2011年07月16日(土) 伊勢市の石造遺物めぐり-その1(朝熊岳道) (車、徒歩)
伊勢市の石造遺物めぐり-その1(宇治岳道) に続き、朝熊峠から朝熊岳道を下った。下りだと町石の順番は逆になるがその辺はご容赦を。
朝熊峠には、
二十二町角柱町石(A49)があり、
その左側には、二十二丁地蔵町石(A48)。
ここから再スタート。
まず二十一町角柱町石(A47)。 ただし、二十一丁地蔵町石(A46)は不明。
つぎは、二十町角柱町石(A45)。
この前には、二十丁地蔵町石(A44)。
大きな岩の向こうには十九町角柱町石(A43)が見える。
その近くには、十九町角柱町石手前石仏(A42)。
A42からA43を振り返ってパチリ。
なお、A42の右上には十九町角柱町石手前石仏(A41)がある。
A41の右上には自然が作ったと思われる祠状の石積みがある。(帰宅後に、「市制80周年記念出版 伊勢市の石造遺物(以降は、本書と記述)」で確認したところ、この祠状の中には、A39とA40の石仏があるそうだ。次回以降、要調査)
ここから下に見えるのは本書に記載がない十九丁地蔵町石。
その左には石仏があり、
お礼の看板には再建されたいきさつが記されていた。
石仏の脇の急な坂を下るとここに出る。十八町角柱町石も本書には記載されていない。
本来の町石と思われる石柱は下部より折れていて、その隣には新設された角柱町石がある。十八町。
この下、手すりがある水平道の山側には、十七丁地蔵町石(A38)、
その先には十七町角柱町石(A37)。
この先で、斜面と巻道に分かれる(ただし、20m位)が、合流箇所の右側には十六町角柱町石(A36) 。
坂の下から見上げるとこんな感じ。
ここから急な坂道をさらに下ると途中で、この枯木が山道の中央に立っている。
枯木の根元には、誰がおいたか知れないが、自然石の石仏(のように見える)が置かれている。以前にも見たことがあるので、維持されているのだろう。
枯木から見える場所に十五町角柱町石(A35)。
隣には、十五丁地蔵町石。ただし、本書には記載がない。
薄暗い山道をさらに下ると、十四町角柱町石(A34)。
さらに、十三町角柱町石(A33)。この辺の雰囲気はよく似ている。
A33からさらに下ると正面に視界が開けるが、山道はこの手前を右へ下っている。
すぐ目に入るのは、十三丁地蔵町石(A32)。
さらに前方右手には、十二町角柱町石(A30)。
少し離れて、十二町角柱町石の隣の石仏(A31)。
さらに下ると、左斜面には十一丁地蔵町石(A29)が。
だだし、A29は本書と異なる。本書では下部しか存在していないが、現在は上部が復元されている。どこかで発見されたのだろう。
(20110731補足、本書 P.142には、A27 十一丁地蔵町石(上部のみ)とある。どうも、A29(下部)にA27(上部)が復元されたようだ。よって、A27とA29で一体)
その下、山道の右側には、十一丁地蔵町石付近の石仏(A28)だ。こちらは上部が欠落したまま、本書の記載と同一だ。
次は、十一町角柱町石(A26)。
以前ケーブルカーが運行されていたので、その跡を橋で越える。
こちらがケーブルカーの跡(下方)。
橋の詰めには案内板が建っている。
開けた場所から山道を下ると、
この標識がある。九、十丁町石はメインのルートにはなく、
ここを進む必要がある。今日は迷わず、足を踏み入れた。(以前一度だけ入ったことがあるが町石の存在は意識していなかったので、まったく記憶に無かった。) 少し歩くと何となく踏まれている。誰かが通っている証拠だ。
ほどなく、左手に、九町角柱町石手前の巡拝塔(A20)が見えた。 ただ、種子塔(A21)は不明。
ここからさらに登ると右からの合流点(下からの踏み跡があり、登山者がこのルートを利用しているように思える。)があり左へと巻いていた。その先左側に角柱町石が。
九町角柱町石(A22)だ。造花が供えられている。
隣には本書に記載がない石仏が。
さらに坂道を登ると、左手に十町角柱町石手前の石仏(A23)が現れた。
この先は急坂だ。でも、このようによく踏まれている。どう見ても放置された山道ではない。
この先右手上方に十町角柱町石(A24)。少し離れた場所からパチリ。
やっと 十町角柱町石(A24)を発見し、ほっとしたため一気に坂を下った。(帰宅後に本書を調べると、A24の先にA25の石仏があったようだ、再訪だ。)
九町角柱町石(A22)を過ぎると下から上がってくる山道との分岐となった。左にも興味があるが、今日の目的は町石等の調査であるので右を選択し、
本来の山道へ戻った。九、十丁町石への標識付近で振り返ってパチリ。
ここから一気に下った。八町角柱町石(A19)。
この近くには、
八町角柱町石付近の石仏(A18)
さらにその先の曲がり角には、八町角柱町石付近の種子塔(A17)が。
側面はこんな感じ。割れた大きな岩をそのまま使っているのだろうか?
