2013年03月16日(土) 絵かきの町・大王町の散策 (車、徒歩)
横山ビジターセンターにて三重県立博物館の館長である布谷さんの講演会があると知ったので拝聴することにした。講演会は午後からなので午前中はどうしようかと思案して横山ビジターセンターのホームページを見ていたところ
【参考】
ウォーキングマップ60の(34)絵かきの町・大王崎を見つけた。距離が約3.4kmと手頃だと思って歩いたが、じっくり歩いていたところ時間が足りなくなりかなり省略してしまった。次の画像はコースマップを抜粋したものだが、私が歩いたのは黄色のルート。実際、現場に立つと平面の地図ではまったく予測できなかった高度差に驚かされる。
このマップの説明では、波切小学校付近をスタートする設定であったが、小学校の近くには車を駐められるスペースが見当たらなかったので、結局は波切漁港まで来てしまった。そのため、スタート、ゴール地点は波切漁業協同組合水産物荷捌所付近となった。
波切漁業協同組合水産物荷捌所付近の広場に車を駐めさせてもらい、散策を始めた。
まずは、波切漁港の縁を辿るように波切魚市場前バスのりばを過ぎると前方には大王埼灯台が見えていた。
さらに進むとこの宣言碑が建てられている。
宣言碑と書いたのはこの前面に
平成8年3月14日
「絵かきの町」を宣言しました。
と記されていたから。
さらに漁港の縁に沿って先へ進むと
対岸には鳥居が見えた。あれは波切神社の鳥居だ。
さらに進み、情報発信拠点(休憩所)「おいないな」を過ぎると
左手には干物が作られていた。おいしそう!
対岸へ向かうためにさらに進むと
船を陸へ揚げるためのスロープがあったが、今も使われているのだろうか?
そして、さらに進むと
右手には赤い屋根のお寺がある。
土塀に沿って進むと
こちらは仙遊寺。あとで知ったことだがここには九鬼水軍五輪塔があるそうだ。
そんなこととは知らずに前方に見えた赤い鳥居へと引き寄せられた。
赤い格子の中を注視するとお稲荷さんだった。
お参りしてから、鳥居の前に建っているカーブミラーを見ると灯台が映っていた。
視線を右に振り確認した。あの位置だ。ここから灯台へ行けば近そうだが、マップに従い進むことにした。
仙遊寺の前から漁港へと戻り、さらに先へ進むとここでもお稲荷さんが祭られていた。
対岸には先ほど通り過ぎた情報発信拠点(休憩所)「おいないな」が見えた。
「禁漁区」の警告板を過ぎると
右手に鳥居が見えた。先ほど対岸から遠望した鳥居だ。
鳥居には自然の形状を活かした石製の扁額がはめられ、そこには波切神社の文字が陽刻されていた。
鳥居をくぐると左手には石で組まれた祠がある。
急な石階を登り、
さらに、登った。
途中で複数の女性とすれ違った。
振り返ってパチリ。
折敷を手にした方がいたので、波切神社の方に伺ったところ、皆さんは海女さんだった。土曜日は休漁日で月に一度安全祈願のためにお参りされるとのこと。
階段を登りきると坂道となり、この先の数段を上がると
左側に石垣が続く。
ほどなく、手水舎にたどり着いた。手水にて心身を清めてから
波切神社へ。
石垣の前には近畿自然歩道の道標が建てられている。
鳥居をくぐり、
拝殿にてお参りした。
御祭神を確認したところかなりの数、19柱だ。
拝殿の前にはこのような石が並べられていた。
これらの石は鯨石。
鯨石
波切でも昔は鯨漁が行われ、
盛んな時もありました。
その頃、獲れた鯨の腹から石が出る事が
幾度かありました。
そんな石に神秘的なものを感じた
人たちが神社に持ち込んだりしたようです。
今もここ波切神社に
その石が祀られています。
鯨石には賽銭とお米が供えられていた。(後で気づいたのだが、米には鰹節が混ぜられていた。)
また、境内には「わらじ祭り」の説明板も設置されていた。
わらじ祭り 昔、大王崎の沖に、ダンダラ法師と言 一つ目の巨人が住んでいました。 この巨人、海は荒らす、村の娘はさらっ ていくと悪さのし放題。 そこでこの法師に困った村人達が団結 して、大わらじを編み、海に向かって流 しました。 すると一つ目は自分より大きな巨人が居 ると思い込んで、以来悪さをしなくなり ました。という伝説にちなんで年に一度 9月申の日に波切神社で神事を行った 後、畳一畳程の大わらじを海に流し、 海上安全と大漁を祈願します。 この神事は県の無形文化財に指定されて います。
さらに、境内の奥にはこのような石が祭られている。
波切神社を出る際、石垣の上に置かれた狛犬に気づいた。表面の形状が分からないほど劣化していた。
ここにもお供えが・・・。
来た道を戻ろうとすると、
石垣に刺された細い竹に気づいた。これは何だろう?
