新ブログサイト『神宮巡々3』開設のお知らせ

『神宮巡々』、『神宮巡々2』ブログのデータベースが巨大化してしまったため、別途 『神宮巡々3』を新設しました。
2014年〜2017年の記録は『神宮巡々2』を、最新の記録は『神宮巡々3』をご覧ください。 ( 2017年12月31日 【キタヰ】こと、桝屋善則 )

十二月月次祭 御卜(みうら)の儀 2012

2012年12月15日(土) 十二月月次祭 御卜(みうら)の儀 2012 (車、徒歩)

伊勢神宮にて斎行される年間1,500を越える祭典、なかでも三節祭と呼ばれ最も由来が古いとされているお祭が神嘗祭と六月および十二月の月次祭。

本日より十二月 月次祭が開始され、外宮では今夜から未明にかけ「由貴夕大御饌の儀」および「由貴朝大御饌の儀」が斎行される。そして、明日は外宮にて「奉幣の儀」、さらに夜から未明にかけて内宮にて「由貴夕大御饌の儀」、「由貴朝大御饌の儀」が斎行され、翌17日には内宮にて「奉幣の儀」・・・

正宮での祭儀の後、別宮、摂社、末社、所管社においても祭儀が執り行われるが、これらの祭儀を奉拝できる機会はかなり少ない。有難いことに、今回の月次祭では16日、内宮にて斎行される「由貴夕大御饌の儀」を奉拝する機会を得た。

そこで、月次祭に関連する祭典についてはできる限り奉拝しようと思い、先日も御酒殿祭を奉拝した。

【参考】

 

また、月次祭に際しては奉仕員である神職が神の御心にかなうかを占う神事である「御卜(みうら)の儀」が斎行されるとのこと。神宮のホームページの最新情報によると「御卜(みうら・内宮)  12月15日(土) 16:00」と記されていたので内宮を訪れた。

なお、『神宮要綱』にて「御卜の儀」をひもとくと323ページに次の通り記されている。

御卜の儀 神嘗祭は神宮祭儀中最も重儀なれば、畏き大御神の神意の随に奉仕すべく、古儀により御卜の神事を行ふ。此の儀は興玉神祭畢りて、祭主以下當祭奉仕員一同中重に著版し、先づ權禰宜進みて恭しく祝詞を奏し神降詞を唱へて復版し、次に宮掌奉書に認めたる祭主以下奉仕員の名を嚴に歴唱すれば、宮掌嘯き、權禰宜は御琴を掻き、歴名者一揖す。次に權禰宜神昇詞を唱へ、祝詞を奏し、畢りて一同奉拜の後退下す。

【補足】 372ページに「月次祭々儀に就いては、祭儀の準備竝に豫め興玉神祭・御卜神事を行ふこと、及び朝夕由貴大御饌供進の儀は、全く神嘗祭儀に同じきが・・・」とある。)

【参考】

 

余裕を持って出かけたつもりが思ったよりも道路が混雑しており、内宮の手水舎で心身を清めた頃には斎館前に多くの神宮衛士の姿があった。

第一鳥居、第二鳥居を過ぎると神楽殿の前にはプレスが控えていた。

その横を通り過ぎてから

神楽殿付近(内宮)

神楽殿付近(内宮)

振り返ってパチリ。

神楽殿付近(内宮)

神楽殿付近(内宮)

神楽殿を過ぎると五丈殿の前には年始に向けて仮の神札授与所が建てられていた。四至神にお参りすると

五丈殿付近(内宮)

五丈殿付近(内宮)

その先五丈殿の下に大麻と御塩が置かれていた。(この件については後述。)

五丈殿(内宮)

五丈殿(内宮)

 

五丈殿から正宮へ向かい新御敷地の石段付近で待機していると、報鼓が通り過ぎた。

月次祭 御卜(みうら)の儀

月次祭 御卜(みうら)の儀

しばらくすると左手の方から浅沓が玉砂利を踏む音が近づいてきた。

月次祭 御卜(みうら)の儀

月次祭 御卜(みうら)の儀

雨上がりの参道は少し霞んだ雰囲気のなか、(臨時)祭主である黒田清子さんを先頭に

月次祭 御卜(みうら)の儀

月次祭 御卜(みうら)の儀

多数の神職が参進・・・

月次祭 御卜(みうら)の儀

月次祭 御卜(みうら)の儀

 

