2011年05月29日(日) 近鉄 お伊勢さん125社めぐり(第3回 大湊・神社5社) (車、徒歩)
【延期】 近鉄 お伊勢さん125社めぐり(第3回 大湊・神社5社) となっていた大湊・神社めぐりが本日実施された。台風2号の影響を受け、大雨、強風の一日であったが、挫けずに歩き終えることができた。
本日は【キタヰの妻】が外宮に用事があったので、外宮付近まで車で送ってもらった。まだ9時前だったので、外宮前の広場で開催されていた 第4回「美し国三重『寄せ植え』コンテスト」 の展示を見学後、宇治山田駅近くの 箕曲中松原神社 へ寄り道してから本日の集合場所である宇治山田駅へ向かった。
受付はすでに開始されていたので、早速受付を済ませると
受け取ったコースマップの参加証番号は022だった。今日は何人ぐらいが参加するのだろうか?
また、受付の後ろにはこの案内があり、一部コースの変更が告げられていた。宮川の堤防工事のため予定していたコースを歩けないそうだ。
コースを確認してから宇治山田駅を出発した。雨が止む気配はない。これから台風が近づいてくるのだから・・・
駅前を右折すると割烹 大喜がある。
コースマップに従って、JRの線路を越え、近鉄の高架をくぐり、その先を左折するとこの場所に出た。ここは八間道路だ。
この角には、山田奉行所跡の石碑が建っている。山田奉行所記念館はさらに遠くにあるのに、なぜこんなところに山田奉行所跡があるのか? 八間道路側にある案内板を読むとその理由が分かる。
この交差点を右折し、しばらくは八間道路を直進した。
船江交差点にたどり着くと左前方に社叢が見える。
こちらは船江上社であり、今回のめぐりの対象である河原淵神社もこの中にある。
鳥居をくぐると、すぐ右側、この風景だ。ここが河原淵神社となる。石段を上ると正面に社殿がある。
ここの鳥居はいつも緑色を帯びているが、常に湿度が高いのだろう。
河原淵神社に参拝した後、船江上社にも参拝した。社域をでると、目の前には朧ヶ池(おぼろがいけ)が広がっている。
池の中の鳥居のすき間から龍をパチリ。
船江上社を出て左折した。しばらく歩くと、左手に伊勢 船江温泉 みたすの湯、
続いて、建設中の山田赤十字病院(通称、日赤)が見えた。日赤の外観はほぼ完成に見える。
さらに、コースマップに従って進むと住宅街へと向かった。左手に見える黄色いパン屋さんの近くを通り、
このカーブミラーで左折となる。
この先には数名のハイカーが先行していた。
ここをまっすぐ進むと、コースマップの(2130)ポイントに。ここは人や自転車しか通れない幅の狭い橋だ。
橋を渡るとこの風景。パチリ。川の水量はかなり多かった。
さらに、順路に従うとまだまだ住宅街を進んだ。突き当たりを道なりに左折すると、この矢印があった。
「飛び出し注意の看板の所を右折」
指示通りに、この看板を右折し、先へ進む。
確かに、細い地道だ。この道を歩くのは初めてだ。他人が計画したコースは新鮮で、新しい発見が楽しく、うれしい。
この細い地道を道なりに進みと前方にこの風景が見えてくる。手前にはコンクリート製のタンクがあり、その奥には変電所が見える。
タンクの前を右折し、しばらく歩くと右前方にコメリが見えてくるので、この道路を左折する。
左側に中部電力 山田変電所が現れ、さらに進むと
国道23号線と交差する。他のハイカーが交差点を渡るのをパチリ。雨は降り続いていた。
王中島交差点から坂道を下ると一つ目の交差点があり、さらにその先の交差点、ここで右折する。
(※ しかし、私は昨日仮殿遷座祭を拝観した御薗神社(この先、左側)に寄り道した。)
民家が切れて視界が広がると左手前方に河原神社の社叢が見えてくる。
社叢を目指して直進はできないため、まずはこの道路を直進し、
この路地を左折した。
またまた、民家の間を進むと
十字路を過ぎ、さらに直進した先で道なりに左方向へ曲がると河原神社の社叢が大きく見える。
ほどなく、河原神社(毛利神社を同座)に到着した。
