2012年09月29日(土) お伊勢さん125社 外城田めぐり、田丸めぐり+1 (車、徒歩)
先日も長谷の車田へ向かうために県道13号線を走っていると原交差点付近から朽羅神社の社叢が見えていた。走りながらに見ることはあってもなかなかお参りする機会をつくれないでいた。
台風が近づいているが今日雨の確率も低かったので、伊勢さん125社まいりを実施することにした。今回は先ほどの話題になった朽羅神社をめぐりルートを選択し、さらに欲張りなコースを設定した。
財団法人伊勢神宮崇敬会の分類によるカテゴリー(本ブログでも採用)では、外城田めぐりと田丸めぐりの各神社、さらに小俣めぐりに分類されている狭田国生神社にお参りすることにした。
今回はスタートとゴールを玉城町役場に設定し、その駐車場に車を置かせていただくことにした。
8時前に到着し、早速スタートした。
駐車場の近くにある田丸城址の堀には大賀ハスが・・・。
「史蹟 田丸城址」石柱の回りにはヒガンバナが満開の状態になっていた。
お城広場の前を通り、田丸神社の前で左折した。
今日は長丁場なので田丸神社には立ち寄らずに上りの坂道を進んだ。
後で思い出したのだが、田丸神社にお参りしてから裏の参道を下してから玉城町総合グラウンド側へ回り、玉城町中央公民館の前を通るルートがある。
【参考】 近鉄 お伊勢さん125社めぐり(第11回外城田7社)
今回は下田辺(しもたぬい)交差点経由することになったが、
この交差点を直進せずに右折して、右手に玉城町総合グラウンドを遠望しながら進み、
次の交差点、下田辺北(しもたぬいきた)を左折した。
しばらく、民家の間を歩くと右手に大きな常夜燈が建っている。ここを右折するとその先には私がお気に入りの坂手国生神社が待っている。 右折してから振り返って常夜燈をパチリ。
常夜燈を背にして先へ進むと、右手には竹林の間から牛尾崎池の水面がキラキラと輝いていた。右側からの朝陽を感じているとほどなく坂手国生神社に到着した。
参道は石畳の坂道で、石と石の間には苔が生えている。
手水石を過ぎると社殿はもう目の前だ。
久々のお参り。
坂手国生神社にてお参りを済ませると先ほどの常夜燈まで戻ってきた。その近くのカーブミラーには「羽根」の地名板が取り付けられている。
ここを右折して道なりに進むとJR参宮線 外城田駅近くの棒原(すぎはら)神社へと向かう。
「羽根」の地名板から歩き始めると高木が目立っていたのでパチリ。
さらに、その先の畑ではナスのような葉っぱの野菜? 花の大きさや形状がナスとは異なる。これは何だろう?調べてみたが不明
さらに歩を進めると墓地の手前の小高い場所に正念僧・人柱供養碑塚がある。
その先左手には山神さん。
この近くで白いヒガンバナを見た。先週、母からピンクや白色のヒガンバナの存在を聞いていたが、それが証明されたことになる。
形状はヒガンバナだが、どうもピンとこない。やはりヒガンバナは鮮やかな朱色のイメージが強烈過ぎるのだ。
しばらくすると右手に山神さんが祀られており、その近くから棒原神社の社叢の遠望できる。
歩みを進めると社叢は徐々に大きくなり、
カメラのフレームに広がるほどになった。
橋の先の丁字路を左折して、棒原神社の社叢を過ぎたあたりで右折すると集落の中へ入って行く。
「朝久田」の地名板が付けられたカーブミラーで右折すると
その先には、棒原神社への石階が見える。民家の間を進み
石階を上ると踊り場の先にさらに石段が続く。
