2013年09月07日(土) 国登録有形文化財 鳥羽大庄屋かどや(旧広野家住宅) (徒歩)
朝から第二伊勢道路の開通記念ウォークを終えるとゴール地点である堅神跨線橋付近から一般道へ下り、堅神神社にお参りした後、鳥羽みなとまち文学館に寄り道してから第二の目的地であった『国登録有形文化財 鳥羽大庄屋かどや(旧広野家住宅)』に到着した。
鳥羽みなとまち文学館からは鳥羽市役所前を経由し中之郷会館がある交差点を右折するとその突き当たりがここ。
鳥羽大庄屋かどや(旧広野家住宅)には以前から興味があり、訪問する機会を伺っていた。
【参考】
改装前の記事
改装後の記事
今回、第二伊勢道路の開通記念ウォークの後がフリーとなったのでじっくりと見学することにした。外観は明治時代の写真を元に修理、改装されている。向かって左側の玄関上部には薬舗を営んでいたことを示す看板が多数掲げられている。
そして、右手の玄関が「鳥羽大庄屋かどや(旧広野家住宅)」の玄関として利用されている。
玄関の前には以前にも見たことがある旧広野家住宅(登録有形文化財)の説明板。
玄関には木製の立派な看板が掛けられている。
私は「かどや」の文字が染められた暖簾をくぐって中へ入った。
受付で声を掛けると担当の女性が次のパンフレットを手渡した後、住宅内をくまなく案内、説明してくださった。
パンフレットでは概要が分かるが、実際に説明を受けるとより興味が深まる。
現在は、「かどや保存会」が指定管理者として鳥羽大庄屋かどや(旧広野家住宅)を維持管理しているとのこと。
こちらは、見学後にいただいたかどや通信第3号の表紙、。
かどや通信 第3号の記事に次のものがあったので抜粋、一読されたし。
ひと通り案内していただいてから、今度はひとりでじっくりと見学した。まずは、二階への階段。階段は新しく設置されていた。
元々は箱階段を使用していたが、高齢者や子供の見学に配慮し、利用しやすい階段に掛け替えたそうだ。(箱階段は後ほど・・・)
階段を上ると
右手には和紙で作られた弘法大師の人形が飾られていた。
階段を上り切った先はこんな風景、道路の先に酒屋さんが見える。
最初の小部屋には鬼瓦等が展示されていた。
その部屋の窓から中庭をパチリ。
小部屋を出て奥の座敷へ向かうと
右手には明治18年当時の旧広野家の間取図面が掛けられていた。
廊下の突き当たりには押入れが見えたがここは左へ曲がると
主屋と土蔵の棟札が展示されている。
その先は客間の座敷が三部屋続く。
ここは大庄屋だったが、太い材を使うことなくかなり細い柱が使われている。ただし、入口の説明にあるように「京都様式・・・」
壁は赤壁で、それ以外にもさまざまな意匠が見られる。
道路に面した窓の格子、
部屋をつなぐ欄間、こちらは土壁で何を表現しているのだろう?
