2012年04月21日(土) 朝熊神社、鏡宮神社ほか(五十鈴川めぐり) (車、徒歩)
本日の予定は、多気町の丹生大師神宮寺春季大祭の見学だったが、朝から雨が降り時折雨足が強くなった。そのため、丹生への訪問は諦めて図書館へ向かった。
図書館では清盛楠(外宮)、実は重盛楠?について調べるために宇治山田市史の資料(市史をまとめるために作られた手書きの資料集)を読んでから(疑問は解決せず)、『街道をゆく』司馬遼太郎、ほか を借りて図書館を出た。
かなり雨足が強くなっていた。なぜか、ふと、お伊勢さん125社まいり「五十鈴川めぐり」の鏡宮神社が雨に濡れている姿が目に浮かんだ。天気が良い神社もいいが、悪天候でも一面だ。
思い立ったが吉日、早速の寄り道となった。(寄り道が大好きな私は、休日にはなるべくカメラを携帯している)
今日は車での移動、黒瀬町の交差点で国道23号線を横切り、鹿海町へ入った。走り(歩き)慣れたルートを進み、堀割橋(五十鈴川)を渡ると鏡宮神社へ向かった。
鏡宮神社は五十鈴川と朝熊川の合流点に位置し、堤防道路(鏡宮神社の五十鈴川側)には木場(内宮造営貯木場)の立札がある。木場はこの場所。今も使われているのだろうか?
そして、堤防道路から鏡宮神社へはコンクリート製の階段で下る。
参道の「定」の立札から
朝熊川の対岸には朝熊神社(朝熊御前神社を同座)の社叢、いや社叢を含む御山が見える。
まずは、
鏡宮神社へお参りした。雨の中、傘を下ろして「二拝二拍手一拝」。
お参りを終えると、正殿の右手を奥へと進んだ。その先には朝熊川へ下る石段がある。
石段を下りてパチリ。石段の奥に見えるのが虎石。
今はかなり川の水が引いているため、この場所からでもパチリとできる。
虎石の前から五十鈴川と朝熊川の合流点をパチリ。
海が満潮の時や増水している時は、この辺の地面は全く見えなくなる。
【参考】 125社(五十鈴川めぐり) (水位が高い朝熊川)
視線を右へ振り、対岸の朝熊神社をパチリ。
さらに、朝熊川上流方向をパチリ。あれに見えるが朝熊橋、朝熊神社へはこの橋が近道(もし、この橋がなければ、川を歩きか船で渡るか、もしくはかなり迂回するしかない。ちなみに、この橋の発注者は「神宮司廳 営繕部管理課」だ。 【参考】 125社(五十鈴川めぐり) )
虎石前の石段を上がり、鏡宮神社の参道を戻るとこの階段だ。堤防道路からこれだけ下がった位置にある。下から見上げるとより高く感じる。
階段を駆け上がると先ほどの朝熊橋を渡った。一人分の幅しかない歩くための橋だ。(ただし、学生は自転車ですり抜けて行った。)
雨に濡れながらも朝熊橋からパチリ。左が鏡宮神社、朝熊川を挟んで右側が朝熊神社。
こちらが朝熊神社(朝熊御前神社を同座)の社頭、水たまりができていた。
石段を数段上がってから振り返ってパチリ。朝熊橋が見える。
右へ折れた石段をさらに上ると
朝熊御前神社、朝熊神社の正殿が現れる。見た目はとてもそっくりの正殿だ。
奥が皇大神宮の第一摂社である朝熊神社(あさくまじんじゃ)、手前が朝熊御前神社だ。ちなみにこの場所の地名は伊勢市朝熊町(あさまちょう)で、神社の名前とは読み方が異なる。そうすると、朝熊川はどちらだろう? 地名と考えると「あさまがわ」? 本来は「あさくま」であったが、地名としては「く」が省略されて「あさま」となり、神社の名前は古来の読みを継承して「あさくま」のままに留まっているのだろうか? 固有名詞とはおもしろいものだ。
まずは、奥の朝熊神社にお参りしてから、続いて朝熊御前神社にお参りした。こちらでも傘を下ろして雨を感じた。
ところで、私は朝熊神社と朝熊御前神社とを容易に判別する方法を知っている。
それは玉垣御門の御柱だ。柱の下部を比較すると、こちらが朝熊神社のもの、
そしてこちらが朝熊御前神社のもの。
これなら明らかに判別できる。朝熊御前は一本の木で構成されているが、朝熊御前神社ののものは台座があるように見える。事実としては把握しているのだが、なぜこの様な構造になっているのかその理由が分からない。私の中での大きな疑問点だ。
「社格説」、「御用材のリサイクル説」などいくつかの仮説をたててはいるのだが未だ検証できていない。
朝熊神社での参拝を終えると車に戻り、堀割橋を渡り返した。もうすぐ田植えが始まる田園地帯から朝熊神社の社叢をパチリ。
そして、その反対側には田んぼの隅にひっそりと佇む加努弥神社が見える。
ズーム、
ズーム。近くに駐車スペースがないので、
反対側の水路付近に駐めさせてもらい、
この辺からパチリ。白い建物の奥に加努弥神社とその右手には朝熊神社の社叢が見える。
少し戻って、加努弥神社へお参りに。車道から短い参道(10mくらい)の先に社標と
「定」の立札。文字は消えて見えないが、よく見ると立体的に文字が浮き出て見える。これはどのような仕組みなのだろう。
加努弥神社でも
傘を下ろしてお参りした。
ちなみに加努弥神社には正殿はなく、石畳があり御祭神は大歳神の御子である稻依比女命(いなよりひめのみこと)、五穀の守護神である。
短いめぐり、しかも車での移動だったが、雨の中のお参りもなかなかいいものだ。