社域へと進み、
参拝した後、パチリ。玉垣の前面が雨に濡れていないのが印象的だった。
河原神社を出て右へ進むと、これもまたしばらく直進だ。先日、近鉄 お伊勢さん125社めぐり(第2回 滝原6社) で紹介したマイヤーレモンキャンディを製造している松屋製菓を右に見ながら
さらに進むと、田んぼの間の細い道から
民家の間を通り、その先には
二木神社がある。ここを右手方向へ進むと、
次の交差点の左側に山田奉行所跡石碑がある。
またその反対側には、この道標がある。この面には「右 大みなと○」と読めるが、その右側は
この様に「左 ???」である。
先ほどの山田奉行所跡石碑の路地を進むと
次の交差点で、電柱に取り付けられた「山田奉行所 記念館」の案内板が見えた。ここを右折すると、
その先には山田奉行所 記念館がある。
入場料は無料である。
門をくぐると左側に記念館の建物があるが、今日は足元がびしょ濡れで、畳敷きの記念館には上がれそうもなかった。周囲を見学後、
最後にお白州をパチリ。
風雨に背中を押されるように山田奉行所記念館を後にし、大湊にある志宝屋神社へ向かうが、視線の先には社叢のような杜が見えた。
近づくとこれは御薗手筒花火製造所。伊勢市御薗町の上條地区、小林地区での年中行事となっている手筒花火の花火を作る場所だ。一角にはコンクリートの壁に囲われた建物があり、花火製造の危険さを伺わせる。
こちらの建物にはコンクリートの壁はない。
さらに進み、火薬蔵跡と刻された石柱から御薗手筒花火製造所を望み、パチリ。
本来のコースではこの付近から宮川の堤防道路を歩く予定であったが、堤防が工事中だったため、迂回路である民家が散在する田園地帯を歩いた。
小林ポンプ場まで来ると、
その先で左側から堤防道路が合流する。堤防道路には工事用のクレーン車が置かれ、その先には志宝屋神社の社叢が見えた。
大湊川の堤防を進むと、
左側に志宝屋神社の社叢が大きくなる。目の前に見えるが大湊川を越える橋(第二湊橋)は少し先にある。
(※ ただし、第二湊橋は最近架けられたため、それ以前はさらに遠くにある湊橋が大湊へ渡る唯一の橋だった。)
今回は第二湊橋を渡った。
志宝屋神社はもう目の前だ。
コンクリート製の階段を下り、水路に沿って社叢へ向かった。
右手に回りこむと志宝屋神社の正面に出た。
鳥居が道路に映り込んでいたので、パチリ。
鳥居をくぐり、志宝屋神社に参拝した。
参道を戻ると、
鳥居の手前で手水石の水が溢れそうになっていた。大雨だ。
志宝屋神社を出ると風雨が一層強まってきた。傘を差していると抵抗が大きいため、私は傘を閉じた。
民家の間を通り抜けると菊川鉄工所の前へ出るので、ここを右折して
湊橋で大湊川を越えた。振り返ってパチリ。
次の丁字路を左折して
神社(かみやしろ)港を目指した。
途中、右手には宮川城下センターがあり、水路のヨシ群落にはヒヌマイトトンボが生育している。保護されているようだ。
また、左手には大湊の造船所の風景が広がる。
さらに、進んでも右側はこんな風景だ。
この辺から左側が宇治山田港となり風がさらに強まってきた。カメラを構える気力もなく、黙々と歩いていると神社へ到着した。
防潮堤の切れ目(防潮扉が開かれた部分)からパチリ。
また、その先右側には海の駅 神社の駅舎があり、ハイカーが休憩していた。
その前には案内板があり、本めぐりのために臨時で木造船みずきを運航するとあった。
が、風雨が強まっていたので私は歩くことを選択し、その先にある御食神社へ向かった。
御食神社には何度も訪れているが、こんなにしっとりとした雰囲気は初めてだ。
新鮮な気分で参拝した。
御食神社を後にすると、しばらくは左側に防潮堤を見ながら歩いた。左へ回り込むように進み、港中学校近くでは
開かれた防潮堤からパチリ。
パチリ。
また、港中学校のグラウンドからは多量の排水が水路へ流れ出ていた。
突き当たりを左折し、鉄工所の前を通過するとその先は民家の間をすり抜けるように右左折を繰り替えした?
