2010年05月09日(日) 滝原めぐり (車、徒歩、車)
写真撮影一巡目の最終めぐりであるが、自宅からここまでは往復約100kmあるので自転車を断念し、車で来た。ただし、今回は滝原宮前にある道の駅に車を駐め、滝原宮および多岐原神社を徒歩で回った。多岐原神社への行きは三瀬坂峠を越え、帰りはR42号線を戻ってきた。
道の駅 木つつ木館を出発し、鳥居を抜けて滝原宮方面突き当たりのT字路を左折した。
道路の左右は太い木々が多く森が深い。特に右側は社域なので柵がある。石垣は苔むしている。
見上げると、木々の背は高い。
この木の反対側には、足神と書かれた木札が立っている。その前には凹みがある石が御座す。この凹みは足跡なの?
熊野古道だけあり、道標が整備されている。
R42号線へ向けて歩いた。
里の交差点、これでR42号線だ。ここを右折した。
暫くすると三瀬坂峠の案内板がある。
登り口には祠がある。また、登山者のために木や竹の杖が準備されていた。地元の方の心遣いなのだろう。
ここからは先ほどの国道とは一気に雰囲気が変わる。いかにも山のなかに入る。
池に垂れる藤が綺麗だった。ここは正に湖面である。
この石垣は誰かが積んでくれたのだ。感謝。
登山道はこのように苔むしている場所もある。
倒木も多く山は荒れているようだ。但し、登山道に邪魔なものはなかった。
この紫の花は何だろう。藤なのだろうか? 周りを見渡したがそれらしき木は見あたらなかった。
着いた、三瀬坂峠だ。
後は下りだ。一気に駆け下りた。
ここまで来れば、下界はすぐそこだ。
民家が見え始めた。さあ、目指すは多岐原神社だ。
ここが三瀬川の登口、つまり下山口である。
左手に進むと、この案内板が右手に見える。この下に多岐原神社があるのだ。
坂を下るとさらに案内板にである。砂利道を下ってゆく。
石垣沿いに左へ回り込むとそこに多岐原神社(摂社)がある。
前回参拝した時も清掃している方がいたが、今回も同じ方がいたので挨拶してから、話を伺った。毎週清掃されているとのこと。しかも親子三代でだ。ご苦労様です。
社殿はほぼ南面している。
さらに川へと道が続いているので、川辺まで歩いて行った。
川が見えた。深い緑色をしている。
川辺まで出て、右手を見ると小さな滝が見えた。
また、正面には「三瀬の渡し場跡」の看板がある。
船頭さんはいないが、渡し舟はあるようだ。
さあ、これから戻るぞ。また、三瀬坂峠を越えることもできるが、同じ道を通るのは趣味じゃないので、遠回りすることに。R42号線に出て、R42号をひら歩くことにした。
自動車道の高架下を通過。
船木大橋が見えてきた。R42号線だ。
これは昔メインストリートであったと思われる船木橋。
R42号線 船木大橋南交差点を左折し、ひたすら歩いた。
再び、自動車道の下を通過した。
もう少しで、里の登口だ。
木つつ木館まであと1km。
この分岐は左へ行くと滝原宮だが、車で通った時目に入った鳥居が気になっているので直進した。
これこれ、この鳥居、道路を渡り、社域へと入って行った。
岩瀧神社である。
お賽銭箱が御垣の内側になり、手が入る大きさの穴が空けられていた。
R42号線に戻り、先を急いだ。
これこそまさに紅一点。
さあ、戻ってきた。ここからは滝原宮だ。
再度、鳥居をくぐった。
突き当たりのT字路には、大樹がある。カーブミラーが小さく見える。
これより南宮域といことは、北もあるのだろう。何処に?
「御由緒」が書かれている125社は他には無いのでは?
スポットライトのように太陽光が射している。
宿衛屋の手前を右に下りると御手洗場がある。
下流方面をパチリ。
上流方面をパチリ。
後で、宿衛屋で伺ったところ、この石は、昔地元の方が社域の7ヶ所に祀っていた石を1ヶ所にまとめたものであり、石神さまでは無いとのことであった。
ここに、参拝の順番が示されている。社殿の前に立ってから順番を悩んでいる方が数名いたので、この立札のことを伝えた。一般の参拝者はこのような立札には興味が無いのだろうか?
わたしもこの順番で参拝した。
まずは、瀧原宮(別宮)。
次に、滝原竝宮(別宮)。
次に、若宮神社(瀧原宮 所管社)。
最後に、長由介神社(瀧原宮 所管社)、川島神社(瀧原宮 所管社)を同座。
参道をまっすぐに戻った。
今日は以上で終了。車で帰宅。