その石段を上りきると天辺には棒原神社が祀られている。
棒原神社でお参りを終えて石段を下ると眼下には広がるのはこの光景だ。
間近には民家の屋根、その先には田んぼ、さらにその先右手方向には次のめぐり先である蚊野神社の社叢が見える。
石階を一気に下り、先ほどのカーブミラーで右折すると常夜燈の先にはJR参宮線の前川踏切が見える。
踏切を渡り、直進するとその先が蚊野神社だ。田んぼの中の道を進み、外城田川を越え、
まっすぐに進むと竹やぶの先、右手の道路脇に山神さんが祀られている。
ぼやぼやとして歩いていると見落としてしまいそうな佇まいだ。
山神さんの向かい側は蚊野神社の社叢で、次の変則十字路を左折すると
蚊野神社の境内入口となる。
境内入口の向かいはこんな雰囲気だった。
改めて蚊野神社の参道に正対すると、石段の先には蚊野神社の社殿が見える。
短い参道を進むと鳥居の周囲には多数の苔が生えている。
こんな感じだ。
蚊野神社にてお参りを終えて境内から出ようとすると左手から私を呼ぶものがあった。
それは紀州藩が建立したとされる「禁殺生」の石柱。蚊野神社の社名が刻された面は参道の裏側になっているため、参道から少し外れさせていただき、パチリ。
蚊野神社を出て右へ進むと先ほどの変則十字路。右側は来た道なので、直進(と言っても蛇行する感じ)。
道なりに進み突き当たりの丁字路を右折すると坂を下る。左手に次のコスモス畑が広がっていた。
コスモス畑の先を左折すると、ほぼ前方につぎのめぐり地である御船神社の社叢が見える。(右より)
この途中で、牛の飼料作りの現場に遭遇したので、それについては別記事に掲載
【参考】 牛の飼料作り
牛の飼料作りの現場を過ぎてしばらくすると左手には朽羅神社の社叢が小さく見える。
一方、当面の目的地である御船神社の社叢はロックオン状態なので、田んぼ内の適当な農道を選択すると、この橋に出る。この橋の先は左右へ分かれる坂道となっている。どちらへ行っても構わないが左側の方が御船神社への参道には近い。
御船神社の社叢へ近づくと、その前には工事用のコーンが多数。側溝と石垣の間にコンクリートが打設されていた。
いつ訪問しても立派な常夜燈、自然石の持ち味を活かした豪快さが素晴らしい。
石段を上るとその先に、 御船神社。こちらには牟弥乃神社が同座されている。
お参りを終えて、石段を下りるとその先はこの風景だ。遠くに朽羅神社の社叢が小さく見える。(次の写真の中央下側)
朽羅神社の社叢を目印に田園地帯の農道等を進むと外城田川農業センターの前にたどり着いた。
この前に架かる橋で外城田川を渡ると
川沿いに朽羅神社を目指した。ところがこの農道は草が生え放題で膝まで埋まるほどだった。
以前歩いた時は草もなく歩きやすい場所だったが、季節によっては別のルートを選択した方が懸命だ。例えば、真念寺を経由するルートだとほとんど舗装路だ。
【参考】 外城田めぐり
今回は足で草をかき分けながら進み、きれいに草が刈られた場所へたどり着いた。ヒガンバナとともにパチリ。
朽羅神社がどんどん近づいてくる。
左へ折れると
社域の入口にたどり着く。
右方向へカクカクと折れ曲がる参道を進み、朽羅神社にお参りした。
まだまだ先は長いので早々に朽羅神社を後にすると、
先日朽羅神社の社叢を見つめた原交差点へ向かった。途中で、左手に見える社叢をパチリ。
こちらが、県道13号線の原交差点。
交差点を横断し、直進することもできるが、今回は次の十字路を左折した。
