松阪神社、本居宣長ノ宮

2011年08月12日(金) 松阪神社、本居宣長ノ宮 (車、徒歩)

御城番屋敷(重要文化財旧松坂御城番長屋) の見学を終え、御城番屋敷の通りを突き当たりまで進むと、右方向がここだ。松阪神社の参道。鳥居をくぐり参道を歩くとその先には、

松阪神社

松阪神社

松阪神社への鳥居が建っている。鳥居の左右に常夜灯があり、これらは文政七年の建立だ。右手には本殿遥拝所もある。本殿までかなり距離があるのだろうか? 本殿遥拝所を見るのは初めて?

松阪神社

松阪神社

 

鳥居をくぐるとこの光景だ。それほど多くはないが石段が続く。

松阪神社

松阪神社

石段を上りきると、左手に手水舎、

手水舎(松阪神社)

手水舎(松阪神社)

手水社の裏手には、皇居遥拝所(左)、神宮遥拝所(右)がある。

遥拝所(松阪神社)

遥拝所(松阪神社)

 

そして、手水舎の右手には御神木である長寿樟が立っている。

御神木 長寿樟(松阪神社)

御神木 長寿樟(松阪神社)

御神木 長寿樟の案内板(松阪神社)

御神木 長寿樟の案内板(松阪神社)

御神木 長寿樟[くす]
由緒
私(樟の精)は今から九百年前(1092年)の平安時代(後期)にこの森(意非の森[おいのもり])で誕生いたしました。
その頃この地の豪族飯高氏がこの森に鎮座されている意非神社[おいじんじゃ]を氏神様として深く崇敬されていました。その後、天正十六年(1588年)四百年前蒲生氏郷公が松阪城を築城し城主となり当神社を城の守護神として崇敬されこの森を四五百[よいほ]の森と名付けられました。この長い間私はすくすくと育ち大木となり今もなお健在です。これからも皆様と共に神様のご加護を受け幾く年までも健在長寿でありたいと願っております。

御神木 長寿樟(松阪神社)

御神木 長寿樟(松阪神社)

 

さらに進み右後方を振り返ると、社務所。

社務所(松阪神社)

社務所(松阪神社)

視線を左へ戻すと、古神札、古御守返納所。何か舞台のようだ?

古神札、古御守返納所(松阪神社)

古神札、古御守返納所(松阪神社)

さらに、視線を戻すと少名彦那尊神社。

少名彦那尊神社(松阪神社)

少名彦那尊神社(松阪神社)

 

そして、直進方向へ戻るとその先には松阪神社の拝殿が見える。

松阪神社

松阪神社

拝殿へ近づくと、とても精悍な狛犬が・・・

狛犬(松阪神社)

狛犬(松阪神社)

 

まずは拝殿で参拝を終えて、

松阪神社

松阪神社

社名額を見上げると、これだ。

松阪神社

松阪神社

さらに、御祭神を確認すると、合祀祭神が何と豪華だ。

松阪神社

松阪神社

 

左手から回り込むと本殿が見えた。

松阪神社

松阪神社

拝殿の前には常夜灯があり、常夜灯の後ろには石階が設けられていた。

常夜灯(松阪神社の拝殿前)

常夜灯(松阪神社の拝殿前)

 

松阪神社での参拝を終えたので、次は本居宣長ノ宮だと考えていたら、拝殿の右手奥に通路が見えた。これだ。

本居神社への参道(松阪神社拝殿横)

本居神社への参道(松阪神社拝殿横)

さらに進むと、「本居神社参道」の石標が見えた。

本居神社への参道(松阪神社)

本居神社への参道(松阪神社)

先へ進み、振り返ると「松阪神社参道」の石標が。両社はこの参道でつながっている。

松阪神社への参道(本居宣長ノ宮)

松阪神社への参道(本居宣長ノ宮)

 

参道を抜けると本居宣長ノ宮の社域となる。右手には末廣稲荷大神がある。

末廣稲荷大神(本居宣長ノ宮)

末廣稲荷大神(本居宣長ノ宮)

末廣稲荷大神(本居宣長ノ宮)

末廣稲荷大神(本居宣長ノ宮)

 

末廣稲荷大神で参拝を終え、本居宣長ノ宮へ向かうと大きな鈴があったので、末廣稲荷大神を振り返った。

本居宣長ノ宮

本居宣長ノ宮

 

こちらが、本居宣長ノ宮。

本居宣長ノ宮

本居宣長ノ宮

本居宣長ノ宮

本居宣長ノ宮

この社殿の中には拝殿、その奥に本殿があるようだ。

本居宣長ノ宮

本居宣長ノ宮

参拝を終えて、この掲示が気になった。

本居宣長ノ宮

本居宣長ノ宮

 

参道を下り、振り返ってパチリ。

本居宣長ノ宮

本居宣長ノ宮

さらに鳥居をくぐり、社標を確認してから、パチリ。

本居宣長ノ宮

本居宣長ノ宮

 

今まで松坂城跡へは何度も来たことはあったが、これらの神社を参拝する機会はなかった。寺社仏閣などに興味を覚えるようになったのは – お伊勢さん125社まいり – を始めたおかげだろう。

【 20110812 の記録(松阪) 】

 

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