2012年04月29日(日) 吉野山回遊 前半(近鉄吉野駅~金峯山寺~桜展示園) (電車、徒歩)
『近鉄週末フリーパス』とゴールデンウィーク にて計画した「奈良三昧」の第二日目。
本日の第一目的は金峯山寺の金剛蔵王大権現を拝観することで、それに伴い吉野を散策することにした。
今回も近鉄てくてくまっぷのお世話になった。(感謝)
今回のまっぷは「近鉄 てくてく まっぷ 奈良-32 吉野山回遊[上千本 中千本 下千本]コース」だ。
【参考】
昨日よりは遅く、6時35分に伊勢市駅を出発し、伊勢中川駅、大和八木駅、橿原神宮前駅で乗り換えて吉野駅へ到着したのは9時20分を過ぎていた。橿原神宮前駅から吉野駅まで53分もかかるとは、吉野の遠さを実感した。距離にすれば20kmも無さそうだが、単線で駅数が多いためだろうか?
電車が吉野駅へ到着すると
ハイカーや観光客が続々と降りた。私は最後尾からパチリ。
駅前では、左側に土産物屋が建ち並んでいる。
土産物屋を過ぎて突き当たりにはバス停があり、「中千本行きバスのりば」とある。私は原則徒歩なので、バスのりばを通り過ごし、右手の奥にある
吉野ロープウェイ千本口駅へと向かった。と言っても、ロープウェイに乗るわけではなく
千本口駅の右側に続く山道へと向かうためだ。
千本口駅と通り過ぎ、山道へ入ると新緑のもみじのトンネルだ。日常を忘れてしまうほどの清々しさだ。葉っぱを透ける淡い光、風にそよぐ葉々の間から差し込む眩しい光、陽の光がさまざまな表情を見せてくれる。
するとロープウェイが動き出した。
私はゆっくり、ゆっくりと登り始め、最初に視界が開けたところがここだ。
中心に幤掛神社があり、
その右手には幤掛桜が立っている。
そして、左手には幤掛行者堂がある。さすがに吉野だ。
この近くに「七曲坂」の石柱が建っている。「七曲坂」は舗装されている。幤掛行者堂の左手には別ルートでハイキング用の山道もあったが、行きは「七曲坂」を体感するために舗装道を選んだ。
何度も折り返しながら進むと、またまたロープウェーが・・・
これはイトトンボ?
さらに登ると何回折り返したか分からなくなった。「七」以上?
そして、七曲坂を登りきった場所がここだ。
石柱の正面には、「右 吉野驛」および「吉野神宮 左十三町」とある。
また、この近くには祠があり、その脇に道標が建っている。その道標には「右 いせ・・・ 左 かうや・・・」とある。
また、木製の道標はこちら。
この付近の調査を終えるとすぐ近くに見えている朱塗りの大橋へ向かった。
こちらが大橋で、
橋の袂の説明板を読むと
大橋
この大橋と呼ばれる橋は、形こそ普通の橋と変りませんが、一般の橋とその成りたちの相違に注意していただかねばなりません。その証拠に橋の下に流れる水がないばかりか、地形のもっとも高い所にあって、両側が谷になっています。これは、天王橋(竹林院前)今は無くなった城橋(じょうのはし)(水分神社裏)とともに、いわゆる吉野三橋のひとつで、元弘三年(1333)大塔宮護良(もりなが)親王が北条幕府方に対し、吉野城にたてこもったときの空堀に架る橋なのです。
だからこれはただ単なる橋とは見ずに、むしろ橋の下の空間が、昔のいくさの戦略的な意味があるとして、注目する必要があるわけです。
もっとも大橋も自動車の通行がはげしくなるにつれて、昔ながらの木の橋がいたみがひどくなったので、下の空間を埋めて鉄筋コンクリート造りとなり、橋の反りによって往時のよすがをしのぶにすぎなくなりました。
吉野町観光課
の通り、橋の下に特徴があるようなので、こちらをパチリ、パチリ。
確かに水の流れは皆無だ。
大橋を渡り、吉野ロープウェイ吉野山駅の前を通り過ぎた。ロープウェイなら5分もかからないだろうが、私は七曲坂を歩き、寄り道しながら30分ほどかかった。10時だ。
「関屋桜跡」の石柱を右手に見ながら進むと
その先には金峯山寺の総門(黒門)が現れる。
黒門をくぐるとかなりの勾配がある坂道となり、そこにも土産物屋などが軒を並べている。
振り返って黒門をパチリ。
黒門からしばらく坂道を歩くと右手に山門が見えた。
こちらは弘願寺。山門前に手書きの広告板を置いたり、境内で多数の商品を販売したりと一般的なお寺のイメージとは異なった。運営方針はかなり現代的なのだろうか?