民家の間を進みと変則の?字路へ出る。その角には「国束寺観音道」の道標が建っている。
ここを右折して道なりに進むと左手に原公民館が現れる。
さらに、道なりに進むと
幸神社へ通じる道路と交差するので、その交差点を左折した。
しばらく、片側一車線の車道の端をトコトコと歩くと「アスピア玉城」の案内板が現れ、
さらに直進すると右手に池が広がり、多数のカモがいた。
池を後にして、幸神社へ向かった。幸神社はお伊勢さん125社ではないが雰囲気の良い神社だ。改めて確認したことは、拝殿の屋根は瓦葺だということ。
社務所には「幸神社」「さいのかみ」と書かれている。
お参り後、社務所裏にあるトイレをお借りしてこちらを後にした。
道路側の常夜燈の近くには新しい案内板がある。
幸神社を背にして伊勢自動車道が走る右方向へ曲がった。コスモス越しに津布良神社(つぶらじんじゃ)の社叢を遠望。
さらに進み、「積良(つむろ)」の地名板とともに社叢をパチリ。社叢が大きくなった。
さらに近づき、
坂道を上ると右側にはガードレール、それが鉄製手すりに切り替わると坂道が急になる。
参道は社叢を左に巻くように進む。途中右手には小さな石製の祠がある。ここからお参り。
参道をさらに進むと
手水石、石階が現れる。
人が通っても払われない適度な高さに張られた蜘蛛の巣の下をくぐり、石階を上ると
その先には広い空間が・・・。
お参りを終えて、石階を下ると前方から車が走る音が聞こえてきた。
すぐ近くに伊勢自動車道が走っている。
先ほどの鉄製手すりまで戻ってパチリ。
この後は、幸神社近くの十字路まで戻った。
次は田乃家神社へ向かうため、十字路を右折して、次の角を左へ進んだ。
この辺で空の機嫌が悪くなってきた。雨が降ると食事もままならないので、休憩することなく歩きながらの食事となった。恒例のおにぎり三個。二個目のおにぎりを食べている時、左手の橋の端に石仏を見た。
近づいてみると道路を背に田んぼに向かった石仏が橋のたもと下に建てられていた。しきみが供えられ、いまも大切にされている。
おにぎりを食べ終わるころには、田乃家神社の近くへ到着した。前方が社叢なので、
道路から左へ入ると参道の入口となる。
参道はまっすぐに延びているが、
社殿の直前では数本の杉が直進を遮っている。
杉の大木を避けるように進むと、こちらが田乃家神社。田乃家御前神社を同座している。
田乃家神社にお参りした後、社殿の前に建つ社標から東へ延びるもう一つの参道を進むと
そこはまさに苔のじゅうたんだった。フカフカの苔、足の下にするのが申し訳ないほどの芸術品だ。苔に衝撃を与えないよう、優しくゆっくりと歩を進めた。突き当たりを右へ向かうと先ほどの参道入口近くへ戻った。
今回のコース取りでは幸神社付近から田乃家神社へはピストンになるので、田乃家神社を後にすると幸神社方向へ戻った。
左手に携帯電話の電波塔が見えると左折の印だ。電波塔の前を通る坂道へ左折すると
坂の上には積良・山神共同墓地がありその前には次の道標が建っている。これから「右 山神」方向だ。
また、この道標の向かいには、藁がキレイに積まれていたので、思わずパチリ。
山中に御座す鴨神社を目指すため、道標の指示通りに山神方向へ坂道を下ると変則の交差点だ。X字路? 片側一車線の道路を斜めに横切るように直進した。
山神の家並みを進むと左手に祠、常夜燈があり、
その前には立派なお堂が建てられている。
その前には「山神」の地名板。
お堂の前の十字路を右折すると立派な土塀が続き、