(臨時)祭主の緋袴と緋色の浅沓はいつも印象的。神職が参進にて歩くペースは非常に速いが、(臨時)祭主である黒田清子さんは先頭で・・・、その歩く速度も印象的だ。

月次祭 御卜(みうら)の儀

月次祭 御卜(みうら)の儀

参進の列は新御敷地の石段下を通り過ぎ、

月次祭 御卜(みうら)の儀

月次祭 御卜(みうら)の儀

月次祭 御卜(みうら)の儀

月次祭 御卜(みうら)の儀

正宮への石段を登った。参進が石段を登りきると石段下で足止めとなっていた参拝が再開された。

月次祭 御卜(みうら)の儀

月次祭 御卜(みうら)の儀

(正宮の石段より上は撮影禁止)

私も石段を登り、板垣南御門の鳥居をくぐり外玉垣に張り付いた。ところが、中重には人影はなく、四丈殿にて祭儀が執り行われていた。(後に神宮の方に伺ったところ、「通常は中重だが、今日は昨夜からの雨で中地面が濡れていたため・・」とのことだった。)

拝観することはできないので、拝聴することとし、神職の名前が読み上げられる声に注意を払った。微かに声が聞こえた。名前は聞き取れない。名前の後に、木を打ち鳴らすような音が聞こえた。その繰り返し・・・、この動作があれだけ多くの神職全員に対して繰り返されたのだろう。

声と音が止んだので、私は正宮を後にして参道を戻った。

先の五丈殿まで戻ると、大麻と御塩はすでに片付けられていた。

五丈殿(内宮)

五丈殿(内宮)

この時は、大麻と御塩の有り無しの経過から考えて「御卜の儀」のために修祓が執り行われたのだとばかり思っていたが、帰宅後に神宮要綱を読むと「御卜の儀」の式次第に修祓は出てこない。しかし、「御卜の儀」の前に斎行される「興玉神祭」の式次第には忌火屋殿前庭祓所において神饌および諸員は修祓を受けるとの記述がある。なお、『雨儀はすべて五丈殿において行う』とある。

よって、五丈殿では雨儀により修祓も含めて「興玉神祭」が斎行されたのではないだろうか?(あくまでもこれは私の推測)

 

そして、「御卜の儀」は退下となり参道を戻ってこられた。ところが、途中で五丈殿へ・・・

月次祭 御卜(みうら)の儀

月次祭 御卜(みうら)の儀

全奉仕員が五丈殿へと向かうと5分ほどで参道へ戻られた。

月次祭 御卜(みうら)の儀

月次祭 御卜(みうら)の儀

この間、何が行われたのだろう?
これも先出の神宮要綱 342ページによると「御卜の儀」の式次第に

(前略)
次祭主以下外玉垣御門ヲ経テ荒祭宮遙拜所ニ就ク 蹲踞東上北面
次諸員奉拝八度拍手兩端
次諸員退下

とある。となると雨儀のため五丈殿で遥拝された?  (あくまでもこれも私の推測)

 

五丈殿を後にした退下の列は第二鳥居へ向かい、その後は斎館へ・・・・

月次祭 御卜(みうら)の儀

月次祭 御卜(みうら)の儀

月次祭 御卜(みうら)の儀

月次祭 御卜(みうら)の儀

退下の列は、神楽殿前から第二鳥居まで続くほどの長さ、

月次祭 御卜(みうら)の儀

月次祭 御卜(みうら)の儀

何人の神職が参加していたのだろう?

月次祭 御卜(みうら)の儀

月次祭 御卜(みうら)の儀

 

御卜の儀の奉拝を終えると宇治橋を渡り返した。宇治橋の西詰にある参宮案内所の前には「月次祭」と「天長祭」の案内が掲げられていた。

月次祭、天長祭の案内(内宮)

月次祭、天長祭の案内(内宮)

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*