弘願寺を出てさらに坂道を進むと前方左手上方に鳥居が見える。
これが金峯山寺の銅鳥居(かねのとりい)だ。
この鳥居の扁額には「発心門」と陽刻されている。
こちらが案内板で、
こちらが柱。比較対象がないので分かりにくいが、直径は1mくらいだろうか? かなり太い。
興味深いのは、銅鳥居の前に建つ「材木 商人中」による常夜燈。
鳥居をくぐり参道を進むと金峯山寺仁王門、さらにその右方向には蔵王堂の屋根が見えた。
【参考】 金峯山修験本宗 総本山金峯山寺 (公式ホームページ)
仁王門の下でパチリ。「特別ご開帳」の立札が新鮮だ。
しばらくの間、仁王門を見上げてから石階を登り、振り返ってパチリ。
こちらが仁王門と仁王像。
仁王像の足元には大きなわらじが置かれ、わらじおよびその周辺には多数のさい銭が投げられていた。
仁王門をくぐると、さらに「特別ご開帳」の掲示、JR東海のポスターも貼られていた。
整備された参道を進み、
石階を上がると視界が開けた。
今回対面できる「金剛蔵王大権現立像」を思い描きながら
蔵王堂前の受付に列んだ。
受付では、次のパンフレットと
「奉修蔵王権現特別祈祷家内安全所願成就如意祈修(金峯山寺)札」をいただいた。
蔵王堂内は撮影禁止なので、しっかりと脳裏に焼き付けよう努力した。
蔵王堂では内院での拝観が可能となっていたが、法要の時刻となってしまい、私たちは列んでいたにもかかわらず内院へ入ることはできなかった。法要には二時間ほどかかるそうなので、内院での拝観は諦め、内院外の真っ正面から対面することに方針変更した。「金剛蔵王大権現立像」に対座している多数の参詣者の後部に回り、自分が最前面に移動できるまでじっと待っていた。しばらくすると「金剛蔵王大権現立像」と対座することができた。照明が落とされているため、CMで表現されているほどの青さは感じられないが、彩色された立像は力強く、今にも動き出しそうだった。
これで本日の目的は達成できた。あとは、吉野山を歩きまわることにした。
蔵王堂を出て撮影禁止が解禁されたの一枚パチリ。
金峯山寺の境内を散策した後、蔵王堂を正面からパチリ。
金峯山寺を後にしようと来た道とは別の参道の石階を下りようとすると右手に常夜燈、その前に「村上義光公忠死之所」の石柱が見えた。パチリ。
この場所は蔵王堂の正面と思われる二天門があった場所だそうだ。そして、(村上義光(よしてる)は後醍醐天皇が鎌倉幕府討伐を企てた元弘の変において護良(もりなが)親王の身代わりとなって蔵王堂二天門上で自害した人物。
石階を下ると、左手に鳥居が見えた。
こちらは、後醍醐天皇導きの稲荷(導之稲荷社)がある。
導之稲荷社にお参りを済ませて、さらに進むと右手に東南院の山門が現れる。何も考えずに門をくぐった。(身体が反応した・・・)
境内にて門の脇からパチリ。奥に写っているのは多宝塔。
こちらが東南院の境内にあった案内板。
なお、東南院の前に吉水神社への鳥居が見えたが、吉水神社へは帰りに寄ることにして勝手神社へ向かった。
勝手神社へ到着すると、鳥居の下には板が張られ、「境内危険 立入禁止 勝手神社 宮司」の札が立てられていた。
側面から覗くとこんな感じで、境内は荒れた状況だった。社殿が倒壊しそうなのだろうか?
