2011年11月23日(水) 競漕前の垢離とりほか(二船祭) (車、徒歩)
国崎漁港周辺 にて昼食を終えて前の浜へ向かう途中でパチリ。
こちらは堤防上のお供えだが、
前の浜では、浜辺に直接お供えしている姿も見えた。本来は浜へ出向いてお供えするそうだが、浜まで行けない人は海が見える堤防上にお供えしているそうだ。
この後、「シゲ」を確認するために海士潜女神社に立ち寄ってから前の浜へ向かった。
少し離れた場所から前の浜をパチリ。
二船祭の競漕とは里谷地区と海間谷地区の2隻の船が前の浜の海で速さを競って今年の豊漁を占う神事だ。里谷が勝てばボラ、海間谷が勝てばイワシが大漁するとされる。
競漕までの段取りとしては次の通り、
- 里谷の乗り手(一の櫂と舵取り)二人が前の浜へ集合(午後2時)
- 二人の垢離とり
- 二人が海士潜女神社へお参り、「シゲ」の受け取り
- 二人が先の浜(神の島)へお参り(船外機付きの船で)
- その他の乗り手が集合、垢離とり
- 競漕開始
船に近づくと
船尾には競漕のための衣装が準備されていた。里谷には「里」の文字が染め抜かれ着物が、
海間谷には「二丁の櫂がX型」に染め抜かれた着物が置かれていた。
また鎧崎とは反対側の堤防の下部にはたくさんの藁が積まれ、その一部が撚られてひも状になっていた。
里谷の乗り手(一の櫂と舵取り)二人の登場までは時間がありそうだったので、二船を様々な角度から眺めていた。パチリ。
パチリ。
そして、先ほどの藁があった堤防の上のお供えを
パチリと撮っていた時
【里谷の乗り手(一の櫂と舵取り)二人が前の浜へ集合(午後2時)】
里谷の乗り手が現れた。全員で四人、その内の二人は先輩で指導を兼ねたサポーターだろうか?
【二人の垢離とり】
二船に近づくと
衣服を脱ぎ去り、
垢離とりのために全裸で海へ飛び込んだ。凍えるような寒気の中、風も強い。歯がガチガチと振るえて言葉も出なくなるのではないだろうか?
垢離とりが終わると
褌をつけ、
先ほどの「里」と染め抜かれた着物を羽織った。さらに、先ほどの藁縄を腰に締め、さらには袖まくりのために背中側で両袖に通した藁縄を結んでいた。「かっこいい」
その間にも、浜にはお供えが。
【二人が海士潜女神社へお参り、「シゲ」の受け取り】
垢離とりを終えて、を二人が海士潜女神社へ出発。一人が船の櫂を手にしていた。
堤防沿いを進み、
この先を右折して、緩やかな坂道のルートで海士潜女神社へ。
私は急坂のルートで先回りして、二人が坂を上ってくるのをパチリ。
二人は参道へ向かい、
声援を受けながら
手水でさらに心身を清めると
拝殿へ。
拝殿前に二人が立つと
先の浜(神の島)の祠にお供えする「シゲ」を託すための儀式が開始された。代表の方が声援文(?)を読み上げた。なかでも、意味は理解できなかったが「・・・は郷、・・・も郷、国崎は村・・」のフレーズがとても印象的だった。
その後、「シゲ」が手渡され、
拝殿からの声援が二人の背中を押した。
彼らは来た道を戻った。
拝殿の中はこんな感じだった。自分たちの若かった時を思い起こしながら声援を送っていたのだろう。
私も彼らに声援を送り、先に前の浜へと向かった。
前の浜の堤防で待っていると二人が戻ってきた。
また、PRESSのベストを付けたカメラマンが「お供え」を撮影していたので、私も便乗させてもらった。なお、この「お供え」を持っていたのは、海士潜女神社での二船祭に参列していた「海女さん代表」の方だった。
パチリ、
パチリ。
二人は記念撮影を終えると
【二人が先の浜(神の島)へお参り(船外機付きの船で)】
船外機付きの船で先の浜(神の島)へ向かった。以前、漕ぎ手が多い時は競漕に使う船で手漕ぎで向かったそうだ。さすがに二人ではあの船は大変だろう。
堤防から二人を見送るこの少女が印象的だった。
船はどんどん小さくなった。
そして見えなくなった。
しばらくすると船外機の音が聞こえ始め、船影が見えた。二人が先の浜から戻ってきたのだ。
【その他の乗り手が集合、垢離とり】
その他の乗り手も前の浜へ順に集合すると、来た人から順に垢離とりのために海へ入った。若者が少なくなっているためか、ベテランも参加しているようだった。
全員が垢離とりを終えると
記念撮影となり、
ついに、競漕が開始された。
【競漕】
【 20111123の記録 】
- 二船祭見学のために国崎(くざき)へ
- 海士潜女神社(あまかずきめ)
- 二船祭、勤労感謝祭ほか(海士潜女神社)
→ 鎧崎散策(神宮御料鰒調製所、鎧崎灯台ほか)
→ 国崎漁港周辺 - 競漕前の垢離とりほか(二船祭)
- 競漕(二船祭)
【参考リンク】
国崎町内会のホームページ
伊勢神宮献上熨斗鮑の里-三重県鳥羽市国崎町町内会
三重県のインターネット放送局(シゲ、垢離とりなど競漕以外の情報も満載)
二船祭:鳥羽市