新ブログサイト『神宮巡々3』開設のお知らせ

『神宮巡々』、『神宮巡々2』ブログのデータベースが巨大化してしまったため、別途 『神宮巡々3』を新設しました。
2014年〜2017年の記録は『神宮巡々2』を、最新の記録は『神宮巡々3』をご覧ください。 ( 2017年12月31日 【キタヰ】こと、桝屋善則 )

大淀漁港周辺散策-カケチカラ発祥記念碑ほか

2011年03月26日(土) 大淀漁港周辺散策-カケチカラ発祥記念碑ほか (車、徒歩)

3月20日に予定していた近鉄企画のハイキング、酒蔵みてある記 旭酒造「伊勢旭」が東北地方太平洋沖地震に配慮して中止となった。

【中止】近鉄ハイキング 酒蔵みてある記-旭酒造「伊勢旭」

【中止】近鉄ハイキング 酒蔵みてある記-旭酒造「伊勢旭」

この企画に興味を持ったのは「カケチカラ」の言葉だった。

「カケチカラ」の言葉を初めて見たのは、たしか神嘗祭で奉幣の儀を拝観した際、内玉垣南御門の右側に山のように高く積まれた白い袋、それらに書かれていた黒い文字が「カケチカラ」だった。

今日はカケチカラ発祥記念碑を見学することを目標としつつ大淀漁港の周辺を散策した。

午前中に帰宅できるように9時に自宅を出発し、大淀漁港に車を停めて歩き始めた。

大淀漁港

大淀漁港

 

大淀漁港を出ると左手にこの案内板が立っている。民家の敷地横の細い路地を進むと

斎王尾野湊御禊場跡

斎王尾野湊御禊場跡

夷社跡の案内柱があり、

夷社跡、斎王尾野湊御禊場跡

夷社跡、斎王尾野湊御禊場跡

その横の案内板には

江戸時代この浜辺に回船問屋の倉が建ち夷(エビス)社を祀った。
この社の前に垢離場(みそぎ場)があった。

と書かれている。

 

こちらが斎王尾野湊御禊場跡(さいおうおおのみなとみそぎばあと)で、尾野湊は大淀海岸の古名のようだ。

斎王尾野湊御禊場跡

斎王尾野湊御禊場跡

また、斎王は年に3回(6月、9月、12月:6月と12月は月次祭(つきなみさい)、12月は神嘗祭(かんなめさい))は祭儀のために神宮へ向かわれたが、そのうち9月の神嘗祭のときは8月の終わりに大淀の浜で「みそぎ」されたそうだ。

【参考】 明和町: 斎王ゆかりの地(町内編)

 

周囲は民家なのであまり長居しないように、石碑の裏をパチリ。でこの場所を後にした。

斎王尾野湊御禊場跡

斎王尾野湊御禊場跡

 

漁港の前まで戻ってくると、対岸には鳥居が見える。手持ちの地図には名前が見えないので後で回ってみることにした。

大淀漁港

大淀漁港

堤防の上をしばらく歩くと、この看板があった。ここは「第2種 大淀漁港」。

大淀漁港

大淀漁港

この向かい側には、明和町民バスのバス停「なりひら」があり、

バス停「なりひら」(大淀漁港)

バス停「なりひら」(大淀漁港)

その奥には「業平松(なりひらのまつ)」がある。

業平松

業平松

「天然記念物 大淀の松」と刻された石柱の左側には、この案内板がある。

業平松

業平松

案内板には、

業平松の由来

業平松は古くから有名で、「神都名勝詩」によると、大淀八景と呼ぶ大淀の名勝地の一つとして、「業平松の夜の雨」として上げられている。又大淀の松を詠んだ歌は数多くあるが最も古く詠まれたと思われるものに次の歌がある。

