2012年05月12日(土) 御田植初式 田舞、団扇破り(大土御祖神社) (車、徒歩)
神宮神田での御田植初式が終了すると祭場は大土御祖神社の社頭へ移され、楠部御田植祭保存会の奉仕員による田舞が演じられる。
御田植の後、団扇合せが終了した神田から大土御祖神社へ向かうために、神職、作長、作丁が黒木鳥居をくぐって道路へと出られた。
それに大団扇「恵比寿」と
「大黒」、
さらに囃子方、
早乙女が続き
目の前にすると長い列となり、かなりの人数だ。
私は列の最後をついて行った。
櫲樟尾神社の前を通り、
その奥にある大土御祖神社へと向かった。
社域へ入ると昨年ほどは拝観者は多くなかったが、拝観場所の規制については昨年よりも厳しかった。参道での拝観ができなかったので、報道陣以外は田舞等をしっかりと拝観することはできなかっただろう。
社域の片隅に「恵比寿」の大団扇は立て掛けられていた。風に煽られたためだろう。右の上部がすでに破れていた。
大土御祖神社の社頭には神職、作長、作丁が着座し、準備が整うと
参道からは横笛を吹く囃子方に先導された田舞の舞手が鳥居へと向かった。ただし、一歩前へ足を運ぶとしばらくは静止し、一歩一歩ゆっくりと・・・
そして、太鼓が間の手を打つ。
これが舞手が手にしている??だ。名前が分からない。
舞手はこのようなゆったりとした所作でひとり、ひとり・・ 鳥居をくぐった。
全員が鳥居をくぐり終えると、
左右二手に別れ、「ハエヤーハエ、ハエヤーハエ・・・」の掛け声と共に舞われた。
左右を入れ替わり、
さらに、元へ戻った。これを繰り返し、
最後は「ハエヤーハエーー」の掛け声と共に、天に向けて高く手を上げた。
続いて、鼓を手にした囃子方が舞手に加わった。
たぶん、「重い俵を担いだが倒れる・・・」だと思うが、私の位置からは舞いの様子がまったく見えなかったので、?だ。
再び、最初の舞いを繰り返すと
田舞が終了し、
笛のみが奏された。素朴な音色が身体に染み込むように繰り返し、繰り返し・・・
奉納演奏が終了するとクライマックスの団扇破りへ。
大団扇が作長等の前へ差し出されると紙が破られる音が聞こえた。ただし、誰が破ったかは見えなかった。「大黒」に続いて「恵比寿」も・・・
二柄の大団扇が鳥居を出ると
一人の青年が大団扇に飛びかかり
団扇破りが開始された。
瞬く間に、
この状態になってしまった。私もパチリとしつつ、おすそ分けをいただいた。
ちぎり取ることができなかった拝観者にもおすそ分けが・・・
団扇破りが終了すると、御田植初式の儀式はすべてが終了した。神職、作長等は神宮神田へ戻られ、奉仕員は帰途へ着いた。
その後、大土御祖神社にお参りする方々をパチリ。
私は、まず大土御祖神社の奥に建つ国津御祖神社(葦立弖神社を同座)にお参りし、
続いて、大土御祖神社(宇治乃奴鬼神社を同座)にお参りした。
これで、私も神宮神田での御田植初式の拝観を終え、
帰途に着いた。
こちらは、私が頂いた大団扇の破片だ。左が「大黒」の一部で、右側が「恵比寿」の一部だ。
【 20120512の記録 】
- 神宮神田へ向かう
- 御田植初式の準備(神宮神田)
- 御田植初式(神宮神田)
- 御田植初式 田舞、団扇破り(大土御祖神社)
【参考】