その先左側には山神公民館が建っている。
さらに道なりに直進するとその先は竹やぶとなっていて、その中に林道が通っている。林道の入口には鉄の鎖が掛けられ車両は進入できない。
林道の入口の右手を見ると新しそうな道標がある。
「左 皇大神宮摂社 鴨神社 参道」
参道を歩き始めると両側から倒れた竹が×状態になっていた。
「入るな!」の合図とも思えたが、お構いなく先を急いだ。
林道が終端は伊勢自動車道の下をくぐるトンネル「勢和多気40」、
薄暗いトンネルを抜けると、その先は山の中だ。
ガードレールに従うと右方向へ進んでいるが、鴨神社への参道は左(直進)方向だ。
現在は薮が生い繁り探さないと見えないが、実は「左 鴨神社」の道標が建てられている。これだ。
道標を過ぎるとしばらくの区間は草が背を高くしている。疑いもなくこの先へ進むと
山道となり、草の姿はほとんど見えなくなる。そして、ここで二度目の分岐となる。ここも左だ。こちらの道標は一目瞭然。
左の山(参)道は坂道となり左へ曲がっている。坂を登りきると
分岐となる。ここは右だ。左へ向かうと山神の集落へと戻ってしまう。
しばらく水平路を進むと水の流れる音が聞こえ、坂道となる。
最初の分岐を右方向へ向かうと見慣れた神宮司庁の定札が現れる。その下には鴨神社の社標も確認できる。
参道へ向かうとこの様に苔が敷き詰められた状態にある。
拡大するとこんな苔だ。立体的で生命を感じさせる。
参道を進み石階を上るとここが鴨神社。
近くには「氷室洞くつ」があるが、今日はお参りする神社の数が多いため、鴨神社でのお参りを終えると早速に山を下ることにした。
先ほどの上りで新しいルートを見つけたので、道標の矢印に従い「的山駐車場」まで駆け下りることにした。
靴紐を締め直し、一気に駆け下りた。
途中は張り出した木の根に注意すれば特に問題なく下ることができたが、下りきるとこんな状態で足元は下草で道筋が見えなくなっていた。
ただ、前方には駐車場へ通じるような空間が見えているので特に不安なく進めた。駐車場付近まで来ると椎茸栽培のほだ木が並べられていた。
駐車場の前を過ぎ、伊勢自動車道下のトンネル「勢和多気42」をくぐると、
その先には柿畑が広がり、
その左側の道路を道なりに進んだ。
的山公園方向からやってきたので、的山公園第2駐車場方向へ向かった。
第2駐車場前を通り過ぎ、片側一車線の道路を横切って道なりに進むと左側には美和ロック玉城工場の敷地が広がっている。
美和ロックの工場を過ぎてからもとにかく直進すると、「玉城苑」地名板がある。ここで横断歩道を渡り
さらに直進すると、宮川用水の田宮寺操作所にたどり着く。ここを右折して田宮寺。
田宮寺操作所の前を通り、坂道を上ると右折した先に田宮寺がある。
田宮寺の前には田宮寺神社があるのだが、今回新しくなった本殿が見えたので、
田宮寺神社については別の記録にまとめた。
田宮寺を過ぎてすぐの角を左折し、
突き当たりを右折、その先を左折してこの場所に出る。右側の道を左に巻きながら進むと
鋭角に折り返す坂道が現れるので、坂を上り道なりに進むとこの場所へ出る。
トンネルを抜け左折すると 「スローフードレストラン 旬菜 野の花亭」の看板があるので、その左側にある細い道を進むと
鴨下神社の社叢が見えてくる。
ほどなく、鴨下神社に到着し
参道へ入った。
鴨下神社にお参りした。御扉の前には一枚のカワラケ(土器)が置かれていた。
何がお供えされていたのだろうか?
