2012年08月15日(水) 大和三山回遊、その2(畝傍御陵前駅~香久山~天香山神社) (電車、徒歩)
今日は大和三山周遊、この記録は 大和三山回遊、その1(橿原神宮前駅~畝傍山~畝傍御陵前駅) に続き、畝傍御陵前駅の東出口からスタートだ。
なお、利用したマップは、いつもお世話になっている近鉄のてくてくまっぷ-奈良19「大和三山回遊コース」だ。今回はほぼマップに忠実に歩いたので、マップとの対応は一目瞭然。
【参考】
東西連絡通路の階段を上り、畝傍御陵前駅の東出口から地上へ出た。
振り返って畝傍山をパチリ。これからしばらくは畝傍山を背にして直進だ。
駅前のコンビニを探しながら駅前の道を進むと次の交差点で歩行者用信号が赤に変わりそうだったので駆け足で横断歩道を渡った。
振り返ると左後方にコンビニ「LAWSON」があった。ルートに間違いなし。
しばらくは左に耳成山を見ながら前方の香久山を目指した。
大和三山に囲まれているのだが、前方の香香久山はどこだ?
振り返れば、畝傍山だ。
そんな感じで歩いているとあっという間に本薬師寺(もとやくしじ)跡に到着した。この右手が本薬師寺跡だ。
道標の下には作家の黒岩重吾さんの書による大伴旅人の歌が刻された碑文が置かれていた。
わすれ草
わが紐に付く香久山の
故(ふ)りにし里を忘れむがため
道標を右へ入るとたくさんのカメラマンがいた。まず、私は左手の本薬師寺跡を見学した。
敷地の左奥には史蹟元薬師寺阯の石柱があり、
その前面にも礎石、
さらに、御堂の前にも多数の礎石が等間隔に配置されていた。
ただし、礎石の形状はひとつひとつ異なっている。削られた部分は触っても滑らかだ。
この南側に西塔跡および東塔跡があるので、そちらへ向かうと薄紫の花が咲き乱れていた。先ほどのカメラマンはこの被写体を狙っていたんだ。私にとっては塔跡を見学するのが優先事項なので、右手に見えるこんもりとした盛り土(多分、西塔跡)を確認した。
畝傍山を背景にパチリ。通路が見当たらなかったので、
反対側にあり大きな木が生えている盛り土へ向かった。あちらは東塔跡に間違いないだろう。
盛り土部分へ踏み込むと多数の礎石が確認できた。これらは塔の礎石すべてが残っているのではないかと思えるほどの数だった。
特に、この中心部分では水草が育っているが、
心柱が納まる穴、つまりこの礎石は心礎ではないだろうか?
近くの祠からパチリ。
後で分かったのだが、ここは城殿町霜月会が主催する『ホテイアオイの定植農園』であり、これらのホテイアオイはうねび北小学校の2年生が植えたそうだ。思わず撮ってしまった。パチリ。
東塔跡の礎石を確認したので、西塔跡と思われる盛り土の近くへ戻った。
盛り土の周囲をうかがっていると通路を発見。
こちらの礎石は一基のみ、東塔跡と比べると寂しいものだが、この一基がわりと大きい。
パチリ。
これで、本薬師寺跡の見学は終わったので、しばしホテイアオイ・タイム。 何枚かパチリ・・
本薬師寺跡を後にして道標まで戻ると
民家の壁に次のものを発見。「隣組交通安全五則」とある。いつの時代のものだろう?
- 交通安全は、家庭から
- 飲酒運転は、事故のもと
- 他人の子も、我が子と思い一声を
- 夜道は明るい服装で
- 暴走は、しない、させない、見に行かない
今なら「飲酒運転は、破滅のもと」くらい厳しい表現になるだろう。「暴走族」は目にしないし・・・
ここからしばらく進むと左手に社叢が見え、明らかに神社のようであった(帰宅後に調べたら、木殿神社)が、今日は寄り道をしないと決めていたので、ここは我慢。左へ振った顔をもとに戻して直進した。
近鉄 畝傍御陵前駅の東出口から真っ直ぐに東へ歩いてきたが、
新河原橋で飛鳥川を渡ると
右へ曲がった。とはいえ進行方向はほぼ東方向だ。 橋の近くに地蔵堂があったので、2分だけ自分に許可して、寄り道となった。(寄り道皆無は難しい・・・)
このサイズの祠と左側にはもっと小ぶりは祠が並んでいる。こちらは左から「釈迦」「子安地蔵尊」「地蔵尊」が祀られている。
歩道へ戻り飛鳥川沿いに進むと右手に次の橋、上飛騨橋が現れる。橋の手前を左へ進むと
道路から少し奥まったところに
庚申塔と地蔵が祀られている。かなり手入れされている感じだ。
さらに歩み進めると右手に上飛騨町集会所、
さらにその先左には橿原市上飛騨町の社名標があった。
左右に田んぼを見ながらしばらく歩くと、
道路は水路と交差し
水路の奥にはテニスコート(明日香テニスコート)が広がっている。
そして、明日香テニスコートを過ぎると、
その先の広場は
紀寺跡だ。
一部に土が盛られた部分はあるものの、伽藍の配置等は想像することもできない状態だ。
ただの広場・・・
紀寺跡を後にして、新しくて古そうな住宅の前を過ぎると
