2011年11月06日(日) 近鉄 お伊勢さん125社めぐり(第11回外城田7社) (車、バス、徒歩)
近鉄のお伊勢さん125社めぐりも残すところあと二回。今回は外城田7社のめぐりである。ただし、「神宮巡々」では坂手国生神社を「田丸めぐり」に分類している。
昨日より雨が降り、今日も天気予報では傘マークが続いていた。今回は宇治山田駅まで【キタヰの妻】に車で送ってもらった。自宅から歩くと30分以上かかるが、車だと5分ほどで到着。
しばらくいつもの場所に列んで待っていたところ、9時10分を過ぎたころに受付が開始された。次のコースマップを受け取り、宇治山田駅前の隅にあるバス乗り場へと向かった。
このチケットを購入し、
バスに乗り込んでパチリ。小雨が降っていた。
ほどなくバスは出発し、20分ほどで田丸城跡に到着した。最後に下車したので、車内の雰囲気をパチリ。
バスを降りてからもパチリ。右側に田丸城の石垣が見える。
田丸神社の方向へ向かい「城山公園 お城広場」の前まで来ると、芝生の広場にしめ縄が張られていた。本日は田丸神社の御本殿遷座奉祝祭が斎行されるので、それに関連するものだろう。
さらに進むと、田丸神社の前には2本の幟が立ち、祭典への参列者と思われる方々が神社へ向かっていた。
参列者全員が参道へ入った後で、我々見学者が誘導された。
参道を進むと
石段の下、右手には御本殿遥拝所が新造されていた。
石段を上ると正面の拝殿では遷座奉祝祭が開始された。
しばらく、遷座奉祝祭を拝観してから
田丸神社を後にした。
【参考】 詳細は、田丸神社御造営 御本殿遷座奉祝祭
田丸神社の正面とは別の石段(拝殿に向かって右側、仮殿の前を通過)へ向かうと、下る手前にこの常夜燈を確認した。(最近、石仏や常夜燈など土木遺産の建立年を確認する癖が付いてしまったため)
こちらは天保の建立だ。
石段を下ると
鳥居はこの状態。
また、鳥居の右手にはこのトラックが駐まっていた。「玉丸城太鼓」と書かれている。奉祝祭での太鼓奉納のためだろう。
石段前へ戻るとここでも背の高い常夜燈をパチリ。こちらも天保の建立だ。
この後はコースマップに従い、最初の目的地である坂手国生神社を目指した。途中、次のポスターを見つけ、本日の御本殿遷座奉祝祭の次第が明らかになった。
お城広場でのしめ縄は川原大祓のためのもので、私が見た時には川原大祓が斎行された後だった。 また、遷座奉祝祭も定刻の10時に始まった。太鼓奉納は10時からだ。・・・
125社めぐりでなければ田丸神社へ戻るところだが、近鉄125社めぐりの踏破は今年の目的の一つなので、坂手国生神社へ向かった。
変電所の前を通り過ぎると
次の交差点にはこの道標が建っている。説明板によると以前この場所にあった道標は盗まれたそうだ。
近くにはこの説明板もある。
この先には玉城町中央公民館があり、トイレを借りた。
玉城町中央公民館を後にして 緩やかな坂道を上り下田辺北交差点を横断すると
この先の
ゴミステーションの隣に地蔵が建っている。
この近くの広場から牛尾崎池が見えた。
しかし、池が見えるのも束の間、しばらくは池から離れた道を進むことになる。
民家の間を進むと
左手に見たことがある風景が見えた。
祠の先にはJRの線路が通り、その先には歴史を感じさせる蔵や建物がある。
祠の正面からパチリ。この道路は以前何度も通ったことがある。
先ほどのめぐりコースへ戻り、坂手国生神社への十字路にたどり着いた。
坂手国生神社の反対方向はこんな感じ。パチリ。
近鉄の赤いコース矢印に従い、坂手国生神社へ向かうと
その途中で右手の竹薮が伐り開かれて池の畔まで道路ができていた。
思わず、坂道を下り池に向かってパチリ。
めぐりコースへ戻ろうと坂道を上るとその先には切り揃えられた木の幹が山積みされていた。やはりこの場所は伐り開かれたのだろう。
めぐりコースへ戻り、竹薮を右に見ながら進むと
道路の左側に坂手国生神社の参道が見える。
この参道は石畳でできていて、雨上がりの濡れた路面はとても滑りやすかった。そのため参拝者は慎重に歩を進めていた。
参拝を終え、
石畳の参道を戻り途中で、手水石をパチリ。
石畳の端部付近には「禁殺生」と刻された社標が建っている。
私のお気に入りの神社である坂手国生神社を後にし、次の目的地である棒原(すぎはら)神社を目指した。
先ほどの十字路へ戻ると右折だ。
伊勢本街道をさらに進むと、
背の高い木が目に入ってくる。
その下には正念僧・人柱供養塚があり、
急な石段を登ると、その上には供養石が祀られている。
この後も伊勢本街道を進むが、所々に山神、山之神が祀られている。ここにも。
さらに、棒原神社の社叢が遠くに見えたその先にも
山之神が祀られている。
