2011年11月03日(木) JR東海さわやかウォーキング 参宮線全通100周年記念 潮風香る離島 答志島 (車、船、徒歩)
最近、鳥羽の離島に興味を持ち、近々行ってみたいと思っていた。坂手田崎砲台跡がある坂手島、三島由紀夫の潮騒の舞台になっただけでなく、名前からして文字通り「神」に関わる神島、さらには九鬼嘉隆が末路を遂げた答志島。
鳥羽の離島への移動手段は船である。船の発着時刻や島内での活動内容や必要な時間の関係でなかなか離島行きを決断できないでいたところ、JR東海さわやかウォーキングが答志島を企画され、帰路の船便にはかなりの臨時便が増発された。
これだけ船便が多いと船の発着時刻を気にする必要がないため、離島への取っ掛かりとして本企画に参加した。
先日JR伊勢市駅でもらっておいたパンフレット(コースマップ)には、8:30受付で、桃取漁港行きの船が鳥羽港(佐田浜)を9:45発となっている。受付開始時刻と船の出発時刻の時間差が大きいので、別の船の時刻を調べていたら、8:05発があった。次のパンフレットはあらかじめJR伊勢市駅でもらっていたので、集合時刻よりもかなり早い時間から船に乗ることにした。
少し早く7:30過ぎに鳥羽駅に到着したところ、さすがにさわやかウォーキングの受付テントは開店前の状態だった。(自分の心の中で受付を済ませて)
鳥羽マリンターミナルへ向かった。(案内標識に従えば問題なし)
8:05出発まで時間に余裕があったので、鳥羽マリンターミナルの周辺を散策して海上保安庁の巡視艇「まきぐも」および「いせゆき」の前を通り
鳥羽マリンターミナルへ向かった。
ウォーキング参加者向けの団体割引切符が販売されるそうだが、指定された船便よりも早い便なので割引切符は買えないと勝手に判断し通常切符を購入した。待合スペースでしばらく待機していたらJRのスタッフジャンパーを着た方が現れ、割引切符が買える場所を教えてくれた。せっかくなので先ほど購入した切符を払い戻して、
購入したのがこれだ。(通常の1割引)
桃取漁港への出発は8:05。しばらく時間があったので再度鳥羽マリンターミナル周辺をぶらぶら。
こんなモニュメントもある。
こちらが桃取行ののりば。定期船が入港してきた。
今回乗船したのは第二十八鳥羽丸だった。
しばらくすると乗船となった。(写真には写っていないが)さすがに釣り客が多い。
隣の桟橋をパチリ。陸地と桟橋を結ぶ太い鎖が印象的だった。
定刻になり出港。ターミナルが小さくなっていった。
まずは定期船の最後尾にてパチリ。
左舷に移動して前進方向をパチリ。
今は潮が引いているのだろうか?
10分程度で桃取漁港へ到着した。桃取は近い。漁港だけあり、多数の漁船が停泊している。
下船すると、答志島でのウォーキングが始まった。
まずは先のコースマップに従って歩き始めた。この角を右折しようとすると
掲示板に次の張り紙があったのでパチリ。七五三祭が11月15日(火)に斎行される。休日ではなく平日だ。島民は一次産業に従事する人が多いから古来の期日を踏襲できるのだろうか?
この掲示板の前を通り過ぎ、民家の間を通り抜けると
左手に社叢が見えた。八幡神社だ。他のウォーカーは見向きもしないで先を急いでいたが、私は神社へ立ち寄るのも目的なので左折した。
広場の右手に階段の参道が続く。
鳥居をくぐり、階段を上るとその途中左手には蔵がある。
さらに上には鳥居、手水舎。
この鳥居の先の石段を上がり振り返るとこの風景だ。桃取の町が見渡せる。
こちらが拝殿。
座って参拝するのだろうか賽銭箱の前には茣蓙が敷かれていた。
視線をあげると社名額。立派だ。
八幡神社での参拝を終えて、階段を下る途中でパチリ。
下り切り、ウォーキングコースへ戻ると次の掲示板を見つけた。『いろは書法勉強会』の案内で、「古事記」を音読すると書かれている。「いろは書法」とは?
