金剛座寺と穴師神社跡およびその周辺

2012年09月08日(土) 金剛座寺と穴師神社跡およびその周辺 (車、徒歩)

収穫祭が中止になった「長谷の車田」 で、たわわに実った稲穂を確認してから車田を後にしてから金剛座寺を目指した。

前回の訪問では金剛座寺の近くにある穴師神社跡へは行けなかったので、今回の目的は穴師神社跡を訪ねることだ。

【参考】 前回の訪問

 

また、前回はこの参道を車で駆け上がったが、今日は参道入口の右手にある広場へ駐車し、ここから歩くことにした。

金剛座寺

金剛座寺

車を駐めた広場の隅には次の説明板が建てられている。

多気町指定文化財の説明板(金剛座寺)

多気町指定文化財の説明板(金剛座寺)

これによれば、

本堂のすぐ上に式内穴師神社跡があり、祠には町指定文化財である木造神像が祀られていた。

とある。

つまり、

  • 穴師神社跡は金剛座寺の本堂のすぐ上にある。
  • なお、木造神像は今はそこには祀られていない。

である。

木造神像を拝見することはさておき、穴師神社跡を目指した。

コンクリート舗装された坂道である参道はかなり急である。

金剛座寺への参道

金剛座寺への参道

一歩一歩を積み重ねると10分弱でこの道標へたどり着いた。

歴史の道の道標(金剛座寺への参道)

歴史の道の道標(金剛座寺への参道)

 

道標からは金剛座寺の山門が見える。

金剛座寺

金剛座寺

 

歴史を感じさせる山門を

金剛座寺

金剛座寺

くぐった。

金剛座寺

金剛座寺

そこには、「摩尼山 金剛座寺」および「天台宗 修験道」の二枚の木札が掛けられていた。

 

鐘楼の前を通過し、本堂の正面へ向かった。本堂をパチリ。

金剛座寺

金剛座寺

本堂でお参りを済ませると、堂内から女性が現れた。お守りされているおばちゃんのようだ。軽く挨拶を交わすと、私は穴師神社跡について教えてもらった。

どうも私が思っていたルートではたどり着けないことがわかった。

本堂の裏には次の道標が立っている。

歴史の道の道標(金剛座寺本堂の裏)

歴史の道の道標(金剛座寺本堂の裏)

てっきり、矢印に従い、近長谷寺方向へ向かえばいいと思っていたのだが、実は正反対。

矢印とは反対側(右側)へ進むと左へ登り坂道がある。ここからほぼ直登するそうだ。

穴師神社跡への登り(金剛座寺の池付近)

穴師神社跡への登り(金剛座寺の池付近)

おばちゃんは「足元が湿っているので、枯葉で滑らないように気をつけて!」との言葉も添えて私を送ってくれた。おばちゃんに出会わなければ、穴師神社跡へはたどり着けなかったかもしれない。(感謝)

早速、斜面を進むと急な階段になり、

穴師神社跡への登り

穴師神社跡への登り

その上部は、整形された石が積まれていた。

穴師神社跡への登り

穴師神社跡への登り

急な階段を登りきるとその先には平らな空間が広がっている。

穴師神社跡(金剛座寺の裏山)

穴師神社跡(金剛座寺の裏山)

そして、その奥には石畳の上に小さな祠が建ち、その前には常夜燈が二基。

穴師神社跡(金剛座寺の裏山)

穴師神社跡(金剛座寺の裏山)

そして、常夜燈には「摩尼山 金剛座寺 願主 良珠法?」

穴師神社跡(金剛座寺の裏山)

穴師神社跡(金剛座寺の裏山)

なお、金剛座寺のご住職による個人サイト(ホームページ)に掲載されている「金剛座寺歴代住職」によると

金剛座寺時代
一世 良珠 寛永17年生~寛文13年1月19日没(87歳)

とある。

【参考】 天台宗修験道 摩尼山 金剛座寺 れんげ.ねっと

 

つまり、この常夜燈を建てたのは一世の住職 良珠、生没年と年齢がどうも一致しないようだが、とにかく1600年代に建立された常夜燈と思われる。

 

祠の前面、注意しながら斜面に近づくと金剛座寺の本堂の屋根瓦が見える。

穴師神社跡から望む金剛座寺の本堂

穴師神社跡から望む金剛座寺の本堂

たしかにこれだったら参道入口の説明板に書かれていた『本堂のすぐ上に』の表現そのものだ。

改めて、祠にお参りした。

穴師神社跡(金剛座寺の裏山)

穴師神社跡(金剛座寺の裏山)

穴師神社跡(金剛座寺の裏山)

穴師神社跡(金剛座寺の裏山)

 

