2013年10月27日(日) 相鹿上神社(多気町相可) (車、徒歩)
JR紀勢本線 相可駅ほかにて多気町町民バス 多気郵便局前 バスのりば付近から右手に見えた社叢を目指すとそこは相鹿上神社だった。
常夜燈の右手に駐車場がありその端に次の掲示板があった。そこには「七五三詣」の掲示。
参道入口へ戻り境内へ足を踏み入れると「定」の札、漢文調のかしこまった雰囲気だ。
また、参道の左手には『平成二十七年 第五十七回式年遷宮御奉賛の御願い』の掲示があった。二年後に御遷座が予定されている。
最初の鳥居の奥、遠くには先の鳥居が小さく見えている。あちらの鳥居は両郡橋へ続く県道側の入口だ。
こちらの鳥居をくぐると左手に手水舎があり、
その手水石には「宝暦五 亥正月(1755)」と刻されていた。
参道は右手にある社務所の前で左へ折れ、常夜燈の先に鳥居が二基続く。
参道を進むと、左へ曲がってから二基目の鳥居はかなり古そうだった。その柱を確認すると
「享保十五庚戌歳(1730)」と刻されていた。
鳥居の左手には薪木が確保され、その前の地面には覆いが掛けられていた。この下にはたぶん穴が掘られているのだろう。
さらのその右手には手水石があり、
その先には「猿田彦大神」の拝所と「式内伊蘇上神社」の社標がある。
後で紹介する「参拝の栞」によると伊蘇上神社は合祀神社のひとつである。また、こちらも後で紹介するが境内には「倭姫命御巡幸遺跡」の碑がある。元伊勢の伝承地なのだろうか? 名前が伊勢市磯町にある磯神社に近い。
【参考】
手水石を背にすると「享保十五庚戌歳(1730)」の鳥居を右手に見ながら、拝殿へ向かった。
拝殿前の鳥居下でパチリ。
石階を上るとまずは拝殿にてお参りした。拝殿の先には折りたたみ椅子が置かれていて、神職が大麻を片付けていた。七五三詣が斎行されたのだろうか?
拝殿の右上をパチリ。
また拝殿の隅に「参拝の栞」が置いてあったので頂いた。雨に濡れたようでゴワゴワしていたが・・。
拝殿を出て左手へ進むと小さな社があり、靖郷社と刻されていた。
また、その靖郷社と対面するように鳥居が建てられていた。そこは両宮遥拝所。私も遥拝した。
見上げてパチリ。
視線を落として拝殿に注目すると屋根は瓦葺きだった。瓦葺きの拝殿には慣れていないのでよくよく見るととても新鮮だ。玉城町の幸神社を思い出した。
【参考】 幸神社
お参りを終えて参道を戻ると右手に石碑が見えた。この先へ進むと
そこには、先に紹介した「倭姫命御巡行遺跡」の石碑が建てられていたので、
背面へ回ってみると「昭和五十年三月吉日 建立」と刻されていた。
参道を戻り社務所前へ至ると最初にくぐった鳥居とは別の、国道沿いにある鳥居へと向かった。すると、左手には拝殿へと続く石階があった。上から二段目の変形がやけに気になった。
さらに県道側へ進むと「平成十七年中遷座御大儀寄進者御芳名」の掲示、と言うことは20年の式年の間に中遷座が斎行されたと・・・。
最後にこちらが両郡橋へ続く県道側の入口だ。
こちら側には立派な「相鹿上神社」の社標がある。
その前には歩道橋があり、
歩道橋を渡ると県道の反対側からパチリ。
本殿の裏側は県道のすぐ近くだ。こんな感じ。
人と文化の通りみち〜多気町とその周辺の遺跡〜展示説明会の開始時刻が迫ってきたので、相鹿上神社を後にして多気町多気郷土資料館を目指した。