2012年10月13日(土) 神島ウォーク (船、徒歩)
鳥羽マリンターミナル[佐田浜]~神島(鳥羽市営定期船)にて神島へ到着した。
横山ビジターセンターが企画した「神島ウォーク」に参加するためだ。
パンフレットによると、主催は「伊勢志摩国立公園自然ふれあい推進協議会」、「伊勢志摩国立公園パークボランティア連絡会」で、協力は『島の旅社』だった。
【参考】
実際のガイドは島の旅社の4名の方で、その中には現役の海女さんも。
「神島ウォーク」の参加者(一般の方よりもパークボランティアの方が多い感じ)は桟橋を後にすると
神島案内地図の前に集まり、本日のガイドを担当してくれた『島の旅社』の四名の方の紹介とウォークの概要が説明された。
まず最初に開発総合センターへ移動すると
新しく作成されたパンフレットが配られた。
本日のルートはこの地図で、島の外周を右回り。
まずは、現役の海女さんから道具の使い方など実演を交えて海女の仕事等について紹介があった。
現在、神島の海女として登録している人数は約60人。(ただし、全員が実働ではない。)年齢は70歳くらいまで。
実際に潜れるのは5月20日~8月20日の間の20日間で、20日未満になることがあっても20日を越えることはない。日和当番が出漁を判断し、海に出られる日には港に赤い旗が立つ。
実際に潜れるのは一日に二回だけ、各回ともに準備を含めて1時間半位で、操業は1時間未満に制限されている。
現在、神島ではウェットスーツ、足ヒレが利用できる。ただし、乱獲を防ぐために操業時間が短縮されている。
ウェアとか道具は近代化されてはいるが、身体ひとつで荒海に対峙する海女の仕事は命がけであることには変わりない。大変な仕事だ。
質疑応答の後昼食に。ここで山海荘特製とばーがーが配られた。こちらだ。
【参考】 潮騒の宿 山海荘
私の昼食は恒例のおにぎり3個とこの「とばーがー」。すべてを食べきると満腹になったので、「神島ウォーク」が出発となる13時まで腹ごなしのために港へ散歩に出かけた。30分以上の時間があった。
まずは、桟橋の近くにある船揚場。
続いて、桟橋から遠ざかる方向へ進むと看板が建っていた。「伊良湖の見える丘(旧オーカ)」とある。
さらに、坂道を上るとその先は伊良湖岬だ。
神島の全景を見ようと思い、港の外側へ堤防へ向かおうとする際、見つけた電灯。
よく見ると尖っている部分がある。これは何で、目的は? まったく分からない。
さらに進むと大きな網が広げられていた。トラックと比較するとその大きさが分かる。トラックがミニカーのように見えてしまう。
何用の網だろう? 疑問だらけで、解決せずに放置しっぱなしだ。
外周の堤防中央あたりまで進みパチリ、
パチリ、
パチリ。灯明山も桟橋も見える。
堤防の隅に風力風向計が設置されていたが、この時点では停止状態だった。無風。
先ほどの堤防から伊良湖の見える丘の方へ戻る途中でパチリ。改修のために台車で海から上げられた第二八千代丸。実はこの船が航行しているのを帰りの船から見かけた。
台車は頑丈そうなチェーンで固定されていた。
そろそろ時間も少なく少なくなってきたので桟橋の方へ戻る際、先ほど上から見えていた船揚場を横切った。
上方を見るとコンクリート製の小屋が建っていたので近づいてみると
その中には船を引き上げるためのウィンチが据えられていた。
錆びて古びてはいるが強力そうだ。
神島定期船待合所へ立ち寄ると誰もいなかったので、この間に帰りの乗船券を買っておいた。
切符売場の上には「神島名所」を紹介する額が掲げられていた。内容は次のとおり、
神島名所
伊勢神宮を守る島
旅情豊かな神島は
小説潮騒の舞台となった原風景
レトロな雰囲気の神島港
カラフルな家が立ち並び
島の中央には時計台、洗濯場
八代神社の国宝文化財
潮騒クライマックスの監的哨跡建物や
石灰岩が美しい
カルスト地形の不動岩