「茶屋」を過ぎると
棒原神社の社叢はどんどん大きくなり、街道は蛇行してくる。
ここを左折し社叢を右に巻くように進むと
この場所にたどり着く。棒原神社の階段へ続く路地の入口だ。
棒原神社は小高い丘の上にあるため、石段はかなり急である。ここを登りきると、
さらに、この上にも
階段が続く。
2段階の階段を登り切るとそのさきには社域の空間が広がる。
棒原神社にも参拝し、先ほどの急な階段を駆け下りると次に目指すは蚊野神社だ。
JR参宮線の前川踏切を渡り、目の前に続く直線路をひたすら歩き続けると
この場所にたどり着く。右の奥が蚊野神社の社叢で、
右手には農協城西ライスセンターが見える。蚊野神社に参拝した後はあのライスセンターの前を通るコースだ。(私には未知のルート)
まずは蚊野神社へ向かうため、道なりに直進すると
この途中で、右側
ここにも山神が祀られている。
この道の先を左に巻くとこの場所、実は蚊野神社の社叢だった。この先には
蚊野神社の参道の入口がある。
石段を上がり、参道を進むと
玉垣の前には青々とした苔が生えている。
ここ蚊野神社には蚊野御前神社が同座されているので、2社にお参りした。
かなり傷みがある猿頭門をパチリ。
参道の若葉に元気をもらって
蚊野神社を後にした。
先ほど右手からこちらへやって来たので、今回は左へ向かった。
次の角で前方に柿木を見るとここを右折し、
農協城西ライスセンターの前までたどり着いた。コスモス畑から棒原神社の社叢をパチリ。
御船神社へ続く農協城西ライスセンター前の道はほぼ直進だ。
農協城西ライスセンターを通り過ぎると
左手にはこんな風景が広がる。
今日は遠方に靄がかかっていた。
さらに進むと左手に朽羅神社の社叢が見えてくる。
そして右手前方にはこれから向かう御船神社の社叢が見える。
農道を抜けると御船神社の前に出る。
社標を接写している人がいた。私もこんな感じなのだろう。
石段を上ると
御船神社。ここには牟弥乃神社が同座されている。
参拝を終えてから大樹をパチリ。
残るは今日最後の朽羅神社。
コースマップに従い、
農道へと戻り、
外城田川農業センターと川を挟んだ反対側の農道を
朽羅神社に向かって進んだ。
社叢を左に見ながら通り過ぎて
左折するとこの場所だ。
角が欠けた常夜燈を注視したら、
かたつむりを見つけたのでパチリ。左下が欠けている。
参道を進むと切り倒された大木の切り株が今も残されている。たまたま男性が手を掛けていたのでパチリ。切り株の大きさがよく分かる。
参道を進み、
朽羅神社に参拝。
これで神社(今回のお伊勢さん125社)への参拝は終了し、アスピア玉城を経由して帰りのバス乗車場(幸神社前)へ向かった。
時刻はすでに12時半。落ち着いて昼食をとる場所がなかったので今日は歩きながら食べるトレーニングのため、ザックからいつものおにぎり三個を上着のポケットへ移した。
今までなら「原の交差点」を通過するためにこの場所を左折したが、今日のめぐりコースでは右折だった。
小さな橋を渡り、
コースマップ(9260)地点で車道を渡ると
その先に東外城田郵便局がある。郵便局の右側の路地へ進むと
その先はこれだ。
開放された空間が広がったので、歩きながらも1個、2個、3個とおにぎりを食べ切った。
順調にコースマップ(9830)地点を越え、後はコースマップを参考に、近鉄の赤色矢印に従ってアスピア玉城を目指した。
アスピア玉城に到着し、
即売所であるアグリの店内を一巡してから
玉城弘法温泉があるふれあいの館の前を通り、
幸神社へと向かった。
長い坂道を下り、突き当たりの丁字路を右折すると
右手に池がある。
池の過ぎると
その先左手に幸神社がある。
バスの出発(1時30分)まで時間に余裕があったので、幸神社(さいのかみ)に参拝した。
社務所に掲げられた札には「幸神社」「さいのかみ」と書かれている。
ここでも常夜燈を確認すると
天保の建立だった。
また、石段下の年中行事を確認すると、「十月末 秋祭(神嘗祭)」とある。神嘗祭は宮のみでが斎行されると思っていたが、他の神社でも斎行されるのを確認したには長峯神社に続いてこれで二社目だ。
【参考】 長峯神社と神嘗祭
ちょうど時間となったので、幸神社前に駐まっている帰りのバスへ向かった。
幸神社の大きな常夜燈をパチリ。
これで幸神社の参道を離れ、
バスへと乗り込んだ。
少し歩き疲れたのか? 夢見心地のうちに宇治山田駅へと到着した。
ここが今日のゴールだ。
この後は徒歩にて、御薗神社に立ち寄ってから帰宅した。
【 2011年11月06日の記録 】
- 近鉄 お伊勢さん125社めぐり(第11回外城田7社)
→ 田丸神社御造営 御本殿遷座奉祝祭 - 御薗神社(その後30)