2011年05月07日(土) 神田御田植初(神宮神田、大土御祖神社) (徒歩)
今日は神宮神田およびその近くの大土御祖神社にて神田御田植初が斎行された。神宮の祭儀は休日に拝観できる機会が少ないため、今日は貴重な日だ。
今年は「近鉄 お伊勢さん125社めぐり」の満願を目指す私は、125社めぐりへの参加を優先したが、本日のコースは五十鈴川めぐりであり、神宮神田および大土御祖神社もコースに含まれていた。
五十鈴川と近鉄の鉄橋が交差する辺りで10時前、 近鉄 お伊勢さん125社めぐり(第5回 五十鈴川15社) に参加していた私は神宮神田へ急いだ。神田御田植初は9時から開始されているからそろそろ神宮神田での祭儀が終了する頃だと思いとにかく走った。
神宮神田へ到着すると、通常は閉ざされている中央の黒木鳥居への入口が開放されていた。
【参考】 通常の神宮神田、
初めてこの鳥居をくぐった。
儀式は既に終了し、しかも田植えが終了する直前だった。
右手方向を見渡し、パチリ。
御田植初専用の御田には手前から奥へと苗が植えられたそうで、
このようにほぼ終了していた。
最後は後ろ向きとなり、田植えが終了した。
田植えが終了すると、早乙女たちが脚の土を落としている?
どうもあの辺には水路が走っているようだ。
全員が整列すると大きな団扇を先頭とした二つの集団が神田の両側へ進んだ。
右側へは
大黒が描かれた大団扇が。
しばらくすると、両側から団扇が神田の中央へと集まった。
左側からの大団扇には恵比寿が描かれていた。
両者は交わることなく左回りに数度回転した。
くるーり、
くるーり、
くるーり、
(何度繰り返したかは数えていなかった。)
最後に大団扇を合わせ、左右に倒した。
その間、神田の両側では、次のような舞が見られた。これは猿田彦神社の御田植祭で見たものに似ていた。
大団扇の舞が終了すると
全員が御田の左側へ集合したので、
大土御祖神社へ向かうと判断し、
私は先行して大土御祖神社へと向かった。
神宮神田から五十鈴川に架かる五十鈴橋へ向かうとその手前右側に社叢がある。ここには手前から大土御祖神社(宇治乃奴鬼神社を同座)、その奥に国津御祖神社(葦立弖神社を同座)が御座す。
まずは、参拝を済ませた。
しばらくすると、神職等、祭員の参進する姿が見えた。
大土御祖神社の前に祭員が集まってくると
衛士が「神事ですので一般の方は外へ出てください。」と丁重にしかし強い口調で言い渡した。今回は近鉄125社めぐり(私も含めて)の参加者が多く、混乱を避けるためだろうと思い、素直に外へ出た。
社叢の外はこんな感じで、後からどんどん人が集まってきた。
垣根越しに何となく雰囲気を感じていたところ、
「中へ入れる」情報が入ってきたので私も社域へと足を踏み入れた。さすがに出遅れたため目の前には人、人、人だった。僅かにでも拝観できることを感謝し、じっくり見入っていた。
「ハエヤー ハエ、ハエヤー ハエ・・・」と稲作の所作をまねた田舞が舞われた。
ここでは鼓が俵の代わりに利用されていたようだが私には見えなかった。
田舞が終了すると
大団扇が
鳥居をくぐり、神職に手を加えられると
拝観者の方へとやって来た。
これは、団扇の一部を頂くとご利益があるというものだ。
目の前に大団扇が近づいてきた。すると私自身の手も反射的に伸びて行った。
しばらくすると大団扇は骨組みだけの状態になってしまった。そして、すべてが終わった。ただ、以前に猿田彦神社での鬼気迫るような争奪戦を目の当たりにしていた私は、物足りないほど穏やかに事が運ばれたのに驚いた。
結果的にはかなり大きな部分が手の中に掴まれていたため、数分割して周囲の方にもらって頂いた。そして、残ったものがこれだ。今年も一年よい年でありますように・・・
そして、神職等、祭員が退下すると神田御田植初は終了した。
神職の後に続くと、一行は神宮新田へと戻られ
神田の建物の前へ進むと
神田に向かい、一拝された。
この後、私は「近鉄 お伊勢さん125社めぐり」を続けたので、この後の神宮神田の様子は分からなかった。
大土御祖神社に再び立ち寄り、
先ほどの余韻を楽しんでから朝熊神社を目指した。
【近鉄 お伊勢さん125社めぐり(第5回 五十鈴川15社) 20110507の記録】
- 近鉄 お伊勢さん125社めぐり(第5回 五十鈴川15社)
- → 神田御田植初(神宮神田、大土御祖神社)
- → 岩の川床(五十鈴川)
- → 五十鈴川内の積み石(堀割橋付近)
- → 式年遷宮記念 神宮美術館