2013年03月09日(土) まちかど企画展「ここに西行がいた!!~西行が愛したまち 二見浦~」、西行トークin二見 2013 ほか (車、徒歩)
次のパンフレットを見て、西行トークin二見 2013に参加しようと思った。
私の中では西行とはそれほど大きな存在ではなく、知っていることといえば
「何事のおはしますかは知らぬども
かたじけなさに涙こぼるる」
と詠んだ歌、それと
もう一つは宇治の西行谷に庵を結んでいたと言われていることくらい。
【参考】
今回もっと西行について知る機会が得られると思いワクワクしていた。午前中の遷宮記念 おひなさまめぐりin二見(2013)にて二見公民館へ向かう(その流れで西行トークに参加)途中、まちかど企画展「ここに西行がいた!!~西行が愛したまち 二見浦~」を見学するために夢ぎゃらりい二見を訪問した。
こちらから夢ぎゃらりい二見、左手の入口より入り
すぐ右手にある展示会場へ。部屋の奥には「西行さんは、6年もの間、二見浦の安養寺にいた!」と書かれていた。そして、中央と周囲には安養寺跡の発掘調査現場からの出土品が展示されていた。
この時点ではこれらの重要性がよく分からずに、かつ西行トークの開始まで時間がなかったため、全体をざーっと見ただけに終わった。
そして、隣の部屋へ移動するとひとりの女性がハマグリに絵と句を描(書)いていた。
この方は、人形作家の 南部美智代さん。
いや肩書きはかなり多いそうで、賓日館の観光大使や鈴鹿市のNPO法人「災害ボランティアネットワーク鈴鹿」の理事長、町おこしなどさまざまな活動でお忙しいそうだ。この後も防災の仕事があり、人形の関係ではスペインのマドリッドへ行かれるとか・・。
ここで作られた作品「西行と芭蕉 人形作家南部美智代 蛤の貝合わせ」と葦の筆がセットで販売されていたので、私もひとついただいた。
左が葦の筆で、その表面には南部美智代さんにより「何事のおはしますかは知らぬどもかたじけなさに涙こぼるる」の歌を書いていただいた。また蛤には「うたがふな 潮の花も 浦の春」と芭蕉の句が書かれていた。
ちなみに、この句「うたがふな 潮の花も 浦の春」の句碑は二見浦、賓日館付近に建てられている。
以前のめぐりで撮影した写真
(2010年12月04日撮影)
そろそろ13時が近づいてきたので、夢ぎゃらりい二見を後にして二見公民館へ向かった。
受付へ向かうと、予想以上の参加者が訪れたために準備していた資料がなくなっていた。
ほぼ満席となっている会場の最後尾に席を確保すると追加の資料が配られた。
最初は基調講演。奥野雅則さん(「そこに、西行がいた!!」展実行委員長)による「そこに、西行はいた!!」
内容を理解する間に次の話題へ進んでしまうほどかなりの早口だった。奥野さんがかなりの西行フリークであることは熱い語り口と豊富な知識量から伝わってきた。彼をこんなにも夢中にさせる西行に興味を覚えずにはいられなかった。私はまんまと罠にはまったのだろうか? 奥野さんは西行に関する本を100冊以上は読んだとのこと。かなりのものだ。まずは一冊から始めてみよう!
続いては、安養寺跡を試掘された田村陽一さん(三重県埋蔵文化財センター 活用支援課長)による発掘調査報告だった。
光の街の近くに西行谷があったとは、あの場所なら1994年、まつり博三重(世界祝祭博覧会)会場へ通うため、毎日通っていたのに・・・。全く気づかなかった。あの頃は興味の矛先が別の所を向いていたからだろう。
そして最後は、町おこしに関する提言大会となっていた。
西行の話とはかなりかけ離れる部分もあったが、それはそれで面白かった。
15時になると座談会とともに「西行トーク」が終了となった。
当然のことながら2時間で西行について理解することは難しい。これを契機にあとは自分で勉強してみよう。特に奥野さんのあの熱さを見せつけられると、そこまでさせる西行には何があるのか、その理由を知りたい思いに火が点いた。
翌日に実施される「西行ウォーク」への参加を確認したところ、募集はすでに打ち切られていた。「西行トーク」がこれだけの人気だからすでに予約満了となってしまったのだ。前日に確認する私が浅はかだった・・・。
気を取り直し、まちかど企画展「そこに、西行がいた!! ~西行が愛したまち 二見浦~」が開催されている夢ぎゃらりい二見へ再度向かった。
道路沿いのショーケースには、次の人形が飾られていた。(先ほどは気づかなかったな!)
これは、伊勢市在住の和紙人形作家 阿部夫美子さんによる「西行法師」だ。
夢ぎゃらりい二見の展示会場へ入ると見学者が多い、しかも皆さん真剣に展示物に見入っていた。
解説者の話に耳を傾ける方も・・・。
そしてこちらが安養寺跡から出土した墨書土器の数々。
「三巴文」や「上下」、漢数字が読み取れた。
こちらは湿地帯で水漬けされていたために腐敗せずに残されていた木製品の数々。
下駄もそうだが、呪術具や形代に興味を覚えた。
こちらは同じ木製でも、その上に描かれた絵が貴重だ。躍動感のある馬が描かれている。
さらに、こちらは鳥獣戯画を思わす人と蛙の絵だそうだ。
これこれ。
なお、その左側のこちらは? なんだろう。
また、発掘現場の状況から内陣と外陣を設けた仏堂の存在が想定されていたが、こられの瓦はその仏堂に使用されていただろうと・・・。
さらに、その隣には青磁器や白磁の破片もあった。こられは一般庶民が手にできるものではない。
最後に、現状の地図に安養寺跡の発掘調査現場がマッピングされていた。
さらに、現状の写真と現在建てられている案内板の写真があった。
場所がわかれば訪れるしかない。「西行ウォーク」に参加できないのだからとりあえず現場の雰囲気を感じておこうと思い、夢ぎゃらりい二見を出ると光の街へ向かった。
サンアリーナ側から五十鈴川を渡り、突き当たりを左へ進むと道なりに右へカーブする。その途中に案内板があった。この辺が安養寺跡なんだ。
そしてこちらが案内板。
地図を見るとこの周辺には経塚がある。
次の写真の右側の山に上には豆石山1号経塚があるようだ。
また、名前は分からないが、さらに左方向には
杜が残されている。もしかしてここも何かの遺跡?
【 20130309 の記録 】
- 遷宮記念 おひなさまめぐりin二見(2013)
- まちかど企画展「ここに西行がいた!!~西行が愛したまち 二見浦~」、西行トークin二見 2013 ほか