、とりあえず方位を測ってみた。
確かに、墓3は完璧に北を向いている。
墓4、これが今回注目された青磁碗が発見された場所である。これは本物の発掘品だ。発見した人はどんな感慨を持ったのだろうか? 発掘時は泥まみれだろうから・・・
なお、この墓は円形で人が横たわれるほどの大きさではなかった。
こちらは墓7で、こちらもほぼ北向きであった。
現場での説明が終了すると、テントの下に並べられた出土品についての説明があった。一通りの説明が終わると出土品に自由に触ることができた。
この土師器は斎宮近辺で焼かれたものかも知れないとのこと。またこの皿の縁のへこみには特徴があるそうだ。
この製塩土器は、小さな破片からよくも特定できるのだなと思えるものである。どうも素材感、予測される径、底の薄さからすると製塩土器以外に当てはまらないそうだ。考古学として蓄積された情報の賜物なんだろう。
これは漁労具として使われた、網に付ける重りだそうだ。現在でも見かけるものに近い?
今回のお目当ての青磁碗。テントの屋根が赤かったため、全体が赤く染まってしまった。実際はもっと上品な感じだった。シンプルな文様の上に貫入が走っている。この写真ではよく分からないが、これは碗を真上から撮影したものだ。
斜めから撮影するとこんな感じ。一部に軽いひびや口縁の欠けはあるもののほぼ完全な形である。
また、裏返すと高台もしっかりと作られている。
こちらは、青磁碗と一緒に出土された山皿と土師器である。
我々の先祖の存在と生活を想像しながら、非常に楽しくワクワクした説明会であった。特に、本物に触れて感じることができたのには感動した。資料の保存を重視した博物館ではなかなかできないことだ。寛大な対応に感謝。
これらの遺跡もこの見学会が終了すると、2~3日で元に戻される(埋められる?)とのことだった。次回の発掘場所は今回の発掘区画の北の隅になるとのこと。
感動を貰い、説明会会場を後にした。
堤防まで戻ると工事現場が・・・
万所遺跡もこの堤防の礎になるのだ。
以上で、見学会への参加は終了した。
せっかくここまで来たのだから、川原神社、園相神社へ回ろうかとも思ったが、右足のことを配慮し、取りやめた。ところが帰路に、ロマンの森の看板が目に入ってしまい寄り道してしまい、これが災難の始まりだった。この話は次のブログで。
【参考】
前回の見学会の資料(PDF):