掲示板の前を進むと突き当たりはこの場所に。左前方に桃寿橋が見える。
これが桃寿橋。
眼前には桃取漁港が広がる。
この後は答志島の東側にある和具サンシャインビーチまで、答志島スカイライン(県道759号線、答志桃取線)を5kmほど歩いた。
一本道なので道なりにどんどん進んだ。
歩いていると所々に色鮮やかな花が咲いているのでパチリ。
おじいさんとおばあさんが、乳母車に肥料を載せて歩いていました。山の上にある畑まで行くのでしょう。「おはようございます。」と挨拶した。
答志島スカイラインの途中で左手の視界が開けた。この辺がコースマップのビューポイントだろうか?
さらに歩いているとまたまた花々・・、パチリ、パチリ。
しばらくするとゲートがあり、左側へ下る道路が現れた。
その先には砂浜が見えたので下ってみようかと思ったが
その右側には白煙をたなびかせる煙突があったので、砂浜行きは止めておいた。
さらに和具を目指して歩みを速めると
花をパチリの後、
前方に給水塔が見えた。すでに2/3は過ぎただろう。
給水塔は巨大だった。給水塔を過ぎてから振り返ってパチリ。
この後、坂道は下りとなる。両側に小屋がありそれらの壁面や扉には丸の中に八の字が書かれている。コースマップ以外に参考にしたパンフレット「鳥羽ウォークNAVI ぶらっと歩く鳥羽」によると次の通り。
「まるはち」は答志地区では各家の戸板や船に書かれている。これは大漁・家内安全を祈願したもので、八幡祭で使われた炭で描かれている。
ここは答志中学校の手前で、和具地区に近いがこの辺でもその風習があるのだろう?
答志中学校の前を過ぎて
しばらくすると和具サンシャインビーチへとたどり着く。
ここからは、コースマップだけでなく、先ほど紹介したパンフレット「鳥羽ウォークNAVI ぶらっと歩く鳥羽」を参考に独自オプションも追加した。これが答志島(答志・和具エリア)部分。
サンシャインビーチに出ると
砂浜を歩いた。
浜辺にはこの小屋が建っている。ラウンドした屋根、箱型のシンプルな形状、美しいデザインだ。自分の隠れ家に欲しいような小屋だ。漁師小屋だろうか?
サンシャインビーチの片隅には、船底が赤く塗られた小船が置かれている。
近くにこの案内板。そこには「サッパ(船)の由来」とある。
サッパの前を通りすぎると、コース矢印は「左へ」となっていた。和具漁港の定期船のりばを確認しておきたかったのでここは右へ向かった。
前方には蛸壺の山、
その向かいには先ほどと同じ形状の小屋が多数並んでいた。壮観。
ここでビーチ側を見ると、何と、堤防には「サンシャインビーチ」の文字が書かれていた。
和具定期船待合所まで行き、帰りの船で「高速船」の乗れるか?を確認したところチケットを販売している方では分からないとのことだった。
とりあえず、先ほどの矢印まで戻り
先へ進んだ。前方の山の上にはNTTの答志反射板が見えている。ここを右折し、
旅館が立ち並ぶ通りを進むと
右手の倉庫にも「まるはち」の文字が書かれていた。
その先にある三叉路を
左へ向かうと
緩やかな坂道となる。その途中で和具の町を振り返り、パチリ。
坂を上りきる手前にこの案内板があった。『幣振り坂の由来』とある。
さらに坂を進むと道路が右へ曲がる、その突き当たりには美多羅志神社の案内板がある。
美多羅志神社への階段には榊を携えた神職の姿が見えた。今日は神事があるのだろうか?