お参りを終えると鴨下神社を後にし、
社前を左へ向かい、しばらくまっすぐ進むとこの風景に出会った。前方には玉城ふれあい農園が見える。
いちごハウスの間の道を進み、アスファルト舗装が切れた未舗装路へ足を踏み入れるとさらに前方へ進んだ。
その先は、勝田の大池の北側の道路だ。左へ向かい信号を右折すると
右手には大池から流水路が見えた。
大池と反対側へ向かうと林の中に踏まれた道がある。薄暗い中へ進むと
道なりに直進し、突き当たりを右折、次の丁字路にたどり着く。ここだ。
ここを左折し道なりに進むと
奈良波良神社の近くへ出る。この辺も草が生え放題だ。
草を踏みつけながら進むと、奈良波良神社の参道入口へたどり着いた。
珍しい下りの参道を進むと
下りきったところが奈良波良神社だ。
お参りすると早々に奈良波良神社を後にした。
来た道とは逆方向へ進むと
坂道を上りきった場所に広瀬精工(株) 玉城工場の看板が立っている。
この後、小社神社までしばらく道なりだ。片側一車線の道路を歩くことになるが、歩道が無いので車には注意が必要。
黙々と順調に進むと
小社神社の社叢が見えてきた。まだ小さい。
これからしばらくは直線道路なので、周囲の風景を楽しみながら歩いた。白いヒガンバナを見つけたので、小社神社の社叢とともにパチリ。
しばらくすると歩道に黒い粒が点々と・・・。雨が降り始めた。ザックから折りたたみ傘を出し、手に持ちながらいつでも差せる状態で急いだ。最近は、突然の豪雨となるケースも多いので注意しながら歩いていたが今日はシトシトで済みそうな感じだった。
歩道橋の上からもパチリ。
そして、小社神社の近くの十字路からパチリ。
やっとここまで来た。
参道を進み、
右へ直角に折れる参道の先に小社神社。
小社神社にお参りして、社域を出ようとしたとき、
「天保三年」の文字に惹かれて手水石をパチリ。
狭田国生神社へ向かうため、佐田交差点方向へ。
すると社叢の生垣の根元に私を先導してくれた? 蝶?(坂手国生神社を始め、小社神社に至るまで多くの神社で私の前方を飛んでいた。確かこれと同じ雰囲気だった・・・)
「3匹のこぶた」の藁の家を思わせるような藁積みを過ぎて、
振り返ってパチリ。
そして、こちらが進行方向。
後は田丸駅近くの佐田国生神社にお参りすれば今回のめぐりは終了だ。
県道13号線の佐田交差点を横断し、
三ツ桝踏切でJR参宮線を渡ると、
次の角を左折し、極楽橋で外城田川を越えた。外城田川の左岸を下流方向へ進みパチリ。
次の橋を左方向へ進むと前方には狭田国生神社の社叢がある。
社叢を回り込むように路地を入るとその先には参道入口がある。
左へ直角に折れ曲がる参道の先に狭田国生神社。
鳥居の前には大きな切り株の痕跡がある。
お参りを済ませると社域を出て、左方向へ。
この奥に山神さまが祀られている。今は草がかなり伸びていた。
以上で、めぐりは終了。玉城町役場へ戻るルートとしてJR田丸駅経由を選択した。
田丸駅へ向かい、三縁寺の横を歩いていると視線を感じた。猫がこちらを凝視していたのだ。カメラを向けても微動だにしない。しばらく対峙していたが、こちらが根負けしてパチリ。
猫に背を向けて駅へ向かおうとすると石垣から飛び出した意志が牛に見えてしまった。「モー」。こいつと対峙しても勝ち目は無い。とりあえずパチリ。
JR参宮線 田丸駅の前を右折して、
路地を進むと途中に「御鳥見役屋敷跡」の石柱が建っている。
その背後には、次の説明板が貼られていた。
この場所から駅前方向をパチリ。
この後は、【キタヰの妻】へのお土産に菓子司 野中屋で玉城最中などの甘味を購入してから玉城町役場の駐車場へと戻った。
平成24年6月に架け替えが完成した桜橋をパチリ。
さらに、大手門橋を渡ると本日のめぐりは終了した。
【 20120929の記録 】
- お伊勢さん125社 外城田めぐり、田丸めぐり+1
→ 牛の飼料作り(蚊野神社~御船神社の田んぼ)
→ 「コスモス 自由にお持ち下さい」(山神資源環境保全会)
→ 御遷宮後の田宮寺神社 - ヒガンバナ、彩彩(いろいろ)