恋の語らい古里の浜
絶景見晴らしスポットの
神島シンボル灯台は
行き交う船の守り神
そして、開発総合センターの裏手(港側)にてたくさん整然と積まれている蛸壺を発見。
内部にはコンクリートが張られていた。
何だかんだと腹ごなしを終えて開発総合センターまで戻ってくると、これから「神島ウォーク」の本番が開始された。
まずは、桟橋から続く道をさらに山方向へ、民家の間の狭い路地を進んだ。
左手に六角形の井戸を見つけると
その先右手に角には時計台がある。現在は上部にソーラーパネルが付いていた。
なお、一時期は時計がない状態が続いたそうだ。当時の写真がこちら、
時計台を過ぎてさらに進むと、
そこは洗濯場。
説明板には、(寺田さん宅前)とある。
こちらが洗濯場で上・中・下と三個所に分けられ、汚れのひどいものから順に、下から上にて洗われたそうだ。
真上から見下ろすとこんな感じ。中央と下部は円形の水たまりであるが、上部は矩形でかなり広い。
そして、こちらは洗濯場の近くに建ち、洗濯場の案内板にも名前があった寺田さん宅だ。寺田さん宅の二階には、小説「潮騒」の取材のために神島を訪れた三島由紀夫が一ヶ月ほど滞在したとのこと。
さらに階段を登り、
左手を見ると寺田さん宅と八代神社の社叢の一部が見える。
階段を登り切った部分には近畿自然歩道の道標が立っている。
八代神社へ向かい水平路からフェンス越しに桂光院を遠望、
さらにズームでパチリ。
眼下にはカラフルな屋根の模様が広がっている。
そして振り返ると、目の前に建つ八代神社の社標はかなり劣化していて、表面の一部が崩れて落ちている。
八代神社の石段は鳥居の先に214段、ただし、その下には港から登ってくる道がありそこにも階段があった。私たちは水平路を経由して鳥居の前まで来たが、この道を利用すれば港から直登することもできるようだ。次回は直登ルートを試してみたい。と考えながら八代神社の鳥居と石段をパチリ。
(注: 現場では直登できると思ったが、地図で確認したところ港からまっすぐには登れなかった。)
鳥居前の左手には設置された説明板を確認してから
鳥居をくぐって石段を登り始めた。
石段の途中で振り返るとこの風景、
さらに石段を登り、振り返ってパチリ。この石段、かなり急勾配だ。
石段を登り終えるとそこには狛犬が待っている。
以前は独特な顔つきの狛犬が設置されていたが、砂岩の劣化により昨年作り替えられた。その際、以前の狛犬の寄贈者である神島出身「山本春子」さんの名前を残すため、台座は残されたとのこと。
狛犬から右方向へ石垣を巻くように進むと
手水舎がある。ここで心身を清め、
手水舎の右手にある鳥居をくぐると急な石段の先が八代神社だ。
拝殿の下で「ゲーター祭」の説明があった。
祭神の筆頭は『海の神』である綿津見命。漁業を主な生業とする島でお祀りするにはもっとも相応しい神様だ。
「ゲーター祭」とは
元旦の未明に行われる八代神社の神事で、夜明け前にグミの木で太陽をかたどった直径2m程の白い輪(アワ)を島中の男たちが竹で刺し上げ、落とします。
「天に二つの日輪なく、地に二皇あるときは世に災いを招く、若し日輪二つあるときは、神に誓って偽りの日輪は是の如く突き落とす」と、邪悪を払い、無事平穏な新しい年の日の出を迎える願いを込めた戦いの祭りです。
【県指定文化財】 ※昭和52年3月28日指定鳥羽市観光情報サイト(ゲーター祭、神島) より引用
ガイドさんは私たちを拝殿から本殿前へと招き入れ、本殿の右側に立て掛けられている「アワ」を紹介してくれた。
本殿の右側、御垣越しにうっすらと白い輪が見える。これが「アワ」、
さらに、本殿の御垣の外、後ろ側の石垣には古びた「アワ」が立て掛けられていた。一世代前のものだろうか?
以上で、八代神社を後にし、この坂道を上った。階段だけではなく両側がスロープになっているのはリヤカーなどを利用するためか?