私も続いて鳥居をくぐったが、神職たちは社務所へ。
後から祭典に参加した方(氏子総代とかだろうか、肩書きは?)に聞いたところ、
この神社では祭日には祭典が実施される。以前は月次祭も行われていた。
八幡神社も同様に祭日には祭典がある。
とのことだった。今日は、文化の日だ。
参道を進むと
右手に手水舎があり、
龍神さんの幟の先には
常夜燈が四基。鬼板部分には異なる文字がある。向かって左から「西」「中」「東」「和」。
突き当たりを右へ曲がると階段の先に拝殿がある。
桃取の八幡神社と同様に、美多羅志神社でも賽銭箱の前には茣蓙が敷かれていた。
本殿に視線を移すと、御扉が開かれていた。
参拝を終えてから、左手にある「参拝のしおり」をいただいた。
本殿の前には案が置かれ、
その上にはこの御箱が置かれていた。
参道を戻ると
先ほどの龍神さんの幟が気になった。
木の幹に小さな張り紙があったが、文字が雨でにじんでいて読めなかった。「龍」、「木」、あっ、そうそう、龍の形をした木だ。何かで読んだことがある。思い出した。
確かに龍に見えてきた。
美多羅志神社の鳥居を出ると隣には椿公園があり、岩屋山古墳と蟹穴古墳の案内板がある。
潮音寺の参道の先にあるようなので、
まずは潮音寺(右側)に寄り、その後で蟹穴古墳、岩屋山古墳(左側)へ向かうことにした。
潮音寺へ向かうと、
山門には
「白華山」の文字がある。
境内へ入ると、右手には聖観音像の説明板がある。どの建物が観音堂かわからなかったので聖観音像の拝見は次回として、本堂へ向かった。
本堂の屋根はかなり反っていて、
その先には、見たことが無い紋があった。
これだ。帰宅後に調べたところ「揚羽蝶」だった。まったく対称性がないデザインで、記号ではなく絵画のようだ。
また、本堂へのガラス引き戸にも同様の紋が透かされていた。
これだ。
本堂の手前に置かれた鬼瓦にも。
丸瓦のすべてにもこの紋があった。
もしかすると先ほどの案内板の近くにあるこの建物が観音堂?
とりあえず、潮音寺の山門をくぐり返すと、前方左側にこの石垣があり、石段がある。思わず、ここを上ると美多羅志神社につながっていた。こんな所に連絡路があったのか!
改めて、美多羅志神社へ立ち寄ると本殿の御扉は閉じられていた。
今度は、先の石段を下り、
蟹穴古墳、岩屋山古墳へ向かった。
案内板に従い、上へ上へ
しばらく上るとこの分岐に出る。左が蟹穴古墳。まずは左へ。
左手に墓地を見下ろしながら進むと
次の分岐で左へ。
細い道の先には蟹穴古墳の看板が見えた。斜面を上ると
その先に
蟹穴古墳がある。これだ。
先ほどの分岐まで戻り、今度は右へ向かい岩屋山古墳を目指した。
歩道は急斜面も多いが、斜面には丸太で階段が作られている。右の斜面に丸太が立て掛けられているこの場所を過ぎて
しばらくすると左側にNTT答志反射板が現れる。
その先には岩屋園地の東屋がある。さらにここからの風景は後のお楽しみ。
まずは岩屋山古墳へ向かうと
案内板が建っている。右へ回り込むと
覆いの下に「立入禁止」の垣があり、その先に穴が開いている。穴の上にはシートが掛けられていて枯葉などが溜まっていた。
穴を覗いたが真っ暗だったので、仕方なくフラッシュを焚いた。パチリ。反対側にも穴が開いていた。
古墳の周囲を右に巻いて反対側へ向かうと、ここからは中へ入っても良いようだった。
この穴に入るためには腹ばいにならないといけない。今は自分一人だ。閉じ込められたら・・・と考えたら、結局この穴には入れなかった。とりあえず、こちら側でもフラッシュを焚いてパチリ。
古墳の中に入らなかった(入れなかった)ことを悔やみながら、岩屋園地へ戻ってきてパチリ。和具漁港が一望できる。
こちらはNTT答志反射板。反射板はどのように利用されるのだろう?
