2012年10月07日(日) 神御衣奉織作業終了(神麻続機殿神社) (車、徒歩)
神服織機殿神社から神麻続機殿神社へ にて神麻続機殿神社の社叢を左へ巻き
正面から鳥居を目指した。
鳥居の手前右手には「神麻続機殿神社」の社標が建っている。
鳥居をくぐり参道を進むと参道は斎館の手前で右へ曲がり、すぐ左へ曲がるクランクになっている。
まずは、八尋殿の正面にある鳥居をくぐり、左端に御座す神麻続機殿神社および末社八所にお参りした。
神麻続機殿神社の瑞垣の左端にこの様なものが置かれていた。
これはどうも神御衣奉織に際して建てられる幄舎の柱を差し込むための穴の蓋のようだ。
八尋殿の玉垣の御扉は閉ざされていたが、
御門の柱の根元には玉串が立てられ、
八尋殿の扉は開かれ、御幌が掛けられていた。どうも奉織作業は終了してしまったようだ。
ここでも神服織機殿神社と同様に、奉織作業の拝観はあきらめ別の観点で見学した。
東側の末社四宇、
神服織機殿神社と比較すると一宇の向きが異なることが分かる。ただし、その理由はいまだ?
改めて八尋殿をパチリ。
今にも機織りの音が聞こえてきそうな雰囲気だった。過去の奉織を思い出し、しばし佇んでいた。
これは玉垣の御門の裏側、
以前から興味を持っている柱の台座の理由に迫れるだろうか?
柱の裏側は、表よりも高い位置で材が切り替わっている。左右ともに同様のサイズで材が継がれている。
さらに、
背面から八尋殿を観察すると、御門だけではなく八尋殿自体の柱も根元で継がれている。
西側へ回っても柱の根元は同様の加工になっている。
新しい発見はあったが、これらの柱は新造時にからこの形式であるのか、または修理の際にすべての柱を同じ形式、サイズで加工したのか、またまた疑問が・・・。
いつも結論を出せずに八尋殿を後にする。今日も同様だった。
斎庭を後にして、
参道を戻った。
この後は、予定通り午前中に帰宅できるように、古里公園への帰路を急いだ。
【 20121007 AMの記録 】
- 古里公園から神服織機殿神社へ
- 神御衣奉織作業終了(神服織機殿神社)
- 神服織機殿神社から神麻続機殿神社へ
- 神御衣奉織作業終了(神麻続機殿神社)
- 神麻続機殿神社から古里公園へ