その先は角に法然寺が建つ十字路だ。
十字路の角の道標を確認(とはいえ、文字は読めなかった)してから
法然寺の山門をくぐった。
御堂の前にてお参り。
御堂の扁額を確認すると「香久山」の文字がある。が、この理由は後で分かる。
お参りを終えて、法然寺を後にするとマップに従って進んだ。途中、山門をパチリ。
隣の建物の屋根をパチリ。
そして最後に法然寺の案内板をパチリ。
圓光大師第十番霊場
浄土宗 香久寺 法然寺
ここに、先ほどの扁額の文字「香久寺」が現れた。
進むべきルートはバイパス道路と交差していた。
道路の標識は次のようになっているが、マップのルートは左でも、右でもなく、直進だ。
交通量の多い道路を注意しながら渡ると次の丁字路まで直進だ。 実は左に見えているのが香久山なんだが、この時点では気にしていなかった。
天岩戸神社への道標で左折すると、
鞄工房 山本の看板を右手に見上げながら
直進した。すると突き当たり右手に天岩戸神社の社標と鳥居、常夜燈が建っている。
人の気配が感じられない(参道に笹が倒れた状態で放置、手水石の手ぬぐいが汚れているなど)境内へ進み、
拝殿へ向かった。
すると、拝殿の前には次の説明書き。
拝殿にてお参り。
格子戸越に御垣を望むが、
説明書きにある「天照大御神が幽居されたとされる巨石四個」、さらに「毎年七本ずつ生え変わるとされる真竹、七本竹」を確認したくなった。
拝殿の脇へ回ると踏み跡があり、自由に入れるようだったので玉垣の手前までお邪魔した。
御扉の後方には確かに巨石があった。(ただし、四個であるか数は不明)
そして、ここに見える竹が七本竹だろう。
天岩戸神社でのお参りを終えると来た道を少し戻り、次の丁字路を左折。
後は道なりに進み、迷ったところで、柿の木と電柱に貼られた「香久山登山道」の矢印シールに助けられた。安心して直進すると
舗装路が地道へ変わり、
竹林を抜けた。
すると視界が広がった。再び森の中へ入るところに
次の注意板が立てられていた。香久山頂上へのルートは左。
斜面を登り始めるとすぐ近くに伊弉冊神社(下の御前)が祀られている。お参り。
「下の御前」があれば「上の御前」のあるのだろう! 中は・・・・ 想像は止まらない。
ハイキングコースのような山道を進むと
次の道標が現れた。
さらに登ると分岐となり、そこには
香久山国有林および香久山国有林植樹寺行完成記念の説明板が建っていた。
そこはこの様な分岐で、目指すは山頂、右側だ。
山頂へは全然問題なく到着。前方には神社の拝殿が見えた。
そして、木々の間から見えたのは畝傍山。あそこから歩いてきたんだ。
さらに、ズームでパチリ。
近くに眺望の図があったので、対象を見ると二上山も見えるはずだった。
方角的に適当な場所を探すと、「見えた。見えた。二上山だ。」
二上山を初めて見たのは、山の辺の道を歩いた時に桧原神社からだった。
【参考】 桧原神社(大神神社 摂社)
眺望の堪能を終えたところで、香久山の山頂に祀られている国常立神社(くにとこたちじんじゃ)にお参りした。
拝殿の柱が倒れそうで怖かったので、拝殿の下は通らずに
右手の手水石、説明板の前から
祠の前へ移動した。こちらでお参り。
戻るときも拝殿の下はくぐらずに、ここで左へ移動した。
もう一度香久山の山頂をパチリ。
来た道とは反対側へ歩を進めた。
左手のすぐ近くの木の幹には山頂標「天香久山152.4m 大淀独歩会 H23.1.23」が掛けられていた。
山頂を極めれば後は下るのみ、一気に駆け下りた。
左手の視界が開けると
天香山神社はすぐそこだった。
山道を下りきり、参道へ出るとまずは手水舎、
続いて、天香山神社の拝殿へ向かう鳥居の前、左手に設置された「明治天皇遥拝所」
そして、鳥居をくぐって
拝殿へ向かった。
消火器の赤いボックスが目立つ入口から
拝殿へ入り、お参りした。
小さな祠も見える。
お参りを終えて鳥居をくぐり返す時、
鳥居の貫に積まれた石をパチリ。
さらに、参道を戻ると天波波迦の石と波波迦の木や歌碑が並び、
その向かいには新しい建物が建っている。社務所かと思ったが、その玄関には
新農業構造改善事業 出屋敷構造改善センターの札が掛けられていた。
この名前の社務所だろうか?
天香山神社を出てパチリ。
定めも。
さらに、次のコースを向いてパチリ。
坂道を下り始めると、天香山神社の敷地に天香山埴安傳稱地道の石柱を発見。
ここまでで、本日の旅程の3分の2が終了した。
次は大和三山最後の耳成山を目指した。
【 20120815の記録 】
- 大和三山回遊、その1(橿原神宮前駅~畝傍山~畝傍御陵前駅)
→ 橿原神宮 - 大和三山回遊、その2(畝傍御陵前駅~香久山~天香山神社)
- 大和三山回遊、その3(天香山神社~耳成山~近鉄 大和八木駅)