大淀の松はつらくもあらなくに
うらみてのみもかえる浪かな
伊勢物語新釈本七十一段より

この歌は後の人にいろいろ引き合いに出され多くの歌を派生した
業平松の由来について「大淀名勝誌」には「伊勢物語」に因んで業平松と呼ばれるようになったと書かれている。
「伊勢物語」の六十九段に都から派遣された在原業平と思われる狩りの使いと恬子内親王と思われる斎王とのはかない恋物語が描かれている
在原業平(825-880)は平城天皇の皇子阿保親王の第五皇子で民間に下って在原という姓をもらい在五中将と呼ばれた。「斎王」とは歴代天皇の即位に伴い未婚の内親王(又は女王)を卜定し「斎宮寮」に派遣、伊勢神宮に奉仕する神聖な女性である。
狩りの使いとして斎宮寮に泊まった業平と、その労をねぎらう斎王との間に淡い恋がかわされたが、業平は次の任務先、尾張にいかねばならなかった、業平がいよいよ尾張へ渡るとき、斎王がこの松の下(大淀港)まで見送られ、別れに臨んでつぎの歌を詠みかわし、浅き縁を慰め合った。

かちびとのわたれどぬれぬえにしあれば  斎王
またあふさかの関は越えなむ      業平

この松については、享保十一年今西行と言われた歌法師、以雲が土地の人の伝承を記しているが、それによると、

延宝の初め枝は四方に広がりその枝も陰前およそ百歩もあって、根元は皮ばかりうつぼになって立っていたのが、延宝六年の荒き風に千数百年もの齢をついに終息した、と記されている。
その後、徳川四代将軍家綱の頃、代官古郡文右衛門重年という人が名木の倒れたことを惜しみ形のよいかわりの松を二本植えついだといわれる。その時、古郡文右衛門重年が、

幾世経て朽ちにし松と大淀のうらみてかえる浪にてはばや
君がため継ぎてぞかふる大淀の松の千年を八千年そえとて

と詠んだということが、大淀名勝誌に出ている。二代目の松の一本を「業平松」他の一本を「行平松」と呼ぶようになったのは、おそらく業平の兄で歌人の行平の名をとって、兄弟松という意味で名付けられたのであろう。この行平松は昭和二十八年頃、松喰虫に侵食されたあと台風で倒れた。二代目の「業平松」は昭和十二年十一月五日に、県より天然記念物に指定されたが、昭和四十五年頃から老衰が急速に、すすみ、昭和五十年には完全に枯死した。その後三代目の松は昭和五十三年二月十一日の建国記念日の意義ある日に斎王にまつわる松ということで伊勢神宮から、五年生の黒松二本を寄贈され、「業平松」「行平松」として、地元地区の人々の手で植樹され現在に至っている。

大淀の浦たつ波のかへらずは
かはらぬ松の色を見ましや
徽子女王
斎宮女御集より

(大淀郷土史参考)
昭和五十六年五月吉日   明和町

と書かれている。

敷地の中央奥には、

業平松

業平松

業平松(なりひらまつ)が立ち、

業平松

業平松

その左には、

行平松

行平松

行平松(ゆきひらまつ)が立っている。

行平松

行平松

 

業平松を後にすると漁港をぐるりと回り、対岸に見えた神社(2箇所)へ向かうこととした。

この先に見えるのが先ほど対岸に見えた鳥居がある社叢だ。

大淀漁港

大淀漁港

魚市場のような建物がある場所へ向かうと、これは何だろう?

大淀漁港

大淀漁港

その先には「大淀漁協水産物荷捌所」がある。

大淀漁港

大淀漁港

しばらくすると、多数のかもめが羽ばたいた。

大淀漁港

大淀漁港

さらに先にはこの建物が見えた。丸の中に七が描かれている。網元だろうか?
(※この記号は後からも出てくるので記憶に留めておくとよいだろう。)

大淀漁港

大淀漁港

さらに漁港のまわりを右に巻いて進むと左側に山の下に又が描画された。

大淀漁港

大淀漁港

この辺の建物にはこのような煉瓦作りの煙突が多数見られる。何のために使われているのだろうか? 誰も歩いていないし、どこにも人影が見えないので確認することはできなかった。

大淀漁港

大淀漁港

まず最初に向かう社叢はこの先に見える場所だ。

大淀漁港

大淀漁港

さらに右へ巻いて進むと、目的の社叢が見えてきた。

大淀漁港

大淀漁港

ここだ。

大淀漁港

大淀漁港

社名は掲げられていないので、神社の名前は分からないがまずは参拝した。
鳥居には「遷座祭 平成二十三年一月十日」と書かれているので、今年遷座されたことになる。

大淀漁港

大淀漁港

鳥居を出ると右手にはこの松が。一本だけ幹が地を這うように曲がっていた。

大淀漁港

大淀漁港

続いて、2社目の社叢を眺めると、この先だ。

大淀漁港

大淀漁港

 

