2012年02月17日(金) 祈年祭(外宮)奉幣の儀 (2012) (車、徒歩)
昨年、祈年祭(外宮)奉幣の儀 に続き今年の祈年祭も平日だ。
6時半頃に外宮の駐車場へ到着したので、表参道から火除橋を渡ろうと思い、北御門口を通り過ごした。
先日改修が終わった表参道口では松の木がライトアップされていた。
火除橋の手前に立つ立札を見ると
本日の「祈年祭」とさらに第六十二回神宮式年遷宮「立柱祭」と「御形祭」の案内があった。
火除橋を渡り、手水舎で心身を清めてから
表参道の第一鳥居をくぐると
斎館の前には衛士等が参進の開始に備えていた。いつものように御正宮の前で拝観することも考えたが、外宮では斎館から参進が開始される場面に立ち会ったことがなかったので、ここで参進を待つことにした。
しばらくすると斎館から辛櫃が運び出された。奉幣の儀の際に祭員の参進の前(報鼓が打たれる前)の辛櫃が運ばれてゆく。この中には何が納められているのだろうか? もしかすると御扉の御錠を解くための御鑰か? (こちらも調査事項だ。)
そんなことを考えながら辛櫃を見送った。
すると辛櫃は第二鳥居をくぐり、御正宮へと向かった。
その後、10分ほど経っただろうか。報鼓が打たれた。そろそろ参進だ。
報鼓が表参道を進むと
衛士に先導され、幣帛が納められた辛櫃が最初に斎館を出た。
続いて勅使、
さらに、祭主、大宮司、少宮司が続く。
その後、多数の禰宜、權禰宜等の神職が・・・
すべての祭員が表参道へ出ると、第二鳥居の前に整列し、
まずは幣帛が大麻と御塩の修祓を受け、続いて勅使が・・・
修祓が終了すると御正宮への参進が再開された。
そして、先ほど参進が始まった斎館の扉は、退下が終了するまでこのように開けられた状態となる。そのため、この場所には一名の衛士が門番として立っていた。
斎館前にて足止めされていた参拝者が参進の後ろについて進んで行ったので、私もその後を追った。
そして、大庭の前でかなり近づいたのでパチリ。
そして、参進は御正宮へと
・・・
参進が外玉垣南御門から御正宮へ入り、しばらくすると御正宮への参拝が再開された。
今日は平日なので出勤まであまり時間がないが、8時をタイムリミットに奉幣の儀を拝観した。
外玉垣に張り付いて拝観していると、太陽が高度を上げて御正宮の一部にも陽が差してきた。
特に、祭主や大宮司等が内玉垣南御門と瑞垣南御門の間を通る際、純白の斎服に一瞬だけ差す黄金色の光が印象的だった。何といいものを見せていただいたことか。天照大神から贈り物をいただいた気分だった。
そして、祭儀の後半、勅使が内玉垣南御門の前に座して書状を広げると、その用紙の色が灰色に見えた。もしかすると、古文書調査法研修講座(第4期) の講義で説明を受けた宿紙(しゅくし:薄墨色の楮紙、天皇及びそれに準じる皇族のみに使用が許された。)ではないか? 早朝で薄暗い中だったので見誤りかもしれないが、今も宿紙が使用されているのだろうか?(これも今後の調査項目になった。)
そんなことを考えながら祭儀を拝観していると玉串奉奠となり、少宮司が奉奠された時点で私のタイムリミットが来た。私も「五穀豊穣」と「天下泰平」を祈り、板垣南御門を出た。
板垣の外はかなり明るくなっていた。
四至神にお参りした後、
大庭を左に見ながら
北御門参道から火除橋へ向かった。
その後、気分を新たに仕事へと向かった。