さらに、おしゃれな襖、
床の間の柱は丸柱でさらに上部には自然の形状を生かした木が・・、
そして、こちらは壁がラウンドしている。
さらに別の欄間は海をイメージし、波や貝殻などが表現されている。
そして、長押の至る所には
次のようなうさぎをモチーフにした装飾が付けられている。これは釘隠しだそうだ。
座敷三部屋を通り抜けると先ほど廊下の先に見えた押入れの前へ出た。
押入れを覗くとそこには湿気取りに貼られた新聞紙が剥がれかけていた。内容をよく見るとこれらや薬関係の業界紙のようだ。この新聞は明治廿九年のもの、その頃から業界紙があったとは興味深い。
改めて二階からパチリ、パチリ。
こちらは内蔵へ続く屋根、かなり複雑な構成だ。
階段へ向かう途中、左の壁に掛けられた木札をパチリ。本日休業など・・・。
一階へ下るとまずは仏間をパチリ。
その脇にある中庭側の廊下もパチリ。窓ガラスにはゆがみガラスが利用されている。
ゆがみガラスを通して庭を見てパチリ、パチリ。
ゆがみガラスは二見の賓日館でも利用されている。
【参考】
階段裏の部屋へ入ると、そこには新たなに作られた階段の下に箱階段が収められていた。
また、その部屋の一角には蒔絵のこね鉢。貴重なものがさりげなく展示されていた。
台所へ入ってパチリ。元々、中央には竈(くど)が配置されていたそうだが、その頃も土間ではなく床が張られていたそうだ。
振り返るとそこには神棚。
神棚の右側には恵比寿様と大黒様を祀る恵比寿棚も設けられていた。
神棚、恵比寿棚の下から天を見上げると、天窓があった。
黒光りした材も魅力的だ。
また、漆塗りの重箱なども・・・。
こちらには「ヒロノ」の銘が刻まれていた。
台所を後にすると内蔵へ向かった。ここで外履きに履き替えるとガラス戸を開けた。
目の前には内蔵、立派な扉だ。
蔵の前には階段が掛けられているが、以前は次の画像の左手の壁が開くようになっていて壁側から蔵へと板を渡すことにより家の中から蔵内まで水平に移動することができたそうだ。現在は壁になっていてその面影はない。
内蔵の前の引き戸から外へ出るとそこは中庭。目の前には土蔵がある。米蔵として使用されたそうだ。
土蔵と内蔵をパチリ。
さらに奥へと進むと現在はトイレになっている建物がある。以前はお抱えの大工や庭師の住居となっていたそうだ。
中庭から住宅をパチリ、
さらにパチリ。
中庭から住宅に向かって右側、そこには石段を数段上る程度に土が盛られていた。地震発生時の避難場所とのことだが、津波の程度で・・・。どれほど役立ったのだろう?
中庭から住宅の中へ戻ると、以前は内蔵へと続いていた壁の前に立った。ここから内蔵へと水平移動できたのだ。現在はカフェスペースとして利用されている。
もう一度、ゆがみガラス越しに中庭をパチリ。
仏間の脇から中庭側の廊下へ進むと畳から床に変わる。しかも段差がある。ここまでは江戸時代からの建物、この先は明治に増改築された部分である。
中庭に面する座敷、この場所からの中庭の風景は格別である。
さらに、隣の部屋へ向かうと
そこには小型のオルガンが置かれていた。
これは長尾オルガンと呼ばれ、鳥羽市指定有形文化財に指定されている。
ヤマハに先駆けてオルガンを市場に発表した長尾芳蔵さんが作られた貴重なものだそうだ。
さらに、この部屋には、江戸時代後期の国学者であり歌人である足代弘訓による書が襖に表装されている。
この部屋からさらに奥へと進むともう一つの玄関となっている。(現在この玄関は閉鎖)
玄関の上に掛けられた提灯には見たことがある記号が・・・。そうだ百五銀行のマークだ。
隣の提灯には第百五國立銀行(現、百五銀行)と書かれていた。
以前はこの場所が両替所として利用されていたそうだ。
その名残りが玄関の外側の看板にあるそうだ。あとで、パチリ・・。
玄関を背にして中庭側へ続く廊下を進むと
左手に便所がある。(現在は使用不可)
もう一度中庭に面した座敷へ戻ると
座敷から中庭をパチリ。この場所で読書など、まったりとした時を過ごすのも心の洗濯になりそうだ。
初めての訪問、かなり満足できるものであった。案内してくださった女性にお礼を述べて鳥羽大庄屋かどや(旧広野家住宅)を出た。
最後にもう一つの玄関の外からパチリ。玄関の両側に看板・・・・。それぞれに「三重縣金庫鳥羽取次所」、「鳥羽支金庫」と書かれている。
この後、赤崎神社にお参りしてから帰路についた。
【 20130907 の記録 】
- 第二伊勢道路 開通記念ウォーク
- 堅神神社(鳥羽市堅神町)
- 堅神神社から鳥羽市街へ
- 鳥羽みなとまち文学館
- 国登録有形文化財 鳥羽大庄屋かどや(旧広野家住宅)