近づくと鳥居の前には「竜宮の松」の案内柱があり、

竜宮の松(大淀漁港)

竜宮の松(大淀漁港)

その左の案内板には、

宝永年中この中洲に一本の松があり下に龍宮の社があった 霊場として雨乞いを行うと降雨霊験あり

と書かれていた。

そのとなりには「常夜燈 大淀村漁業」が建っているが、明かりを灯す部分が無い?

龍宮の社(大淀漁港)

龍宮の社(大淀漁港)

常夜燈の裏側はこんな感じ。

龍宮の社(大淀漁港)

龍宮の社(大淀漁港)

龍宮の社のものと思われる鳥居を進むと、

龍宮の社(大淀漁港)

龍宮の社(大淀漁港)

突き当たりにはこの社があり、その上を松の木が。これが竜宮の松だろうか?

龍宮の社(大淀漁港)

龍宮の社(大淀漁港)

松の根元には神棚が建てられている。これが竜宮の松だ。勝手に決め付けてしまった。

龍宮の社(大淀漁港)

龍宮の社(大淀漁港)

参拝してこの常夜灯が建っているが、この記号見たことがある。そうだ先の建物の壁面に描かれていた円に七の記号だ。下には「網」とあるのでやはり網元なのだろうか?

龍宮の社(大淀漁港)

龍宮の社(大淀漁港)

すべての鳥居をくぐるとこの石柱が見えた。鎮座記念? しかも昭和五十六年一月十日。先ほどの神社も合わせて疑問が残る。なお、一月十日といえば、先の神社の遷座祭も一月十日だった。これらも今後の調査項目だ。

龍宮の社(大淀漁港)

龍宮の社(大淀漁港)

鳥居から離れるとその先の海には

龍宮の社(大淀漁港)

龍宮の社(大淀漁港)

この竿が立っている。

龍宮の社の前(大淀漁港)

龍宮の社の前(大淀漁港)

その先には笹が縛り付けられているようだ。これは人為的なものだろう。

龍宮の社の前(大淀漁港)

龍宮の社の前(大淀漁港)

もしかすると大淀祇園祭に関連するものかもしれない。

【参考】

 

さらに海岸に向かって進むと右手にはコンクリート壁で囲われた砂に海水(水?)がまかれていた。その先の建物の壁には「三重県漁連 大淀貝類流通センター」の文字が。これは何をしているのだろう? 今日は疑問だらけだ・・・

 

三重県漁連 大淀貝類流通センター

三重県漁連 大淀貝類流通センター

 

さらに進むと海が見えてきた。向こうは伊勢市だ。

大淀海岸

大淀海岸

さらに左へ歩くとその先には

大淀海岸

大淀海岸

灯台が見えた。

大淀海岸

大淀海岸

近づくとかなり海は荒れていた。今日は風が強いのでその影響もあるのだろう。

大淀海岸

大淀海岸

浜辺を歩いていたが、階段を見つけたので堤防へ上がった。

大淀海岸

大淀海岸

 

堤防の向こう側には休止中のキャンプ場がある。バンガローも多数あり。オートキャンプもできるようだ。

大淀海岸キャンプ場

大淀海岸キャンプ場

ここは大淀海岸キャンプ場だった。

大淀海岸キャンプ場

大淀海岸キャンプ場

さらに堤防を進むと、左手にはこの様な建物が建ち並んでいる。どの建物にも煙突が見える。

大淀漁港周辺

大淀漁港周辺

さらに堤防を歩いていると、雲の影がこちらに迫ってきた。この現象が何度も繰り返された。空の雲の流れはかなり速い。

大淀海岸

大淀海岸

さらに進むと左手にはこの風景だ。何かを干すための棚がかなりの広さに広がっている。何を干すのか?海苔だろうか?

