2010年04月10日(日) 小俣、田丸めぐり(自転車)
先週の小俣めぐりで回れなかった狭田国生神社(摂社)と田丸めぐりを実施した。狭田国生神社はJR田丸駅のすぐ近くにあるので、小俣めぐりに分類されているのには少し違和感がある。そこで独自ルートとして、この5社を巡ることにしている。
自宅を7時40分頃に出発して、県道37号線にある大野橋西交差点(ピアゴがある交差点)を玉城方面へと走った。
しばらく走ると左手に外城田川が現れる。途中、壊れたコンクリート橋を見つけた。大雨で流されたのだろうか?
さらに走ると中楽のあたりで右手に桜が見えた。よく見ると小山になっており何かが祀られているようだ。次回、調査してみよう。今日はパス。
田丸の駅へ直線でつながる道路へ左折し、しばらく走ると右手に花の植え込みが目に入ってきた。桜の木だけでなく、菜の花、これから咲くであろう紫陽花、あとはわたしには分からない植物が多種類植えられている。四季を通じで様々な花を楽しめるようになっているのだろうか? その先は桜が数本植えられている。
さらにまっすぐ進むと田丸駅へ到着した。
今日は入口の扉が開かれた状態で中には数人が列車を待っていた。
JR田丸駅を起点として前回と同じルートを巡ることにした。
田丸駅を出て右側の道路を進んで行くと、極楽橋にたどり着く。前回は橋を渡ってから左折したが、橋を渡る手前で左折しても良いことに気づいた。にも関わらず今回も橋を渡った。
川沿いに進み次の橋を左折すると、橋を渡り終えた交差点の右側に「ちびき神社」の道標があった。「ちびき神社」以外の文字を読むことができなかった。この道標を見てしまったため、帰路にこの先の道路を通ることになった。
すぐ近くの建物の壁に次の説明板があった。かつて城下であった土地のため防衛のため、建物がノコギリの歯状に配置されていたことが説明されている。
これが実際の武者隠しの構造である。側溝が直線ではなく、ノコギリの歯状になっているのが良く分かる。
この斜め前に狭田国生神社(摂社)の社叢がある。
路地を入って行くと左手に入口がある。コンクリートのブロック垣が珍しい。
ここの社殿はほ南向きである。
先ほどの道路をまっすぐ進み、田丸駅前から直線に伸びる道路(田丸駅に来るときに通った道路)を横切った。さらに進むと次の変則な交差点にである。
突き当たりを右折し、百五銀行の角を左折する。
まっすぐ進むと田丸城址の入口に出る。
今回は田丸城址をじっくり見学しようと思っていたが、ここを左に入り、坂を登って行ったところ田丸中学校にたどり着いたので、これだけのものなのかと思ってしまった。
坂を下って戻って来て、大したことがない城跡だなと落胆していたところ、案内板を見直して自分の愚かささに落胆してしまった。そうだ、実は中学校の裏側に城址があったのだ。気を入れ直して、田丸中学校側の坂道を登って行った。あるある、まずは富士見門(長屋門)が残されている。
さらに門の右側の歩道をMTBで登って行った。ここで次の箱を発見。どこかで見たことが有る。そうだ、外城田めぐりで鴨神社へ向かう途中、伊勢自動車道をくぐるトンネルの手前にあったものと同じだ。ここでは、葉っぱが放り込まれていたので、腐葉土の肥料を作るために準備されているのだろう。ということは外城田めぐりのものも予想通り肥料作成のための道具なのだろう。
意識を元に戻して先へ進んだ。
おおすごい。城壁が段々と重なり上へ上へとつながっている。ここには階段しかないため、MTBを担いで登った。
上部は広く、神社も有る。
さらに上へ向かうと広場の端に天守跡があった。この上が最も高い場所である。
天守跡から下界を眺めると何と気持が良いものだ。
城址は桜まつり真っ盛りで、夜桜を楽しめるよう、至る所にライトアップ用の照明器具が準備されていた。昼よりも夜の方が花見客が多いのだろうか?
