2012年08月05日(日) 仮遷座後の日保見山八幡宮 (ジョギング)
忘れ井・水饗社、大湊海岸にて大湊海岸から大湊の町中への坂道を下ると右手に日保見山八幡宮の境内が広がっている。
ところで、過去の記録を検索したところ、昨年の夏に訪問していた。夏になると海に呼ばれるのだろうか?わたしは・・・
【参考】 日保見山八幡宮 (2011年07月10日 海の日)
余談はこれくらいにし、日保見山八幡宮へ。
境内は周囲の道路から見通しが良く、立派な松が立っている。御神木というよりもシンボルツリーのイメージだ。松の枝が横に伸びて参道を多い、自然の鳥居で参拝者を迎えてくれる。
日保見山八幡宮の説明板はこちら。
参道を進むと建て替えられた新しい鳥居が建っている。その前には由緒がありそな常夜燈。
その右手には、社標。
さらにその右手には御遷宮(御遷座祭、奉祝祭)の掲示。
(実は、帰宅後に前述の「過去の記録」を確認すると、一年前にもこれと全く同じ内容の掲示があった。私はすっかり忘れていたのだ。とほほ。)
ただし、昨年と異なるのは神様が仮殿に祀られていること。
再び、参道へ戻り、由緒がありそな常夜燈をパチリ。
寄進者はこちら。
鳥居をくぐり、手水舎へ向かい心身を清めた。
そこには、「お参りは 左の仮御殿で お願いします。」
参道の正面には切り出して整形された自然石が並べられ、強固な蕃塀を構成している。
まず、その手前左手に続く赤い鳥居を進み稲荷神社へ向かうと、こちらも仮遷座されていた。
参道へ戻り、蕃塀の手前右側から巻き込むように蕃塀越しに見える拝殿へ向かうとこちらも閉鎖。
拝殿横にて、役目を果たした常夜燈を解体している方が見えたのでお話を伺った。
今年の2月頃に仮遷座され、本殿はコンクリート製なので内院のみが造り替えられる。仮殿は保存してあった手水舎の古い枠組みを利用し、板を張った。なお、御扉は宮大工さんが別の神社で不要になったものをリユースしてくれたそうだ。
また、明治40年に忘れ井の場所からこちらへ移され、境内社となっている水饗神社の「水饗」は「みあえ」と読むそうだ。
【参考】 忘れ井・水饗社、大湊海岸
お礼を述べてから拝殿にてお参り。
その後、拝殿をじっくりと見学。
中央に御祭神が記された札が掛かり、
御扉の左手に稲荷神社、
右手に水饗神社が仮同座されている。
稲荷神社は先ほどの写真のように社殿はそのままのようだが、
水饗神社は拝殿も含めてすべてが造り替えられるようだ。目の前には柱を建てる穴が・・・
次の写真の右手に社殿が建てられる。
ただし、「水饗神社」と刻された社標は移動されずに、元の位置を維持していた。
また、こちらは日保見山八幡宮の本殿、コンクリート製だ。
お参りを終えて、参道を戻る途中、蕃塀をパチリ。とても立派な石の蕃塀。切り出したものが整形されている。
表面には鑿や楔の痕がある。
こちらはかなり深い穴が空いているが、何だろう?
鳥居をくぐり、参道を戻りシンボルツリーの松『弥栄(いやさか)の松』を再びパチリ。
来月の御遷座を楽しみに、日保見山八幡宮を後にした。
【 20120805の記録 】
- 志宝屋神社
- 忘れ井・水饗社、大湊海岸
- 仮遷座後の日保見山八幡宮