途中に庚申塚(?)があったので、パチリ。
側には、この説明板があった。
さらに進むと民家が切れた辺りで、右手遠方に北向き地蔵(目印の木)が見えた。
また、この近くで変わった風景が。一輪車に草などが回収されていた。
船倉排水機場だ。
このルートは初めて通ったが、しばらく進むと見慣れた風景となった。国道23号線 田尻町交差点へ出た。
長い信号待ちのあと、国道23号線を渡り、勢田川を目指した。
お地蔵さんの脇を通り、民家の間を抜けると
勢田川へ出た。左手に国道23号線の勢田川橋が見える。さらに、その先には浜郷神社(栄通神社)の社叢が見える。(そう言えば、しばらく浜郷神社を訪れていない・・・)
そして、進路を右(勢田川の上流)方向にとった。
右手前方には牟山中臣神社社叢が見えている。 牟山中臣神社 にも寄り道した。
牟山中臣神社に参拝してからしばらく勢田川左岸を進むと右手の細い路地への角に次の道標が建っている。そこには「右 さんぐう」とある。
その先には、阿竹の渡し跡の石碑があり、
渡しの代わりに架けられた勢田大橋を渡った。
勢田川の右岸を進むが、ここも遮るものがなく、風雨が容赦なく私を襲った。
しばらく進むと左手に 橘神社 等があるので、ここにも寄り道した。
橘神社への参拝を終えて堤防へ戻ると、その先には二軒茶屋餅の目印になる大木が見えていた。
二軒茶屋に到着すると、まずは川の駅(和船みずきの船着き場)をパチリ。
そして、駅舎をパチリ。
こちらが川の駅 二軒茶屋の駅舎の入口で、奥にはかどや民具館が併設されている。かどや民具館は「まちかど博物館」である。
【参考】 まちかど博物館
さらに、二見街道沿いには二軒茶屋餅がある。歴史を感じさせる古い佇まいだ。
二見街道を渡り、振り返って、パチリ、
パチリ。
二軒茶屋餅の向かいには、地ビールを製造・販売しているレストラン「麦酒蔵(びやぐら)」が。
さらに路地を進むと、右手にはこの建物が。こちらも「まちかど博物館」で味噌溜り蔵資料館だ。
この辺りから味噌のいい香りが漂っていた。雨宿りがてらしばらく香りを楽しんだ。
味噌溜り蔵資料館を振り返り、パチリ。
さらに、味噌溜り蔵資料館の角を右に曲がってしばらくすすんでから振り返ってパチリ。名残惜しい感じだ。
次は河崎の街を目指した。さらに直進すると左前方にはホテルキャッスルイン伊勢とその右側には久志本社の社叢が見えてきた。
コースマップに従い、二見街道を横切ると先ほどの風景は左側へ。
初めて歩く道をしばらく進むと老人ホームの先の細い路地へと誘導された。(二見街道や河崎にはよく足を運ぶが、こんな道は知らなかった。他人が作るコースは新しい発見が多く、楽しい。)
民家の間を進むと見慣れないものが道路に飛び出している。これは何? 解決できないままこの場を後にした。
おぉ、見慣れた河崎の風景だ。
北新橋で勢田川を渡り、
蔵の前の水路と勢田川の間の道を進み、
川の駅 河崎へ到着した。この駅舎にはベンチもあり、休憩しているハイカーが多数いた。
私は駅舎を通り抜け、河崎の街並みへ出た。
先日中止になった古文書勉強会の資料を受けとるため、伊勢河崎商人館に立ち寄り、
その後はひたすら「雨ニモマケズ/風ニモマケズ」でゴールの宇治山田駅を目指した。
河崎の街並みを過ぎ、コースマップに従って路地を左折したらこのゲートへたどり着いた。この場所は先日徘徊中に通った場所だった。「寄り道」や「ふらふら」は役に立つものだ。
ゲートをくぐり、その先の十字路を右折するとこの場所にたどり着いた。この上は近鉄の線路(高架)だ。
レンタカーの駐車場を抜けると宇治山田駅。
やっとゴールにたどり着いた。9時ごろに出発したので、4時間余りのめぐりであった。
今日は悪天候、しかも最後に参拝した御食神社から自宅までは宇治山田駅へ戻るよりもはるかに近い。「途中で帰ろうか?」という誘惑が何度も心をよぎったが、結局ゴールまで歩き通せたことは一つの収穫だった。
この後は、一日を振り返りながら30分ほどかけて徒歩で帰宅した。帰宅後に昼食だ。
(※ レインウェアを着ていたが全身ずぶ濡れになったので、雨対策強化の必要性を痛感した。)
【 20110529の記録 】
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