またまた、疑問が生じてしまった。
登った石階を下ると鳥居へと戻った。
鳥居からさらの先へ進むと
この場所へたどり着いた。右手には急な階段が続き、左手にはこんもりとした・・・。
その上には石柱が見えた。
それは「八大龍王」の石柱、山側を背にして建てられていた。
急な階段を登り、
途中で振り返り、波切漁港をパチリ。この辺はかなり新しい雰囲気だ。
また、前方左手にはこれから向かう崎山公園が見えた。
さらに、左手下方にはこの風景。
道なりに進むとほどなく崎山公園へ到着した。
そこには「伊勢志摩国立公園」「大王崎」「三重県」とある。
興味深いのは漢字。灯台は「大王埼灯台」、しかしこの付近の地名は「大王崎」と記されている。
ここからの風景をパチリ。条件が整えば右側に富士山が見えるかも・・・。
また、視線を右手に振るとこんな断崖絶壁も・・・。確かに「埼」だ。
崎山公園を後にして先へ進むと左側にフェンスがあり、
そこには背の高いアンテナが立っていた。
ここは「大王埼無線方位信号所」だ。
大王埼無線方位信号所を過ぎるとその先には、先ほど訪れた波切神社だった。一周してきたのだ。そして、波切神社の石垣の手前には真っ赤な幟、「正一位稲荷大明神」とある。誘われるように赤い鳥居をくぐり、参道を進んだ。
小社にお参り。
こんな石祠も祭られていた。この前には多数のお米が供えられていた。先ほどの海女さん達がお供えしたのだろう。
実はここで気づいたのだが、米には鰹節が混ぜられていた。
歩いた参道を戻る際、木漏れ日が落ちる緑の絨毯をパチリ。
稲荷大明神の鳥居をくぐり返すと、再び波切神社の前に立った。
波切神社の鳥居の前に続く参道を進むと、参道は右へ折れ下りとなる。
勢いよく下ると途中に石祠が祭られている。
石祠の上部にはこのような石が置かれていた。まるで「大わらじ」のようだ。
ここでもお参り。格子の中を覗くと、神酒や御塩もお供えされていた。
下りきると、その先にも鳥居が建てられている。左の前方には大王埼灯台も見える。
鳥居をくぐり、堤防を進みパチリ。
そしてこの先には見たことがある場所、
ここは「わらじ祭り」を紹介する写真によく写されている。「大わらじ」が須場の浜へ下ろされる階段だ。
「わらじ祭り」を想像しながら、私も須場の浜への階段を下った。
ここが須場の浜だ。私にはこの先に「大わらじ」が見えた。
そして、右手を見上げると大王埼灯台、
ズームでパチリ。これから行くよ!
階段を駆け上がり堤防へと戻った。海とは反対側を望むと、その先は波切漁港。
(この道を下ると仙遊寺。)
堤防をさらに進むと
大王埼灯台への石階。
ここには「須場の浜」の標石が建てられて、
そこには説明板がはめ込まれていた。
須場の浜(すばのはま) ここ須場の浜は 毎年9月申(さる)の日に ダンダラ法師の伝説により、畳一畳程の 大わらじをかついだ若衆がこの浜から大わらじを流して 海の安全を祈願します。
石階を登ると高度が上がり、
左手の浜が遠くなった。パチリ、
パチリ。
階段を登りきると右手にこの空間が広がっている。
灯台をパチリ。
情報発信拠点(休憩所)「おいないな」でいただいた大王埼灯台のパンフレットはこちら。
灯台は参観できるが、「寄付金」が要望される。金額は200円と明記されているので拝観料だ。
灯台の隣には大王埼灯台ミュージアムも併設されているので、ゲートの中の受付で快く寄付金を支払い、次のチケットを受け取った。
まずは、灯台の全景をパチリ。このビューだと灯台っぽくない感じだ。
外観を確認したので、次は内部へ参入。入口へ進むと
次のプレートを発見、
さらに、こちらも。初點とは建物の竣工と同様の位置付けだろうか?