大淀漁港周辺

大淀漁港周辺

 

海側に目を向けると、この辺にはかもめが集まっていた。

大淀海岸

大淀海岸

 

堤防から左へ下るとこの看板が見えた。

伊勢シーサイドモビレージ

伊勢シーサイドモビレージ

この看板を左に見ながら直進すると今日も目標であるカケチカラ発祥記念碑に辿り着くはずだ。しばらくは前を見て歩けばよさそうだが、

大淀海岸からカケチカラ発祥記念碑へ

大淀海岸からカケチカラ発祥記念碑へ

寄り道が好きな私は右に首を振り、パチリ。

大淀海岸からカケチカラ発祥記念碑へ

大淀海岸からカケチカラ発祥記念碑へ

左を見ると、県道777号線の標識が。ラッキーセブン。フィーバーだ。思わず近づいてパチリ。

県道777号線

県道777号線

その後もうろうろしながら、笹笛橋東交差点に到着した。

笹笛橋東 交差点

笹笛橋東 交差点

この交差点の先には橋が見える。

笹笛橋東 交差点からカケチカラ発祥記念碑へ

笹笛橋東 交差点からカケチカラ発祥記念碑へ

笹笛橋まで来ると、

笹笛橋

笹笛橋

左前方には木々が生い茂る一角が見える。

カケチカラ発祥記念碑

カケチカラ発祥記念碑

近づくと

カケチカラ発祥記念碑

カケチカラ発祥記念碑

「神宮カケチカラ発祥地」の石柱が建っていた。ここだ。今日の目的地。

神宮カケチカラ発祥地

神宮カケチカラ発祥地

記念碑の前に鳥居が。

カケチカラ発祥記念碑

カケチカラ発祥記念碑

中央には「カケチカラ発祥記念之碑」が建ち、

カケチカラ発祥記念碑

カケチカラ発祥記念碑

その左手前にはこの碑があった。

カケチカラ発祥記念碑

カケチカラ発祥記念碑

ここには、

埀仁天皇の御代倭姫命 皇大神を奉戴し御鎭座地をもとめられ この地の東 佐々牟江にましたとき 眞名鶴が葦原の中に 一株に八百穂をみのらせた稲をささげたので この稲を 半は抜穂にし 半は大税にして大御前にかけそなえられた故事をしのび 伊勢神宮カケチカラ会役員相はかり 地元根倉をはじめ関係各方面の御理解を得て碑を建てこれを表わ寸
昭和五十年八月吉日
神宮少宮司 慶光院 俊 撰并書

と書かれている。

【参考】

 

真名鶴を仰ぎ見ようと空を見る。

カケチカラ発祥記念碑

カケチカラ発祥記念碑

 

記念碑を離れ、笹笛橋を渡り返し右手に見える農道まで歩いて、カケチカラ発祥記念碑を振り返ってパチリ。

笹笛橋付近

笹笛橋付近

さらに、田圃の方向へ目を向けるとその中央には特別な石碑の区画が・・・。しめ縄が張られているようようだ。

「竹佐々夫江田跡 山大淀」石碑

「竹佐々夫江田跡 山大淀」石碑

回り込むとこんな感じだ。
カケチカラ発祥記念碑(左)、笹笛橋(中央)、石碑(右)

「竹佐々夫江田跡 山大淀」石碑

「竹佐々夫江田跡 山大淀」石碑

さらに近づくと、

「竹佐々夫江田跡 山大淀」石碑

「竹佐々夫江田跡 山大淀」石碑

石碑には「竹佐々夫江田跡 山大淀」と刻されている。
この辺は倭姫命が櫛田川から海に出て大淀に御船を停泊させてしばらく滞在されたという伝説の地のようだ。

「竹佐々夫江田跡 山大淀」石碑

「竹佐々夫江田跡 山大淀」石碑

 

竹佐々夫江田跡から竹佐々夫江神社へ向かっている途中、右側がこの風景だ。田園風景と言っても稲はないが・・

大淀の田園風景(3月)

大淀の田園風景(3月)

さらに進むと、旭酒造が左手にあり、「大吟醸あいす」の幟がはためいていた。予約していないと見学できないようなので今日は通り過ごした。

旭酒造

旭酒造

しばらく歩くと左手に社叢らしき風景とその前に公民館のような建物が見えたので、ここを左折した。

山大淀公民館

山大淀公民館

山大淀公民館の前を通り社叢を右に巻き込むと、観福寺がありその奥には竹左々夫江神社がある。予想どおりだった。

観福寺

観福寺

観福寺前の地蔵堂

観福寺前の地蔵堂

地蔵堂の左手にある鳥居をくぐろうとすると、

竹佐々夫江神社

竹佐々夫江神社

違和感を感じた。なぜか鳥居の上に3本の棒が? ここでも疑問だ?