田丸城址を後にして、田丸神社の前を左折して坂手国生神社(摂社)を目指した。
JR線と並走を開始した時、後ろから列車が走ってきた。思わずカメラを構え、列車が追い越して行った姿を撮影した。
所々に踏切が有る。
右��にこの祠を見ると、次の交差点(左手に踏切)で右折だ。
右折してしばらくすると常夜灯がある。鳥居の奥には小さな石が多数積んであり、小さな鳥居が置かれていた。
さらに前へ進むと、右手に竹林越しに池が見えてくる。
その反対側に坂手国生神社(摂社)が御座す。
坂道の下に自転車を駐めた。石畳の坂が遠くまで登って行く。先は見えない程だ。
ここにも、禁殺生石がある。
この石畳を登って行く。
ところどころに排水のための溝がある。
社殿はほぼ南面している。
社殿の左に三股の木がある。実は2本の木が重なって三股に見えていた。手前の木が二股で後ろに1本が立っている。
下りの石畳
行きには気づかなかったが、坂の途中に手水石があった。(下っている途中に振り返って撮影)
池の方を望む。
苔が綺麗に被っていたので、思わず撮影してしまった。
坂手国生神社を出て、先ほどの交差点をまっすぐ進み踏切を渡った。このまま道なりに進んだ。
区画整理された広大な田園風景(今は土だけだった)を横断し、丘を上り、県道13号線を横断して、下りきると次の風景が目に入ってくる。
用水路の先を走り、橋を左に渡ると道は田宮寺へと続く。
坂の手前左側に奇妙な風景を見た。若い杉の木に竹がくくりつけられているのだ。まっすぐ育つようにしているのか?理由は分からない。近くに誰もいなかった・・・
坂を上り、「田宮寺」の地名板が付いたカーブミラーで右折した。
すぐ右手に田宮寺神社がある。
表面に「寛政」の文字を認めたので、古さを感じ、思わず撮影した。
春の訪れを新芽に芽吹きに感じられる。
向かいには、富向山田宮寺がある。
田宮寺からパナソニック電工伊勢工場の脇を通り、勝田の交差点に出た。横断歩道を渡りすぐ目の前にこの標識がある。勝田方面に進む。
しばらく行くと、先程行き先表示板があった旬菜野の花亭が現れる。この前をさらに進む。
坂を上ると左手に鴨下神社(末社)の社叢が見える。
この角を左折する。
社殿はほぼ完璧に南向きである。
元の道にもどり左折して先へ進むと、「勝田」の地名板が付いているカーブミラーが現れる。ここを右折した。
ふれあい農園のビニルハウスが見えたので、誘われるように走って行った。
用水が流れ、
田植えが始まっていた。
ビニルハウスにはいちごはいっぱいで、今日はお客さんであふれていた。
ふれあい農園の前の道路に出ると、こちらが今から進む方向で、
振り返ると、ふれあい農園の看板が見える。
先ほど見えていた交差点を左折し坂を上ると右手に広瀬精工 玉城工場が見える。
工場の右手前に下りの小路があるので、折り返すようにここを下った。
下りきると田園風景が広がっている。
Y字路を右手へ進むと、すぐ右側に奈良波良神社(摂社)が御座す。
ここが、奈良波良神社(摂社)である。
右手には、禁殺生石がある。
禁殺生の文字の右側面には次のように、奈良波良神社の名が彫られているようだ。以前は右側に木が生えていなかったのだろうか?
ここは珍しく、入口から石段で一段下がり、その先の参道も下りとなっている。社殿は下がったところにあるのだ。
社殿はほぼ南を向いている。
隣の御敷地との間には石があり、近接していない。
奈良波良神社を出てから、道なりに走ると、次の直線道路になる。この先には歩道橋がある。
歩道橋に上ると小社神社(末社)の社叢が見える。これで迷うことはない。
前回は歩道橋がある交差点を左折したが、今回はその先を左折した。社叢が近づいてくる。
ここが小社神社(末社)である。
ちょうど桜が散り始めていた。この社叢には桜の木が多い。
社殿はほぼ南面している。
社域を出て、左へ進んだ。この先は左へ直角に曲がっている。そこを曲がって、すぐに右折すると十字路に出るので、そこは左折する。前方に林が見えるのでそこを目標に進んだ。
林の脇を歩くと、県道717号線に出る。ここは左折、すぐを右折する。
道なりに進むと、右側に菜の花畑が広がっていた。左を向くと、祠らしいものが見えたので少し戻って回って行った。
ここでは村内安全の文字を確認できたが、名称は分からなかった。
先ほどの道に戻り、先へ進んだ。この道をまっすぐ進むと資材工場へ入ってしまうので、その敷地を回り込むように進む。
さらに進み、右手を見ると、県道13号線が見える。ここを右折し、田丸駅の駅舎の反対側を目指した。
田の畔で虫をついばむ鳥がいた。
田丸駅の駅舎と反対側はロータリーになっているが、改札はない。跨線橋を撮影しておいた。
田丸城址側から踏切を渡り、田丸駅へ戻ってきた。
これで田丸めぐり終了した。後は帰路に付くのだが、行きに見た「ちびき神社」の石標が気になり、その方面か帰ることにした。ただし、例の石標の先には道標は見当たらなかった。仕方なく、外城田川沿いに戻ることにした。
その途中での一枚が次の写真である。
小俣まで帰って来たので、今回も大仏山公園で昼食を取ろうと思い、有田神社の前を通過したらその先に六地蔵石憧があった。ここを左折し、大仏山公園へ向かった。
今日は天気が良いので、見晴らし台まで上った。ここでの昼食(恒例のおにぎり)は最高であった。
少し休憩してから帰宅した。
途中旧伊勢街道沿いのへんば餅をパチリ。