灯台の内部は螺旋階段となり、袖を擦り合わないと対向できない程の狭さだ。
階段の所々に設置された窓からパチリ、パチリ、パチリ、高度を稼いでいるのがよく分かる。
階段を上り詰めてから空を見上げてパチリ。
そして、最上部からの景色をぐるーりとパチリ・・・。
最後は、直下をパチリ。 海の「もしも」は118番
灯台から降りると隣の大王埼灯台ミュージアムへ向かった。二階には灯台の役割や種類などの説明があり、
一階へ戻ると1/35の模型、
さらには、大王埼灯台建設当時のレンズが設置されていて、ボタンを押すとこのレンズが動き出した。
そして極めつけは、太平洋戦争で機銃掃射を受けた弾痕。
大王埼灯台を後にすると灯台から続く商店街を進んだ。
商店街を抜けると左手には八幡さん公園がある。左の坂道を進むと波切九鬼城址の標石が建てられている。
そこには【波切九鬼城址】、【絵かきの町】宣言の説明板が埋め込まれている。
【波切九鬼城址】 波切九鬼氏初代 隆良が室町時代に この城山地区に波切城を築城。 波切は志摩地域の海路の要衝に位置し鎌倉時代初期 より沿岸の拠点として重視されていた。そのことから 波切城は外敵の侵入に備え、太平洋を見下ろす岬の 突端に築城されるなど、水軍の将らしい城であったと いわれている。築城後は、この城を拠点としてさらに その勢力を広げて行き、嘉隆の時代になると、 織田信長方に帰属し、志摩一円を統一した。 信長死去の後は豊富秀吉に属し、鳥羽に城を構え、 九鬼水軍としてその名を天下に轟かせた。 【絵かきの町】宣言 私たちの町は雄大な太平洋と波静かな 英虞湾の二つの景勝地にいだかれ、白亜の大王埼 灯台や石垣、石畳の坂道、ともやまの夕景、また、 その美しい自然環境の中で生活する人びとなど、 多くの絵を愛する人たちの創作意欲をかきたて、 昔から絵かきの町として広く知られてまいりました。 私たちは、この恵まれた環境を大切にするとともに キャンバスをとおして町のすばらしさを再認識し、 住民の文化意識の向上はもとより、数多くの人に この美しい景観を知っていただけるよう、 「絵かきの町」を宣言しました。 平成8年3月14日
標石から階段を上ると
空間が開け、御社の先に大王崎灯台が見える。
絵かきになった気分でパチリ。
八幡さん公園を後にして、さらに商店街を抜けると左手に石祠がある。
そして突き当たりには「宝門の浜」の標石が建てられている。先に見えるのが「宝門の浜」だ。
宝門の浜(はものはま) 以前、この浜では大念仏行事が大勢の村人達に よって取り行われていました。しかし台風の 被害により浜での行事もできなくなり、今では 波切墓地でその行事が引き続き行われる様に なっています。
宝門の浜を左に進みとすぐ右手に次の石階が見えた。ここまでは先に紹介したマップ通りであったが、この先は先のマップには記されていない道もあるようだ。
石階を登ると
左手に広場があり、ベンチが設置されていた。灯台の見える丘だ。
この後、大慈寺へ向かう際、高台をうろうろしてしまった。眼下に波切漁港が見える場所まで来てしまい引き返すなど、後は勘で進み、
秋葉山の石祠の前を過ぎ、
適当な(程よい距離)で右折して、ここでも石祠の脇を通り
石垣の間を下ると
その先には大慈寺が見えた。ここから見る桜はすでに葉っぱが出始めていた。
この後は、大慈寺にててんれい桜を楽しんだ。さらに汗かき地蔵尊等にお参りしていたら午後からの講演会の時刻が近づいてきた。
予定のコースを3分の1ほど残すことになったが、再訪の楽しみを残すこととして大王崎をあとにすることにした。
波切漁港へ戻る途中で右手に大慈寺付近の桜を確認したので、近づいてパチリ。名残りを惜しんだ。
実際には無い後ろ髪を引かれつつも漁港へと戻った。
大王崎には石祠が多い。また石の階段や石畳も・・・。しかもそれらの石の加工が巧妙である。優秀な石工が多かったのだろう。まだまだ巡りたい場所、さらに詳細に見学したい場所を残してしまったので再訪を期して、横山ビジターセンターへ向かった。
【 20130316 の記録 】
- 絵かきの町・大王町の散策
→ 大慈寺の『てんれい桜』(志摩市大王町)
→ 汗かき地蔵尊、薬師堂ほか(志摩市大王町) - 平成24年度横山ビジターセンター講演会
→ 横山石神神社(志摩市阿児町)