坂道を上りきり、島の北側の水平路を進むと
一人用の橋がある。この上を歩くと橋がしなり、上下に揺れた。
そして、その先には伊良湖岬が見える。
ここは伊良湖水道で船舶の航行数がかなり多い。水道を横切る伊勢湾フェリーは大型船を回避するように進んでいった。フェリーがあんなに小さく見える。
さらに進むと
神島灯台の門があり、
その先には石段の上に神島灯台が見える。
石段下にはこの説明板がある。
この近くに石で組まれた桝があり二本の側溝から雨水が流れ込むようになっていて、桝に流れ込んだ水は海側へ抜けるようになっている。
石段を登ると
神島灯台。
灯台の前には「恋人の聖地」のプレートがあった。
そして少し離れた海側に神島灯台の案内板がある。
神島灯台の前には、
伊良湖水道が走る。
伊良湖水道は 緑色のブイと赤色のブイの間。
神島灯台を後にすると監的哨を目指して遊歩道を進んだ。ここからは少し上り、
途中で、「海上保安庁第二号柱」を発見。
少し登ると
空にひらひらと数匹のアサギマダラの姿が見えたがそのまま姿を消してしまった。
すると、虫捕り網を手にした男性が現れた。パークボランティアの方が「先生」と呼んでいた男性の手には既にマーキングされたアサギマダラ。わざわざ私たちに見せてくださるために捕獲されたようだった。(感謝)
このアサギマダラは我々が観察し、写真を撮り終えた時点でリリースされた。
これから一ヶ月ほどかけて沖縄の方まで飛んでゆくそうだ。
その後私が見つけたのがこちら。ズームで撮影したものをトリムした。
先生にお礼の述べてこの場を後にすると、アサギマダラの姿を探しながら監的哨へ向かった。
ほどなく監的哨へ到着するとそこには「陸軍用」と刻された石柱が残されていた。
説明板のところでもパチリ。
監的哨は三島由紀夫の小説『潮騒』のクライマックス(海女の初江と漁師の新治がたき火を挟んで互いの愛を確かめ合うシーン)に登場する建物で、実際には旧陸軍の施設で伊良湖から発射された砲弾の着弾点を確認するための建物とのこと。
一階部分に耐震の問題があり現在は立ち入りできないが、鳥羽市は耐震補強と改修工事の予算を確保したので今後工事が進められる予定で、来年の4月には立入禁止が解除される可能性がある。
【参考】 神島「監的哨」 耐震、改修工事へ : 教育・文化 : 中部発 : YOMIURI …
中へは入れないので、外部からパチリ、パチリ。
これも建物の外側からパチリ。
監的哨を背にすると進行方向左側に岬が見えた。弁天岬だ。
この後、遊歩道はどんどん下る。
風景を楽しみながらも
下りに下った。途中で振り返ってパチリ。ここを登るのは大変そうだ。
そして、さらに下ると
前方が開けた。そこは神島小学校・中学校のグラウンドだ。
左へ向かうと道標があり、
その前には丸太で組まれた防風壁?が立っている。
その向こう側には神島小学校・中学校。
そして、先ほどの道標の反対側はこの風景だ。左側がカルスト地形、右下がニワの浜。
少し浜側へ回り込んで、カルスト地形をパチリ。
ニワの浜はここからかなり下った場所であるため、今回は踏みしめることができなかった。そのため、せめて案内板だけでもパチリ。
ここまで来ると神島の名所をめぐり終えた感じだった。この後は神島港を目指してひたすら歩いた。
弁天岬を左側に遠望しつつ、
八畳岩を通り過ぎた。
その先に分岐があり、この案内板が立っていた。
私たちは「通学路から港へ」に従い右側の道を進んだが、ここを左へ向かい古里の浜へ向かうと登りの山道の取り付きが分かりにくいそうだ。(注意が必要)
ここでは、「通学路から港へ」の案内板に従うのが無難だろう。
後は道なりに進み、
NTT DOCOMO 鳥羽神島無線局の前を通り、
電柱 第272号を過ぎた。
そろそろ、神島(漁)港が見える場所で空を見上げると、もしかしたら「サシバ」?
最後の坂を下る途中で、左手に見える島(小築海島)をパチリ。
やっと港に着いて最初に目に入ったのがこの車両、荷台にあるのは綱を巻くための仕組みのようだが・・・???
さらに、その向かいにはこの建物。
近づくと「中部電力 神島発電所」、発電所だ。しかも「松阪電力所」とある。
上部には煙突、この他にももう一本別の煙突が立っていた。
一度は開発総合センターへ戻り、アンケートに答えたところ後は自由に乗船となった。ここで流れ解散だ。桟橋へ向かうと既に定期船が停泊していた。
出航まで30分ほど時間があったので、昼食の時に食べた「とばーがー」を思いだし、発売元である山海荘を確認しておこうと開発総合センターへ戻った。ここには山海荘の看板があったので、矢印を確認すると、
前方に見えたのがこちら。
すぐ近くだったので、路地を進み山海荘の入口をパチリ。
窓には、「とばーがー」のポスターが貼られていた。
まだ、時間に余裕があったので坂道を登ると「神島ウォーク」の出発直後に八代神社付近から遠望した桂光院に到着した。
桂光院の先から見下ろしてパチリ。土塀の瓦の漆喰が印象的だった。
ここから細い路地を散策した後 下る途中で神島のネコにであった。私が近づいても微動だにしない。堂々としたネコ、左耳に傷があった。
この後、坂道を下り桟橋へ急ぎ、帰りの定期船に乗り込んだ。
【 20121013 の記録 】