2011年06月05日(日) 第29回 斎王まつり、斎王群行 (車、徒歩)
初めて斎王まつりを見学することになった。
今日は斎王群行が実施されたが、予定は次の通りだった。
- 13:00~13:30 出発式(禊の儀) 上園芝生広場
- 13:30~14:30 斎王群行 旧伊勢街道を経由
- 14:30~15:00 社頭の儀 斎宮歴史博物館会場
いつきのみや歴史体験館の北側に広がる
上園芝生広場へ向かうと、斎王が京の都から斎宮までやってくるときに乗った御輿である葱華輦(そうかれん)が準備され、その両側には女官と童女が乗る御輿も準備されていた。
お越しの向こう側が出発式の正面だったので、グルッと回って行くと多くの人が開始を待っていた。斎王群行の参加者は準備が遅れていて予定時刻を過ぎても出発式は始まらなかった。
歴代の斎王を務めた方々が「小町」として斎王まつりの企画、運営、司会進行に携わっているそうで、開始が遅れている中継ぎとして登場し、自己紹介が始まった。
13時15分頃になり、参加者がバスで登場した。マイクロバスに気を取られていると
会場の奥にある白幕の辺り(御輿の右側)には軽のバンが停まり・・・。あれは斎王の登場か?
左手のマイクロバスから続々と参加者が登場した。
参加者が整列した後も準備に時間が掛かり、
結局は、予定時刻よりも30分以上遅れて出発式が開始された。
女官(役職名は?、紹介されていたがメモるのを忘れていたので???)が続々と登場し、
メインの斎王が登場した。
ゆっくり、ゆっくりとセンターへ向かい、
センターから上手へ向かい、
禊の儀となったようだった。
私の前に見学者の視線が右側へ向かっている。
私も視線を右へ振るとこの風景。禊の儀の様子はまったく見えなかったが、頭で想像していた。
禊の儀が終了すると、女官が整列し、童女、女官(女別当:にょべっとう?)が登場し、
最後に斎王がセンターへ。
続いて、発遣(はっけん)の儀にて斎王が文を読み上げた。
以上で出発式は終了し、斎王、童女、女官の3名は御輿へと向かった。
私は斎王群行を撮影するため、事務局テントの後ろを通り、
群行ルートの先へ移動した。明和太鼓が披露される中、斎王群行が準備されたが、ここでもかなり時間がかかっていた。
上園芝生広場からいつきのみや歴史体験館がある道路へ出てパチリ。この辺で待っていると
14時30分頃、斎王群行が開始された。
目の前に群行の先頭がやってきた。
女官の御輿が通り過ぎると
続々と群行が続き、
斎王の御輿である葱華輦(そうかれん)が現れた。取り巻きが多くて近づけなかった。
さらに、群行が続き、
最後に童女の御輿が・・・
旧伊勢街道の雰囲気の中でも斎王群行を見たかったので、先頭のパトカーを追い越して百五銀行の前で待っていた。
パトカーに続き、
群行が現れた。
さらに、先頭を追い越してパトカーの先からパチリ。
斎王群行の先にはこの通行止の標識が置かれていた。
この後は社頭の儀が実施される斎宮歴史博物館へ向かったが、途中の近鉄線の踏切には近鉄職員が待機していた。
斎宮歴史博物館へ到着すると芝生の広場に
社頭の儀の会場が設営されていた。こちらは舞台裏だ。
正面へ向かうと報道用のタワーに子供が・・・、「ボクも登りたい!」
10分ほど待っていると斎王群行が到着した。
斎王群行の一行はステージに勢ぞろいした。
そして群行を向かえたのは、伊勢国司役の三重県知事 鈴木英敬さんと斎宮寮長官役の明和町長 中井幸充さんであった。豪華なキャスティングだ。
中井町長に続き、鈴木知事の挨拶があった。型どおりの台本を読み終えると、「台本はここまでですが、・・」とその後は自分の言葉で斎王まつりを讃え、関係者を労い、そして斎王まつりが今後も継続されることを祈念されていた。
その様子を撮影するプレスにも熱が入っているようだった。
いい笑顔!
続いて、地元の小学生による「いつきの舞」が披露された。
私は所用があったので、舞いの途中で会場を後にすると、この場面に遭遇した。表と裏の世界だ。地味な裏方の皆さんのおかげで華やかな表舞台が成立している。(感謝)
会場はまだ盛り上がっている様子だった。
【 20110605の記録 】
- 民家の屋根のゑびす像
- 斎王まつり 発掘現場公開
- 第29回 斎王まつり、斎王群行