2011年03月06日(日) 臥龍梅 梅祭(伊勢市御薗町新開) (徒歩)
午前10時から近所にある臥龍梅で梅祭があると聞いていたので少し早めに家を出た。
手書きのポスターは味がある。
臥龍梅の近くには至る所にこの幟が立っていた。臥龍(竜)梅公園の案内標識に従い、民家の間を入ると
住宅街の一角に多数の梅の木が植えられている。私が到着したのが9時45分頃だったので準備が佳境となっていた。
こちらが菅原神社である。
菅原神社を正面右からパチリ。
さらに、菅原神社の前から別の入口の方向へ移動して振り返り、パチリ。
この辺りに臥龍梅を解説している案内板がある。
この紹介は簡潔にまとめられているので、ここに引用する。これだ。
臥龍梅(がりゅうばい)
(昭和四十六年八月一日 伊勢市指定天然記念物)
新開の臥龍梅は、齢一千餘年と称せられる。人皇六十代醍醐天皇の御代菅原道眞公は、右大臣として仕えていたが、左大臣藤原時平の中傷により、延喜元年(西暦901)太宰権帥(だざいごんのそつ)に左遷され、御心憂のうち、延喜三年(西暦903)配流の地に没した。その間、御傍に仕えていた今村刑部師親(いまむらぎょうぶもろちか)に、このまま筑紫の果てで朽ちてしまったら、身に負う冤罪(えんざい)を雪(すす)ぐことすらできないと、崇敬(すうけい)されていた伊勢神宮に代参させて、日ごろ賞愛の梅を伊勢の地に奉納植樹させ冤罪(えんざい)の晴れるのを祈願した。
その梅が臥龍梅であり、「コノ梅ハ成長シ、日本無双ノ名木トナルベシ」と申されたと「勢陽五鈴遺響」に綴られている。
現在も臥龍梅は、春二月から三月にかけて、花は紅白の八重で一つの花にめしべを多数もち、実を多く結ぶという珍しい梅で「座論梅」とも又「八房の梅」(三重県植物誌)とも呼称されている。新開区で管理し、枯死寸前になった臥龍梅の保存のため、枯木の素木を、実生、さし木、接木等により、若木を育成し補植している。
(参考文献)
勢陽雑記・勢陽五鈴遺響
三重県植物誌・臥龍梅小誌
御薗村誌
伊勢市教育委員会
臥龍梅は特に見栄えするようなタイプのものではなく、菅原道真にまつわる言い伝えを有し、一つの花に複数の実を付けることを特徴とするものだ。よって、見た目ではこの梅の良さが分かり難い。そして梅が実を結ぶ前に実の数を調べる方法はただ一つ、一つの花に何本のめしべが付いているかを調べることだ。臥龍梅保存会の方によると、毎年「八ツ房(一つの花に8個の実がつく)の梅」を探しているがなかなか見つからない。今年はこのめしべ5本が多い方だと。これだ。
確かにめしべ(緑色のもの)は5本だ。
さらに、保存会の方が臥龍梅の原木を教えてくれた。これだ。菅原神社の並びの左端の古木。
補強用の副木が無ければ折れてしまいそうな幹だ。
非常に歴史を感じさせてくれる。
まだまだ準備中にもかかわらず、臥龍梅保存会の方々は親切にかつ丁寧に様々な情報を教えてくれた。(感謝)
しばらくして定刻になると太鼓が鳴らされ、梅祭の開催が宣言された。
まずは臥龍梅保存会 会長(左奥の方、手前右の赤黒半纏の方はアマチュアマジシャン引田珍興さん)の挨拶に始まり、
大正琴が奏でられた。
かなり多くの曲の演奏が終わると
ぜんざいが振る舞われた。
これだ。小豆がたっぷりと入った美味なぜんざいで、口直しにたくあんが準備されていた。(ごちそうさま)
続いて御薗マジッククラブの引田珍興の登場だ。
皿回し、ロープ、トランプ等を利用したマジックが次々と繰り広げられた。
そして最後は梅の種飛ばし大会だった。指定された的の中心をめがけて口から梅干しの種を飛ばす。子供が優先で先に飛ばし始めたが、なかなかうまく飛ばせない様子だった。的を狙う以前御・・・。続いて大人のステージに移る頃、この場を離れた。
その前に「八ツ房の梅」を探していたら、
この花を見つけた。
よ~く見ると、
ほら。6本のめしべがある。あと2本だ。
ところが8本のめしべがある花は見つからない。
今後花開くつぼみに期待を託すように、しばらくつぼみをパチリ、パチリ・・
それと最後に、梅の実が見られるのは4月の10日前後だそうだ。先ほどの「六ツ房の梅」の結果確認と「八ツ房の梅」探しのために是非再訪することを約した。
臥龍梅での今日はここまで。この後、河原神社に参拝してから帰宅した。
【参考】