円通山 石佛庵、順礼道引観世音(度会郡玉城町原)

2013年04月13日(土) 円通山 石佛庵、順礼道引観世音(度会郡玉城町原)  (車、徒歩)

国束山 + α の山歩きを終えて、玉城町の原交差点から県道13号線を伊勢方向へ走り始めると左手に桃色の気配を感じながら通り過ぎた。「あれは桜だ。」この時期に満開の様子。これを見逃す訳にはいかない。数百m走ってから引き返した。

そこには「伊勢新四国八十八ヶ所五十番 順礼道引観世音 石佛庵」の看板。

順礼道引観世音、石佛庵(度会郡玉城町原)

順礼道引観世音、石佛庵(度会郡玉城町原)

この場所は、玉城町史の上巻に次のように紹介されている。

円通寺石仏庵と三十三体石仏
 原バス停右の道は熊野街道の古道で、小丘の中央に
縦四尺横四間の観音堂があって三十三体の石仏がある。
その左に金比羅社、右に秋葉堂があり、古道を隔てて
円通寺石仏庵がある。
 観音堂の石仏は西国三十三か所の観音石像で、台石
中央に第何番観世音・左右に為先祖代々菩提・施主誰
々と刻まれ、九基は紀州熊野・二基は和州吉野郡の村
・その他江戸・尾州知多郡・北伊勢上野や伊勢山田と
地元の人々が奉納している。観音堂は文化五年(一八
0八)に寄進されたといわれている。
 石仏庵は文政八年(一八二五)三月、三河国篠塚村
謂信寺宜然大和尚の隠居寺として草創されたと伝えら
れる尼寺であった。七間に四間の寺堂は明治二十三年
(一八九0)庄出の善哉寺を移築再建されたが昭和二
十三年廃寺になり、本尊道引観音や秘仏延命子安地蔵
は光徳寺に預けられている。
 境内に文化二年(一八0五)五月巡礼道引観音碑が
建てられた。高さ一六五センチメートル、幅二九セン
チメートル「江戸講中」と刻まれ、くまのぢを道びき
たまえかんぜおん きよきふじやうの人をえらばず 
と御詠歌が彫られている。
 江戸時代は観音信仰が盛んで、参宮をすませた道者
は田丸で旅装を整え、西国巡礼となって杖を引き、石
仏庵の道引観音を拝し、三十三体仏に額ずいて巡礼の
無事を祈り、無事巡礼を果たした人は報謝のため観音
堂の石柵に石柱を寄進したという。
 石仏庵境内に彩色のあとが残る八一センチメートル
の行者石像と、文化八年(一八一一)と刻まれた三面
六臂の庚申像をまつる堂があり、堂前の手洗石に弘化
四年(一八四七)五月吉日と刻まれている。
         (玉城町史上巻 P.142より引用)

 

近くには「熊野街道 伊勢まで12km」、

順礼道引観世音、石佛庵付近の道標(度会郡玉城町原)

順礼道引観世音、石佛庵付近の道標(度会郡玉城町原)

「新宮まで154km 熊野街道」と書かれた道標がある。

順礼道引観世音、石佛庵付近の道標(度会郡玉城町原)

順礼道引観世音、石佛庵付近の道標(度会郡玉城町原)

 

まさに、この道路が旧熊野街道だ。そしてこの右手に見えるのが先ほど私の視界に入った桃色。

順礼道引観世音、石佛庵(度会郡玉城町原)

順礼道引観世音、石佛庵(度会郡玉城町原)

これがほぼ満開の桜だ。

石佛庵跡にある桜(度会郡玉城町原)

石佛庵跡にある桜(度会郡玉城町原)

石佛庵跡にある桜(度会郡玉城町原)

石佛庵跡にある桜(度会郡玉城町原)

石佛庵跡にある桜(度会郡玉城町原)

石佛庵跡にある桜(度会郡玉城町原)

 

桜の花の先には金比羅社。

石佛庵跡にある桜と金比羅社(度会郡玉城町原)

石佛庵跡にある桜と金比羅社(度会郡玉城町原)

石佛庵跡にある桜と金比羅社(度会郡玉城町原)

石佛庵跡にある桜と金比羅社(度会郡玉城町原)

 

旧熊野街道に立つと向かって左から金比羅社、中央には観音堂、さらにその奥(右側)には秋葉堂が建っている。

順礼道引観世音、石佛庵(度会郡玉城町原)

順礼道引観世音、石佛庵(度会郡玉城町原)

 

まずは金比羅社への石階を上り

金比羅社(金比羅大権現)(度会郡玉城町原)

金比羅社(金比羅大権現)(度会郡玉城町原)

お参りした。

金比羅社(金比羅大権現)(度会郡玉城町原)

金比羅社(金比羅大権現)(度会郡玉城町原)

扁額には「金比羅大権現」の文字。

金比羅社(金比羅大権現)(度会郡玉城町原)

金比羅社(金比羅大権現)(度会郡玉城町原)

彫刻も気になるが、

金比羅社(金比羅大権現)(度会郡玉城町原)

