初午大祭(松尾観音)

2012年03月10日(土) 初午大祭(松尾観音) (車、徒歩)

次の初午大祭(松尾観音)の広告を新聞折込で見かけた。

初午大祭(松尾観音)の広告

初午大祭(松尾観音)の広告

 【参考】 龍池山 松尾観音寺のホームページ

 

「厄落とし」には興味がなく、厄年も気にせずにと言うよりも、知らないうちに過ごしてしまった私であったが、以前から調査している伊勢市の石造遺物は松尾観音にもあることを思いだした。

厄には縁がない私が「初午大祭」の日にお参りする珍しい体験と石造遺物(千日参塔)の調査のため、二見の御塩殿にて御塩の護送(2012年03月)を拝観した後、松尾観音へ向かった。

午前9時頃に倉田山公園付近へ到着するとかなりの人出だった。交通整理のおじさんに案内された駐車場は松尾観音からかなり離れた場所だった。坂道の上り、市営球場の前を過ぎると

初午大祭(松尾観音)

初午大祭(松尾観音)

道路の左右には多数の幟が立てられていた。

初午大祭(松尾観音)

初午大祭(松尾観音)

突き当たりの丁字路を左折すると松尾観音。

初午大祭(松尾観音)

初午大祭(松尾観音)

短い参道を進むと

初午大祭(松尾観音)

初午大祭(松尾観音)

石段の上には、初午大祭の時だけの提灯がぶら下がっていた。

初午大祭(松尾観音)

初午大祭(松尾観音)

 

初午大祭(松尾観音)

初午大祭(松尾観音)

初午大祭(松尾観音)

初午大祭(松尾観音)

まずは本堂でお参りを済ませると

初午大祭(松尾観音)

初午大祭(松尾観音)

松尾観音

松尾観音

 

境内の奥にある(松尾)龍池社、

初午大祭(松尾観音)

初午大祭(松尾観音)

さらに、観音堂へお参りした。

初午大祭(松尾観音)

初午大祭(松尾観音)

 

そして、もう一つの目的である「千日参塔」を探して本堂の正面へ戻ると、そこには「開山1300年」と書かれ御寄進を募る看板が建っていた。1300年といえば、古事記も編纂されてから今年で1300年。古事記の編纂と同時に開山とは、想像もできないほどの由緒となる。

松尾観音

松尾観音

 

私は勝手に頭の中で歴史のはざまを浮遊しながらまどろんでいると、近くに「縁」と書かれた絵馬(これを絵馬と呼ぶべきかは?だが)を発見。すると、

縁むすび絵馬(松尾観音)

縁むすび絵馬(松尾観音)

 

その後ろに目的の千日参塔を見つけた。これも何かの縁だろう。

こちらが、巡拝塔(J5) 松尾観音寺 千日参塔だ。


「伊勢市の石造遺物めぐり」シリーズの記録では伊勢市教育委員会が発行した 「市制80周年記念出版 伊勢市の石造遺物」を参考にめぐるので、画像データの見出しには()内に本書籍内での管理番号を付与した。


正面には「(横書きで)千日参 (縦書きで)供養」、さらに左側には「たけ道 林蔵」とある、

巡拝塔(J5) 松尾観音寺 千日参塔

巡拝塔(J5) 松尾観音寺 千日参塔

さらに、右側には「文化」の文字が確認できた。参考にした先の書籍では「文化九年壬申正月 建之」と刻されているとのこと。

巡拝塔(J5) 松尾観音寺 千日参塔

巡拝塔(J5) 松尾観音寺 千日参塔

 

以上で目的を果たしたので、松尾観音を後にしようとしたところ、階段を下る手前右側、手水の前には辛櫃が置かれ、「厄落し 納め箱」と書かれていた。厄年で無い人ても自分の持ち物を一つ落としていくと今年一年の厄を落とした風習があるそうだ。(箱の中を覗くと開始から1時間ほどですでに底板は見えない状態だった。夕方には満杯になるのだろうか?)

厄落し 納め箱(松尾観音)

厄落し 納め箱(松尾観音)

ふと視線を箱の奥へ送ると、左奥に祠が見えた。庚申堂だった。

庚申堂(松尾観音)

庚申堂(松尾観音)

飛騨の「さるぼぼ」も・・・

庚申堂(松尾観音)

庚申堂(松尾観音)

 

石段を下り、掲示板を見ると、「東日本大震災 復興元年 追悼黙祷式のご案内」があった。

東日本大震災 復興元年 追悼黙祷式のご案内(松尾観音)

東日本大震災 復興元年 追悼黙祷式のご案内(松尾観音)

 

東日本大震災 復興元年 追悼黙祷式

日時 : 3月11日(日) 14時30分 集合 (約30分)
場所 : 松尾観音寺 (伊勢市楠部町松尾山)
※時間になりましたら本堂前へお集まりください。

御参集が出来ない方は、可能であればそれぞれ居られます場所において地震発生と同時刻(14時46分)1分間の黙祷をお願いします。

 

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