2011年04月24日(日) 金剛證寺 (徒歩)
朝熊山トレッキング で、朝熊山経塚群 を見学したのち、金剛證寺へと下ってきた。
この風景は今までにも見たことがあるが、背の高い大きな卒塔婆群だ。
写真だとスケール感を捉えにくいが、かなり大きい。2~3mは普通だ。
山を下り境内へ入るとこの表示がある。まずは、奥之院を目指した。
極楽門をくぐると、
この突き当たりに奥之院があるが、それまでの参道の両脇には、卒塔婆の供養林が立ち並んでいる。
高札には次のようにある。
卒塔婆の供養林
霊峰朝熊岳に卒塔婆を建て、亡き人の追善菩薩を弔うのは死者の霊魂は全く別の世界に行ってしまうわけではなく現実の山の中に死者の霊が集まる[他界(たかい)]がある、という捉(とら)え方(山中他界観)が、古代より、私たちに引き継がれているからです。
文字通り卒塔婆の「林」となっている。
これらの卒塔婆は見上げるほどの高さだ。
卒塔婆の林が切れると奥之院に到着する。
門の左側には、この常夜燈が建っている。火を灯す代わりに石仏が据えられている。
山門をくぐりとこの風景だ。
右手には多数のお地蔵さんが。
境内の奥には本堂があり、その右側には茶屋がある。
本堂の左手には、これら卒塔婆のサンプルが並べられていた。表面には数字が書かれている。これは卒塔婆の志納料で、30cm角で8m弱の長さ(1尺×26尺)のものは50万円だ。ただし、永代ではなく、建立期間は6年間と書かれていた。
やはり、金次第なのか? と自分が日頃から抱いている思い(物より心)とはかけ離れた世界に別れを告げ、奥之院を後にした。(まぁ、心を見せるために、心遣いを物で表現するという考え方なのだろうが・・・)
卒塔婆供養林を戻り、極楽門からまっすぐ坂道を下ってくるとこの場所に出る。
ここで気になったのがこれらの祠だ。
また、本堂の隣の小さな建物に目をやると、
あれ?
しめ縄がかかっている。「笑門」や「蘇民将来子孫家門」などの門符はついていないが、「家内安全」の札が付けられている。
また、本堂の入口には、
このサンダルが置かれていた。草履ではなく作業性等が配慮されているのだろう。
本当の前には、知恵寅と
福牛が。
顔の前面など、触りやすい場所はピカピカに光っている。
福丑の後方では、ブロワーを利用して落ち葉が掃除されていた。こんなところにも文明の利器が利用されるようになったのか? 昔なら修行の一環として竹箒で時間をかけて掃いていただろうに。
お寺でも省力化、効率化が必要になっているのだろう。確かに寺を運営するにもお金がかかるだろう。先ほどのサンダルにもこれらの作業と関連があるのだろうか? かなりショックを受けた。
特に、ブロワーを動かしている時の騒音と排気ガスの臭さには閉口した。自然環境保護が叫ばれるなか、どうも逆行しているような気がしてならない。(これは、素直な感想)
話題を変えて、本堂の前面に目を向けると灯篭には「奉納 御宝前 江戸講中」とある。
さらに、その隣にある雨水を受ける水瓶には「葵の御紋」が配置されている。
これだ。
お参り後、本堂前の石段を下ろうとすると、
土塀の瓦にも「葵の御紋」が配されている。
さらに、別の場所でもブロワーでの落ち葉清掃が行われていた。
石段を下りて見上げると、空が綺麗だった。
さうだ。今日の目的は金剛證寺の売店で「萬金飴」を買うことだ。とやっとたどり着いた。
目の前に売店がある。
早速、売店に立ち寄り、「萬金飴」を購入した。
【参考】 萬金飴については、 「萬金飴」
これで今日も目的は達成されたので、後は下るだけだ。といってもタダで買えれないのが私。
しばらくは連間(つれま)の池の周辺を散策していた。太鼓橋の右奥には先ほど「萬金飴」を買った売店が見える。
仁王門、鐘楼・・・
背面には、神社があった。今日初めて気づいた。
仁王門を出て、石段を下り
そのまままっすぐ進むとこの先は歩道橋へと続いている。この通路の右側の砂利の部分には掃き目が残されていた。落ち葉の清掃はブロワーを使用しても、日常の清掃は今まで通りに箒等が使われるのだろうか? 確かに一面だけを見てすべてを判断してはいけない。(ただ、個人的にブロワーは嫌いだ。特に排気の臭いが我慢できない。くどいか。)
歩道橋からの眺めはこんな感じ。
歩道橋から仁王門へ戻り、どんどん近づくと、
こんな感じ。なかなかいい雰囲気だ。
ここから左折して、旧参道へ向かった。
その時、赤い鳥居が目に入った。そういえば、ここにもお稲荷さんがあったんだ。
さらに参道を下り、朝熊岳道へ続く林道へと向かった。
【朝熊山トレッキング 20110424の記録】