金比羅社(金比羅大権現)(度会郡玉城町原)

屋根の飾り瓦や

金比羅社(金比羅大権現)(度会郡玉城町原)

金比羅社(金比羅大権現)(度会郡玉城町原)

鬼瓦も興味深い。

金比羅社(金比羅大権現)(度会郡玉城町原)

金比羅社(金比羅大権現)(度会郡玉城町原)

金比羅社(金比羅大権現)(度会郡玉城町原)

金比羅社(金比羅大権現)(度会郡玉城町原)

金比羅社(金比羅大権現)(度会郡玉城町原)

金比羅社(金比羅大権現)(度会郡玉城町原)

 

隣の建物(観音堂)の壁面の前には

観音堂(度会郡玉城町原)

観音堂(度会郡玉城町原)

「巡礼道引観世音」の説明板がある。

「巡礼道引観世音」の説明板(度会郡玉城町原)

「巡礼道引観世音」の説明板(度会郡玉城町原)

巡礼道引観世音

 本尊の道引観音は、廃寺のため預けられているが寺前
の道は西国巡礼熊野古道である。
 正面の丘の観音堂は、西国三十三所霊場の観音石像三
十三体で、第一番札所の観音像を中央に右へ、三十三番
まで安置されている。
 台石には施主名が一体毎に刻まれ、微かに吉野河内、
三河、紀州などの村々の文字が見える。
 堂の西に秋葉堂、東に金比羅社があり、熊野路の果て
に行き着くまでの道中安全を祈ったり、西国三十三所霊
場に代わる場として参詣された。

 

一旦、石階を下り

観音堂(度会郡玉城町原)

観音堂(度会郡玉城町原)

観世堂へ近づくと観音堂への石階の左手には

観世堂(度会郡玉城町原)

観世堂(度会郡玉城町原)

こんな常夜燈が立っている。「享保五・・」とある。

観世堂前の常夜燈(度会郡玉城町原)

観世堂前の常夜燈(度会郡玉城町原)

 

石階を登り、

観音堂(度会郡玉城町原)

観音堂(度会郡玉城町原)

パチリ。

観音堂(度会郡玉城町原)

観音堂(度会郡玉城町原)

観音堂に掲げられた道引観世音御詠歌(度会郡玉城町原)

観音堂に掲げられた道引観世音御詠歌(度会郡玉城町原)

 

観音堂に続き、さらに右手にある

観音堂、秋葉堂(度会郡玉城町原)

観音堂、秋葉堂(度会郡玉城町原)

石階を登り直すとその先には

秋葉堂への石階(度会郡玉城町原)

秋葉堂への石階(度会郡玉城町原)

秋葉堂がある。側面の扉は開け放たれた状態で、

秋葉堂(度会郡玉城町原)

秋葉堂(度会郡玉城町原)

堂の内部は荒れていた。かなりの期間放置されているのだろうか?

秋葉堂(度会郡玉城町原)

秋葉堂(度会郡玉城町原)

 

秋葉堂前に視線を移すと 「組中安全」と刻された天保三年建立の常夜燈。

秋葉堂前の常夜燈(度会郡玉城町原)

秋葉堂前の常夜燈(度会郡玉城町原)

また、観音堂の屋根越しには先ほど愛でた桜が見えた。

観音堂の屋根と桜(度会郡玉城町原)

観音堂の屋根と桜(度会郡玉城町原)

 

石階を下り、旧熊野街道を横切り前面にある広場へ向かうと、その入口には「順礼道引観世音」と刻された石柱があり、

順礼道引観世音の石柱(度会郡玉城町原)

順礼道引観世音の石柱(度会郡玉城町原)

その側面には「江戸講中」の文字も見える。

順礼道引観世音の石柱(度会郡玉城町原)

順礼道引観世音の石柱(度会郡玉城町原)

 

この広場が石佛庵跡だろうか、

石佛庵跡(度会郡玉城町原)

石佛庵跡(度会郡玉城町原)

今は原小集会所が建っている。

石佛庵跡にある原小集会所(度会郡玉城町原)

石佛庵跡にある原小集会所(度会郡玉城町原)

さらにその右手には鳥居が立ち、その先には

石佛庵跡にある御堂(度会郡玉城町原)

石佛庵跡にある御堂(度会郡玉城町原)

御堂があり、

石佛庵跡にある御堂(度会郡玉城町原)

石佛庵跡にある御堂(度会郡玉城町原)

その中には右側に行者石像が、

石佛庵跡にある御堂にまつられる行者石像(度会郡玉城町原)

石佛庵跡にある御堂にまつられる行者石像(度会郡玉城町原)

左側には庚申像がまつられている。

石佛庵跡にある御堂にまつられる庚申像(度会郡玉城町原)

石佛庵跡にある御堂にまつられる庚申像(度会郡玉城町原)

この場所の存在は以前から把握していたが、なかなか訪れる機会をつくれずにいた。機会をつくってくれた桜に感謝してこの場を後にした。

 

【 20130413 の記録 】

 

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