階段を下り、右方向へ道なりに進むと七町角柱町石が見える。
ただし、七町角柱町石は本書には記載されていない。
この町石は見ている風景だ。パチリ。
さらには、六町角柱町石(A14)とその隣にあり上部が無い石仏(A15)
上りの場合、左側に六町角柱町石(A14)が見えるはずだが、非常に分かりにくい。(A14から少し下り、振り返ってパチリ。)
あともう少し、五町角柱町石(A13)。
足元には、五丁地蔵町石。こちらは本書記載なし。
さらに進むと少し平坦になった辺りに、四町角柱町石(A11)。左側の丘の上には
朝熊神社が御座す。
こちらが四丁地蔵町石(A12)。
そして、こちらが四町角柱町石(A11)。
振り返り、パチリ。
水平道をしばらく進むと、右側に道標「むごん坊道」(A10)が建っている。
さらに水平道を、
三町角柱町石(A9)。
その脇には、本書に記載が無い三丁地蔵町石。
さらに、二町角柱町石(A7)と
二丁地蔵町石(A8)。
そして、最後は切り通しのような場所(足元は岩である)を下ると、その途中に
一町角柱町石(A5)がある。
本書では、 A5の裏に四丁地蔵町石の上部が安置されているとあった。そうか。四丁地蔵町石(A12)が中央で割れていたのは、この部分が復元されたからだ。(納得)
そして、朝熊岳道を下り終えた。ところがまだ終わりではなかった。
この先には右手に駐車場があるが、山道への出入口付近に調査対象がまだ残っていた。
二十二町角柱町石(A2)と石仏(A3)だ。
この案内板の前にある。
二十二町角柱町石(A2)を正面からパチリ。
さらに、この近くには名号塔(A4)もあった。
これで、朝熊岳道のめぐりは終了だ。
このあと、朝熊から神宮神田を経由して五十鈴公園まで戻ったが、その途中で地蔵堂前にある道標(A1)を確認した。これは、別の記録で紹介する。
【 20110716の記録 】
- 伊勢市の石造遺物めぐりの開始
- 伊勢市の石造遺物めぐり-その1(五十鈴公園から宇治岳道へ)
- 伊勢市の石造遺物めぐり-その1(宇治岳道)
- 伊勢市の石造遺物めぐり-その1(朝熊岳道)
- 伊勢市の石造遺物めぐり-その1(朝熊から五十鈴公園へ)
なお、「伊勢市の石造遺物めぐり」シリーズの記録では伊勢市教育委員会が発行した「市制80周年記念出版 伊勢市の石造遺物」を参考にめぐる予定なので、画像データの見出しには()内に本書籍内での管理番号を付与した。ただし、書籍内に該当する石造遺物が見当たらない場合は(?)となっている。また、書籍に記載されているが、実際には見つけられなかったものについては別途まとめたいと思っている。