この後は椿公園まで一気に下ればいいのだが、途中で蝶を発見してしまった。帰宅後に調べたところ「アサギマダラ」でこれから暖かい南を目指して移動するそうだ。渡る前に見られたのはラッキーだ。
しばらく「アサギマダラ」に見とれていた。観察を始めると「ハマってしまう」のも分かる気がした。
蟹穴古墳への分岐を越え、椿公園の前を通り答志漁港を目指した。答志保育所の前を右折して左へカーブする坂道を下ると右手に港が広がっている。
この場所から右手を見ると朱色の橋が見える。あれが八幡神社への架け橋だ。
先へ進むとこれが八幡橋。
橋を渡るとその先には鳥居が建っている。八幡神社。「まるはち」の文字を書くための炭をいただく神社だ。
社標の近くの鳥居をくぐると手水舎があり、その先にも
鳥居が続く。
手前の石の鳥居には「八幡宮」と刻されている。
さらに階段を登ると、先ほど美多羅志神社でお話を伺った方とすれ違い、挨拶を交わした。
階段を登りきると拝殿、本殿は見える。また左側には小屋がある。祭典で利用する案等が保管されているのだろう。
ここでも賽銭箱の前には茣蓙が敷かれている。
参拝を終えて最初の鳥居を出ると、鳥居に向かって右側には
柿本人麻呂の歌碑が建っている。
八幡橋を渡り返す前に、漁港の堤防を見学、これだ。
八幡橋を渡り返し、和具漁港へ向かうと右手に「答志漁港修築記念碑」が建ち、
その先には鳥羽市営定期船のりば 答志(漁港)がある。
こののりば付近に見たことがある名前の建物があった。「浜与本店」。たしか外宮前に店を出している。
先ヘ進むと掲示板に次のお知らせが貼られていた。正月準備だ。
おっ、ここにも「まるはち」。ここは答志島の「答志」だ。
コースマップではこの先を左折だったが、この先も見てみたいので直進した。
すると消防団の格納倉庫にも「まるはち」が。
この分岐の左は、岩屋山古墳へ向かう遊歩道に続いている。
私は右方向の「西行法師歌碑」へ向かうとこれだ。
この先には大答志トンネルがあるので、さらに前進した。
トンネルを抜けるとこちらにも漁港が広がっている。
先ほどの正規ルートへ戻って来ると、民家の間を進んだ。
しんじの舞台の前、
鳥羽答志郵便局を越えて
さらに進むと答志保育所の前へ戻ってきた。
美多羅志神社を過ぎると椿公園の前の建物の扉にも「まるはち」が書かれていた。
坂を下ると左手には行きで見た「幣振り坂の由来」説明板がある。
その手前に「へーふり坂峠」と刻された石がある。「幣振り坂」はどこだろう? 確認できず。
往路で上ってきた坂を下り返した。
突き当たりの三叉路を今度は左側へ。
道なりに進むと墓地の先に地蔵群があるが、その手前にある石が何かが? 放置されているのではなく、意図的に配置されているように見えるのは私だけ? ここでも疑問が残った。
この先、さらに進むと
コースは、大き食堂(「き」は「七」×3個)の手前を左へ。
民家の間を過ぎると広い空間が現れた。先に見えるは井戸のようで、
これだ。以前は水を求めて、住民がここに集まっていたのだろうか?