竹佐々夫江神社

竹佐々夫江神社

この疑問も解決されないまま参道を進むと、手水舎に。

竹佐々夫江神社

竹佐々夫江神社

この手水石は新しそうだが、側面を見ると天明二年(1782)となっていた。200年以上も前のものだ。

竹佐々夫江神社

竹佐々夫江神社

拝殿に向かい、参拝。

竹佐々夫江神社

竹佐々夫江神社

左手には、山神さまの一角があり、左から

竹佐々夫江神社

竹佐々夫江神社

整列している。

竹佐々夫江神社

竹佐々夫江神社

また隣にある山大淀公民館の裏には、幟のための棒が保管されている。

竹佐々夫江神社から山大淀公民館の裏

竹佐々夫江神社から山大淀公民館の裏

 

竹佐々夫江神社から県道60号線に戻り、さらに進むと大淀東交差点に出る。

大淀東 交差点

大淀東 交差点

 

ここを左折すると右手に郵便局があり、

大淀郵便局

大淀郵便局

さらに直進して、石垣、白壁の横を歩くと

竹大與杼神社の石垣、白塀

竹大與杼神社の石垣、白塀

この場所に出る。実は白壁の奥は竹大與杼神社だ。

竹大與杼神社付近

竹大與杼神社付近

この道標の右の道を進むと、

道標(竹大與杼神社の近く)

道標(竹大與杼神社の近く)

竹大與杼神社の正面に出る。

竹大與杼神社

竹大與杼神社

式内社で、

竹大與杼神社

竹大與杼神社

社標の裏には由緒が書かれている。

竹大與杼神社

竹大與杼神社

鳥居をくぐり右手には手水舎がある。ここにも龍がいた。

竹大與杼神社

竹大與杼神社

境内を奥へ進むと遥拝所が多数設置されている。
皇大神宮遥拝所。

竹大與杼神社

竹大與杼神社

皇居遥拝所。

竹大與杼神社

竹大與杼神社

橿原神宮遥拝所。

竹大與杼神社

竹大與杼神社

その左隣には、多数の山神さまが。

竹大與杼神社

竹大與杼神社

さらにその隣には、豊歳稲荷神社だ。

豊歳稲荷神社(竹大與杼神社)

豊歳稲荷神社(竹大與杼神社)

最後に竹大與杼神社の拝殿へ向かうと

竹大與杼神社

竹大與杼神社

竹大與杼神社

竹大與杼神社

本殿の扉まで見えていた。恭しく参拝した。

竹大與杼神社

竹大與杼神社

参拝後、参道の奥へ向かうと別の入口(裏か?)があり

竹大與杼神社

竹大與杼神社

その両脇にはこの常夜灯が建っていた。

竹大與杼神社

竹大與杼神社

境内を戻り元の鳥居から境内を出ると右手に次の案内柱が見えた。

ここには「大淀城跡」と書かれている。

大淀城跡

大淀城跡

左の路地を入り、すぐを右折するとこの路地を歩くことになる。数十m先左、この石柱の間を中へ入ると、

大淀城跡

大淀城跡

広場の右奥にこの碑「大淀城趾」がある。城の名残りは皆無だったので、どんな城があったのか想像もできなかった。

大淀城跡

大淀城跡

城趾を後にして先の道標まで戻るとここを右折した。あとは港までまっすぐ歩くだけだ。

道標(竹大與杼神社の近く)

道標(竹大與杼神社の近く)

港にたどり着くとおもしろい標識が目に入った。明和町と伊勢市の境界だ。

明和町と伊勢市の境界(大淀漁港)

明和町と伊勢市の境界(大淀漁港)

今日は疑問が多い日だった。午前中の帰宅は難しそうだが、以上

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

*