【追記】
後半の記録を作成中に、吉水神社のホームページを読んだところ、勝手神社に関する次の記述があった。次の一文を引用させていただいた。なお、吉水神社のホームページには、『勝手神社再建ご協賛 趣意書』もPDF形式で掲載されている。
勝手神社について
勝手神社は、平成十三年九月二十七日に残念なことに、不審火により焼失しました。現在、吉水神社の境内に勝手神社を仮遷座しております。
このような貴重な文化財を再建し、後世に遺したいと切に望み、皆様のご理解と心からの
ご浄財、ご協賛を賜りますよう、ここに懇願申しあげます。
ご寄付に関してはTEL:07463-2-3024 宮司:佐藤 素心(一彦)までお願いいたします。
境内に入れないのだから仕方ない、気を取り直して右側の坂を上り始めた。「右 大峯山上道」の石柱があり、その隣には「左 御陵 如意輪・」の文字が見えた。
坂を上るとその途中で左へ巻く道があったので風景を見ようと寄り道。その風景がこれだ。パチリ。
再び、坂へ戻ると、坂の名前が刻まれた石柱が建っていた。「宮坂」
坂を上りきると左右には多数の供養塔や記念碑等が建っている。
その左奥には「宿坊 喜蔵院」がある。
山門をくぐると、その左手にこの玄関がある。立派な屋根だ。
案内板には「ユースホステルの指定を受け」の記述があるが、(財)日本ユースホステル協会のサイトでは検索できなかった?
【参考】 (財)日本ユースホステル協会 (公式ホームページ)
喜蔵院の境内はそんなに広くないが奥には御堂があり、そこには多数の講札等が掲げられている。さらに、壽稲荷大明神、大峯龍神、牛頭天王も祀られている。
喜蔵院での見学を終えて、先へ進むとすぐ近く左手に「天武天皇 持統天皇 勅願所 櫻本(さくらもと)坊」と刻された石柱が建っている。
案内によると桜本坊は「天武天皇が桜の吉夢を見て建てられた古刹で・・・」とある。
山門の正面で本堂の拝観(400円)を受け付けていたが、先を急ぐため今日はパス。
本堂の前でお参りし、パチリ、
パチリ。
続いて訪れたのは、これもすぐ近くの竹林院。
こちらの庭園「群芳園」は次の看板にあるように「大和三庭園の一」とある。
帰宅後に調べたところ、大和三庭園とは「大和郡山 慈光院の庭」、「當麻寺 中之坊」そして「こちら「吉野山竹林院の群芳園」とのこと。
【参考】 吉野山 旅館 竹林院群芳園 (公式サイト)
ホームページにもあるように旅館の一部として運用されており、右手の建物は旅館のフロントや客室として利用されている。
上の写真の左手には庭園「群芳園」への受付がある。その手前に説明板があったのでパチリ。
こちらの受付で300円を支払い、
次の拝観券を受け取り、庭園へ入った。
本来、池の周囲を撮影すべきだが、いまいちその良さが分からなかったので、別のパチリを3点。
まずは、「龍吟之松」
そして、 「本堂への渡り廊下付近」
最後は、御泊所の屋根の越屋根(うだつ)。これは煙突で今は使われていない。なお、旅館の従業員は登ったことがないそうだ。(庭園の受付のおじさんに聞いた。)
庭園の散策を終えて竹林院を後にした。
竹林院の先は三叉路に出る。ここには橋?がある。もしかすると大橋の説明板で紹介されていた吉野三橋の一つである「天王橋(竹林院前)」ではないか。橋の先の高台の上にある社へお参りするとそこには「大梵天王」と刻された常夜燈が建っていた。これは「天王橋」であると確信した。
マップに従いさらに進むと先ほどの分岐を左、そしてこの分岐を右へ、坂道を上った。
この坂は「猿引坂」。
上りきると桜展示園への分岐があった。昼食のため桜展示園へ。
ほとんどの桜は花を落としていたが、こちらの近くでパンを口にした。今日は恒例のおにぎり三個ではなく、山崎製パンのランチパック2個。
しばし休憩してから吉野分水神社を目指した。
【 20120429の記録】
- 吉野山回遊 前半(近鉄吉野駅~金峯山寺~桜展示園)
- 吉野山回遊 後半(桜展示園~吉野水分神社~如意輪寺~近鉄吉野駅)