2013年02月09日(土) 刀抜き(村松町の御頭神事) (車、徒歩)
宇氣比神社境内での舞い始め(「宮の舞」、「大神宮の舞」)が終了すると、初代の御頭から新しい御頭に交代し、御頭は境内を後にして辻舞いへ向うことになる。ただし、辻舞いの前には「刀抜き」と呼ばれる行事が控えている。
刀抜き行事については、伊勢市史第8巻(民俗編)のP.408 に
刀抜き行事は、町会前の浜通りに張られた注連縄を、季節の境と見立てて、手前を「冬」(旧年)とし、向こうを「春」(新年)として、若い衆が希望に満ちた春を向えんと押し合う中に、御頭さんが割り込む。注連縄が切られると、若い衆は「一番春」をめざして競争し、春を乞い、豊穣を願った。
とある。
また、御頭が登場する前後の様子については、伊勢市史第8巻(民俗編)のP.407、P.408 に
しばらくして刀抜き衆(若衆)が「エットー エットー」といってやってきて、青松葉の前で止まる。マツカサ(松笠)を一人二個ずつもらい、それで袴の裾をたくしあげ、裾を止める。刀抜き衆はそこで刀を抜き、振りかざしながら「エットー エットー」といって駆け抜けていく。町民会館前の道を曲がって、注連縄が張ってあるところの前で刀を振り上げて「エットー エットー」といって押し合うように御頭の到着を待っている。サイミョウ竹を先頭に御頭が走ってやってきて、注連縄を切って御頭と若衆が西へ走る。御頭は途中から浜の方へ上がり、堤防を通って、北浜中学校のところまで行く。一般の者は堤防を上がった御頭を見てはいけない。
とある。
まずは、宇氣比神社から出発するために待機している刀抜き衆(若衆)、拝殿では先ほど舞いを終えた初代の御頭とこれから辻舞いに出る新しい御頭が交代している様子だった。
私は御頭交代後の警護や刀抜き衆とのやりとりを確認する前に宇氣比神社を後にして青松葉が山積みにされている甚平坂(村松町民会館前の火の見櫓付近)へ向った。
目的の場所へ到着すると火の見櫓の下には
道を封鎖するように、青松葉が大人の胸よりも高く積まれていた。
刀抜き衆はこの松青葉の壁を越えるのだ。
かなり高い。(しかし、こんなのを見ると飛び越えたくなるのは私だけ?)
そして青松葉の壁の宇氣比神社側にはマツカサがまかれた。
しばらくすると警護に先導されて刀抜き衆が登場した。
すると、伊勢史市の記述通りに
刀抜き衆はたくし上げた袴の裾をマツカサで止め始めた。
刀抜き衆は意気揚々としていた。
全員の準備が整うと青松葉の壁の前に集まり刀を振り上げて、「エットー エットー」。
機が熟すると、ひとり、ひとりと青松葉を乗り越えていった。
そして、目指すは目の前の辻を左へ曲がった先にある注連縄。
注連縄の前へと場所を移動した刀抜き衆は、ここでも刀を振り上げて「エットー エットー」といって
押し合いながら御頭の登場を待っていた。
ほどなく、サイミョウ竹に先導された御頭が青松葉の壁を駆け抜け、
私の目の前を通り過ぎた。
目指すは刀抜き衆が待つ注連縄だ。
御頭の勢いで注連縄が切られると
刀抜き衆は西を目指して走り出した。
先ほどかなりの勢いで駆け込んできた御頭は刀抜き衆の後ろを悠々と進んでいた。
御頭は刀抜き衆が待つ場所へたどり着くと
浜の方へと消えていった。
先の伊勢史市の記述にもあるように、村松町には
一般の者は堤防を上がった御頭を見てはいけない。
というしきたりがある。私も含めこのルールは知らないと思うので注意が必要だ。御頭は辻舞いの移動でも堤防道路を使用するそうで、その際もこのルールが適用される。
この後は、最初の辻舞いの場所である「平和之礎」へ向った。
太鼓を載せたリヤカーの後について行くと
村松町、東大淀町の境界標の近くへ出た。
目と鼻の先に「平和之礎」が見える。
なお、境界に関することだが、伊勢史市の P.408 には次の記述がある。
境あらため 浜に上がった御頭一行は、サイミョウ竹を東大淀との境に立て、御頭がその周りを廻ってくる。これは一般の者は見てはいけないものである。
この先でこの様なことが執り行われていたのだろう。
続いて、辻舞いへ
【 20130209 の記録 】
- 御頭さんお飾り付け(村松町の御頭神事)
- 神事式典、年酒(ねんし)の式(村松町の御頭神事)
- 舞い始め(神社境内)(村松町の御頭神事)
- 刀抜き(村松町の御頭神事)
- 辻舞い(村松町の御頭神事)
→ ツムギ火入れ(村松町の御頭神事) - 山の神での舞い~悪魔祓い(村松町の御頭神事)
【参考】