近鉄 お伊勢参り 第四回 その4/10 札の辻から椋下神社へ

2011年05月04日(水) 近鉄 お伊勢参り 第四回 その4/10 札の辻から椋下神社へ (電車、徒歩)

札の辻を出ると目の前に交差点があるが交差する道路は初瀬街道だ。

初瀬街道(札の辻付近)

初瀬街道(札の辻付近)

この方向は青信号が短いため急いで渡った。

初瀬街道(札の辻付近)

初瀬街道(札の辻付近)

 

こちらも狭い道路(伊勢本街道っぽい雰囲気多数)を進むと左手に宗祐寺がある。

宗祐寺

宗祐寺

宗祐寺

宗祐寺

せっかくなので、寄り道。参道を進み、門をくぐると

宗祐寺

宗祐寺

正面に本堂があり、

宗祐寺

宗祐寺

左手には鐘楼がある。

宗祐寺

宗祐寺

この手水石の上にある亀は珍しい。

宗祐寺

宗祐寺

 

コースへ戻るとすぐ右手アパート前に人が集まっていた。

宗祐寺付近

宗祐寺付近

近づくとこの案内板があった。

原納家の案内板(宗祐寺付近)

原納家の案内板(宗祐寺付近)

原納家(東方)
原納家は江戸時代中期までさかのぼる宇陀郡でも屈指の絞り油屋(油問屋)であった。このころの農村では、商品経済の進展に伴って米作の他に現銀収入を得るため、菜種などの商品作物が急速に栽培されるようになった。原納家は、菜種を原料とする油絞りを始め、明和6(1796)年、絞り油屋「萩原村喜兵衛」として、宇陀郡の絞り油屋の歴史に登場する。安永2(1773)年、京都町奉行所から宇陀郡絞り油屋株仲間28人が公認されたとき、「萩原村喜兵衛」はその中心メンバーとして株仲間加入を認められた。
文化8(1811)年、父「喜兵衛」より「又四郎」が相続するなかで、天保13(1842)年の株仲間の解散を迎えた。「又四郎」は、嘉永4(1851)年、旧宇陀郡絞り油屋仲間とともに京都町奉行所に対して、絞り油屋株仲間再興の願書を作成し実現させるなど、宇陀郡の油絞りの発展に努力した。
平成16(2004)年、当家井戸付近より油絞りの作業工程で使用された半球状の石が見つかり、往時の絞り油屋のたたずまいを感じさせる貴重な発見であった。

 

やはり、伊勢本街道らしく、それなりの建築物が多い。

宗祐寺付近

宗祐寺付近

 

この先、高台には社叢があり、鳥居が見えた。

金平稲荷大明神を望む

金平稲荷大明神を望む

さあ、登ろうと意気込んでいたところ、その前にこの家屋が現れた。

登録古民家 奥田家住宅

登録古民家 奥田家住宅

登録古民家 奥田家住宅

登録古民家 奥田家住宅

登録古民家 奥田家住宅
明治・大正・昭和初期の古民家を大切にする会
登録番号  第零零零零壱壱号
対象建築物 主家
建築時期  明治初期
所在地   奈良県宇陀市榛原区萩原2572番地
所有者   奥田諄
登録年月日 平成18年4月1日

 

窓からチラッと見ると生活感があったので、あまりじっくりと見学することはせずに、先ほどの高台に発見した神社を目指した。

鳥居をくぐり石段を登り、

金平稲荷大明神

金平稲荷大明神

途中で榛原市街をパチリ。

金平稲荷大明神から

金平稲荷大明神から

この場所には句碑があった。ただし、詠み手は?

金平稲荷大明神

金平稲荷大明神

霜結ぶ兆し鋭き月の光

 

さらに複数の鳥居をくぐり、石段を登ると最後の鳥居だ。

金平稲荷大明神

金平稲荷大明神

こちらが拝殿。奥が本殿。金平稲荷大明神だ。

金平稲荷大明神

金平稲荷大明神

 

産廃を済ませると高台の境内からパチリ、パチリ、パチリ・・・

金平稲荷大明神から

金平稲荷大明神から

金平稲荷大明神から

金平稲荷大明神から

金平稲荷大明神

金平稲荷大明神

 

先ほどの石段を駆け下りて、伊勢本街道へ戻ると左手にはこの風景が。

金平稲荷大明神

金平稲荷大明神

前方には石垣の先に人だかりがあった。椋下(むくもと)神社だ。

椋下神社

椋下神社

 

【近鉄 お伊勢参り ハイキング 第四回伊勢本街道と初瀬街道の分岐付近を歩く  20110504の記録】

 

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