2012年05月13日(日) 長谷の車田御田植祭(多気町長谷) (車、徒歩)
午前8時半、地域おこしグループ「一八会」が御田植祭を斎行する車田へ到着した。「長谷の車田」の看板の前では佐那神社の宮司さんが準備の真っ最中だった。
しばらくすると、ひとりの男性が
御幣のようなものを手にして車田へ足を踏み入れた。
車田の中心にたどり着くと
御幣(?)を田の中へ差し込んで東向きに定めると、予め打たれていた杭に固定した。
なお、車田の縁ではTVクルーがその様子を収録していた。
時刻は、まだ8時35分。御田植祭の開始時刻が10時なので、まだまだ、十分に時間があった。
そこで、私は「一八会」発足のきっかけとなった近長谷寺(きんちょうこくじ)にお参りするため、長谷観音道へ向かった。
長谷観音道から近長谷寺へ向かい、城山へ登った後、近長谷寺にお参りしてから車田へ戻ると、先ほどの「長谷の車田」の看板の前には神籬(ひもろぎ)が準備され、車田を囲うようにしめ縄が張られていた。
神籬にはすでに神饌が準備され、中心には早苗が見えた。
車田の中心の御幣(?)は存在感を示し、
それを取り囲むように車田の四方には玉串が立てられていた。
御田植祭の開始にはまだ時間があったので、車田の周囲を歩き回った。こちらでもパチリ、
ここでもパチリ。
さらにパチリ。
車田に注目すると等間隔の同心円の筋が引かれていた。早苗を植えるための目安の筋だ。
この筋を引くための道具はこれだろう。中心の杭に縄を掛けてコンパスのように同心円を引いたのだろうか? 筋を引くところを見てみたいものだ。
その後、「長谷の車田」の看板の前まで戻ると、「式次第」が貼られていた。
【式次第】
一、 修祓
一、 降神の儀
一、 祝詞奏上
一、 四方祓の儀
一、 御田植
一、 玉串奉奠
一、 昇神の儀
一、 直会
そろそろ御田植祭の始まりだ。まずは地域おこしグループ「一八会」の代表である逵昭夫(つじあきお)さんが挨拶し、来賓の紹介、挨拶、電報の紹介と続いた。
その後、祓詞奏上に続き修祓。 神籬、神饌、祭員(早乙女ほか)が大麻(おおぬさ)で祓われ、
さらに塩湯で清められた。
続いて、降神の儀となり、
田の神が神籬へ寄られると御神酒徳利の蓋が開けられた。
献饌だ。
その後、四方祓の儀、
車田の東、南、西、北に配置された玉串に向かって、まず、こちらは東側。
こちらは南側。
大麻にて、左、
右、
左と祓われ、
さらに切麻散米(きりぬささんまい:四角い紙片を撒くこと)で清められた。
これも左、
右、
左。
場所を移動して、
西側、
そして、最後の北側。すべての場所で、南側と同様に大麻で祓い、切麻散米で清められた。
以上で四方祓の儀が終了した。
これから御田植祭のメインイベントである御田植が始まった。宮司が神籬から早苗を捧持して
車田の東の縁へ向かい、
一束を手に取ると田へ投げ落とした。
この動作は三回繰り返され、三束の早苗が車田へ落とされた。
儀式が終わると、早乙女の登場。
苗を手にすると
車田の中心へ向かった。
この場所、車田の中心が御田植の開始点だ。なお、中心で育った稲は神宮へ奉納される予定とのこと。
車田の縁では、小学生の女の子が自分の出番を待ちながら早乙女の動きをしっかりと見ていた。
同心円が放射状に広がるのを
こちらでも女の子たちが待ち遠しそうにしていた。
そして同心円はどんどん広がっていった。
植え初めからずっと苗を手にして待っていた子供たちもやっと出番となった。
このあとで、
さあ、登場だ。
慣れない田の中へ足を踏み入れた。子供たちが田へ入るとカメラマンの動きがさらに活発になった。
私は少し引いた位置からパチリ、
パチリ。
少し不安気な子供たちや
土の感触を楽しんでいる子供たち・・・
その一方で、お母さんたちは着実に仕事をこなしていた。
御田植が始まってから30分余りが経過した。一番大変なのは誰かって、実は佐那神社の宮司さんだった。植え初めから太鼓をうち続けていたのだ。
そして車田では御田植がほぼ終了に近づいていた。子供たちが田を出て
手足の泥を落としている最中も
お母さんたちは忍耐強く御田植を続けていた。
やっと、御田植が終了。お疲れ様でした。
御田植祭が終了すると子供たちはテントの下で休憩状態に入っていた。神事はまだ続き、これからは大人だけで続けられた。
玉串奉奠。宮司に続き、
「一八会」代表の逵さん、
その後も御田植に参加された面々が順次玉串を奉奠された。
玉串奉奠が終了すると、
昇神の儀。神様は神籬より戻られた。
御神酒徳利の蓋が閉じられ、
撤饌。
以上で御田植祭が終了となり、宮司が終了を宣言された。
そして最後は、直会。御神酒徳利から銘々に御神酒が注がれ
全員の満足げな笑顔で幕を閉じた。
私はテントへ向かい、子供たちからおはぎの振る舞いを受けた。「ありがとう!」
これが頂いた「おはぎ」。昨年、この車田で収穫された米で作られているとのことだった。食べるのがもったいなかったが、意を決してパクリ。おいしかった。
最後に、車田の全景を見てみたかったので、さらに坂道を上り南勢水道長谷調整池の裏手へ向かうと、
フェンス越しにパチリ。
さらにパチリ。
稲刈りにも立ち会いたい思いを強め、この地を後にした。
その後、帰路の途中で金剛座寺に寄り道した。
【 20120513の記録 】
- 長谷の車田御田植祭へ向かう
- 長谷の車田御田植祭(多気町長谷)
- 長谷観音道、城山、近長谷寺(きんちょうこくじ)
- 金剛座寺