さらに先へ進むと矢印は右。ただし、天王神社の場所を地元の方に尋ねたところ、ここを左だと教えてくれたので、まずは左折した。
左折するとすぐ右手に鳥居が見えた。
こちらが天王神社だ。
社の向かいに階段が続いていたので、さらに登ると
そこには
大日如来尊が二体。男と女の神様で縁結びに効くそうだ。
大日如来尊から天王神社へ下る途中でパチリ。
さらに下ってパチリ。
あつ、あちらにウォーカーを発見。私も先ほどの矢印に場所へ戻って先を急いだ。
洞泉庵址付近へたどり着くと、その向かいには
九鬼嘉隆が洞泉庵で切腹した際に使われて血がついた刀を洗ったのがこの池だそうだ。
しかし、この雰囲気から血の付いた刀は想像できない。
血洗い池を後にして九鬼嘉隆の胴塚へ向かった。
こちらが九鬼嘉隆の胴塚。
胴塚のさらに奥には、九鬼嘉隆の首塚へ通じる階段が続く。コースマップでは胴塚での折り返しとなっていたが、折角なので階段を登った。
途中、左へ向かうと見晴らし台と書かれていたので、少し寄り道の寄り道へ。
見晴らし台からの風景をパノラマにするとこれだ。
この後は黙々と山道を進むと
最後の分岐を過ぎ、
この階段の先に
九鬼嘉隆の首塚がある。
ここで恒例の昼食(おにぎり三個)をとった。近くで蜂がブンブンし始めたので、おにぎりを急いで食べると早々に首塚を後にした。
先ほどの分岐から和具漁港へと下ると
この辺でも「まるはち」を多数目にした。
下りきると右手に築上(つかげ)園地の案内板があった。
別の資料によると和具地区にも八幡神社があるようだ。漁港を離れ、民家の間の細い路地を徘徊していた。
すると漁港とは反対側の浜の近くにこの社を発見した。
社へ近づくとしめ縄が切れたままになっていた。桃符には「蘇民将来子孫家門」と書かれている。
漁港とは反対側の海をフェンス越しにパチリ。
全景はこれだ。
参拝を終えて和具の八幡神社を後にした。帰宅後に美多羅志神社の「参拝のしおり」を読んだら、明治41年に和具の八幡社など19社が美多羅志神社に合祀された。とある。この社はどのような立場なのだろうか?
これで後は鳥羽港(佐田浜)へ向かうだけだ。
漁船を見ながら、和具定期船待合所へ向かうと、
帰りの船は高速船「かがやき」だった。
市場の様子を伺っていたら、乗船が開始されたので急いで桟橋へ。
私も高速船「かがやき」へ乗り込んだ。
答志から来た船だ。
帰りも行きと同様に甲板で撮影していた。
これは何だろう。アンテナのようだが・・・?
しばらくすると漁船が現れた。
前方の魚市場に横付けすると
漁獲が手渡されていた。
定刻となり「かがやき」が出向した。あれに見えるは? 船尾にフェリーと書かれている。確かに青い船にはフォークリフトが積まれていた。
港を出る際、定期船とすれ違った。
「かがやき」はさらに和具漁港を離れた。
十数分で鳥羽港(佐田浜)へ到着した。
下船してから「かがやき」をパチリ。
船底はこの様になっていたのか!
以上で、鳥羽港(佐田浜)を後にしてJR鳥羽駅のゴールへと向かった。
ゴールで写真を撮るのを忘れていたので、スタンプシールと5回分のスタンプで貰った5回ナイス賞の景品であるタオルの写真を掲載。
また、今回は特別に参宮線全通100周年記念バッチと粗品をいただいた。
粗品の箱を開けてみると何とシャープペンシルと4色ボールペンが一体化したペンだった。
【 20111103の記録 】
- JR東海さわやかウォーキング 参宮線全通100周年記念 潮風香る離島 答志島
- 漂泊の詩人 伊良子清白の家
- 鳥羽の日和山散策2
- 賀多神社と組立式能舞台