これで本日の目的は達成できた。ところが、長谷の車田での収穫祭が中止となり時間に余裕があったので寄り道虫が動き始めた。

・・・、そういえば、

金剛座寺の本堂の裏手にあった道標は左へ「近長谷寺」となっていた。この先へ向かうと「近長谷寺」のルートと合流するに違いないと考え、穴師神社跡を後にした。

穴師神社跡から歴史の道へ

穴師神社跡から歴史の道へ

来た道へは戻らず、さらに奥へと進むと山道は稜線へ向かっていった。

穴師神社跡から歴史の道へ

穴師神社跡から歴史の道へ

しばらくすると、「金剛座寺への近道」の案内板が現れた。パチリ。

「金剛座寺への近道」の案内板

「金剛座寺への近道」の案内板

そして、この先には歴史の散歩道 神坂展望施設があった。

歴史の散歩道 神坂展望施設の説明板

歴史の散歩道 神坂展望施設の説明板

帰宅後に先のホームページで調べると、この場所は摩尼山頂で『伊勢遥拝所』だそうだ。

歴史の散歩道 神坂展望施設

歴史の散歩道 神坂展望施設

先ほどの案内板には「伊勢神宮」、「朝熊ヶ岳」の名前がある。この方向だ。

歴史の散歩道 神坂展望施設からの眺望

歴史の散歩道 神坂展望施設からの眺望

先ほどのホームページから引用すると

穴師神社を通り抜けて金剛山山頂(海抜186m、本堂から5分)まであがると、伊勢湾・平野を見渡す絶景が広がります。そこからは、伊勢湾の海はもとより、伊勢神宮のある倉田山から鬼門の金剛証寺のある朝熊山、天気の良い日は愛知県の知多半島、富士山まで展望できる多気町唯一の場所です。

とあり、摩尼山と金剛山は同じものであると思われる。

 

この展望台の近くに道標があり、「近長谷寺」の文字を見つけたのでその方向へ進んだ。

歴史の道の道標(神坂展望施設付近)

歴史の道の道標(神坂展望施設付近)

しばらく緩やかな起伏を上下しながら、多数の蜘蛛の巣と格闘しながら進むと、木の幹に付けられた次の山頂標を見つけた。

金剛山西峰の山頂標

金剛山西峰の山頂標

ここが山頂だとしたら、この先は下り・・・。もし、戻ることになれば上りか・・・・。ここで葛藤。ここを下ったら金剛座寺の裏へ通じる山道と合流するのかも? とは思いつつも不安が残った。

低山とはいえ単独行動で、準備不足な状態なので、不安に思ったら引き返す!

ここは潔く合流の検証は諦め、来た道を引き返した。

右側に電波塔、

電波塔(神坂展望施設~近長谷寺)

電波塔(神坂展望施設~近長谷寺)

電波塔(神坂展望施設~近長谷寺)

電波塔(神坂展望施設~近長谷寺)

みかん(?)畑

電波塔付近(神坂展望施設~近長谷寺)

電波塔付近(神坂展望施設~近長谷寺)

 

その後も残っている蜘蛛の巣を払いのけながら来た道を戻った。

電波塔付近(神坂展望施設~近長谷寺)

電波塔付近(神坂展望施設~近長谷寺)

同じ道でも行きと帰りでは景色が異なる。

電波塔付近(神坂展望施設~近長谷寺)

電波塔付近(神坂展望施設~近長谷寺)

行きには気づかなかったが、こんな所に水を貯める設備(?)が作られている。何のためだろう?

貯水?と廃屋?(神坂展望施設~近長谷寺)

貯水?と廃屋?(神坂展望施設~近長谷寺)

 

この後、雨足が非常に強くなり、傘を差しながらの下りだったので穴師神社跡への脇道へ入らずにそのまま下ってきたら、この場所にでた。振り返ってパチリ。中央の坂から下ってきた。

金剛座寺付近

金剛座寺付近

ここは、金剛座寺の山門の前の広場で、放生池の近くだ。

放生池をぐるりと左へ巻いて

金剛座寺の池

金剛座寺の池

本堂の脇から

金剛座寺の池

金剛座寺の池

山門へ向かった。山門の手前では雨が降っているにも関わらず、太陽の眩しさを感じたのでパチリ。こちらは二股に分かれた楠、

夫婦地蔵前の楠(金剛座寺)

夫婦地蔵前の楠(金剛座寺)

その根元には夫婦地蔵が祀られている。

夫婦地蔵(金剛座寺)

夫婦地蔵(金剛座寺)

こちらが、夫婦地蔵と楠の説明板。

「夫婦地蔵と楠」の説明板(金剛座寺)

「夫婦地蔵と楠」の説明板(金剛座寺)

強かった雨足も少し和らいだので、山門をくぐり、急な坂道を注意しながら下った。

【 20120908の記録 】

 

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