2012年12月23日(日) 長原神社、長原城址(度会町長原) (車、徒歩)
トレッキングシューズの足慣らし山行2(獅子ヶ岳) を終えて伊勢へ戻る途中、度会町長原(ながわら)にある長原神社および長原城址へ立ち寄った。
次の写真の奥から走ってきて左折(写真では右方向)へ。
近くにバス停があったので、そこから長原神社の社叢をパチリ。
長原神社の左手には長原公民館はあり、その前に十数台は駐められる駐車場があったのでそこに駐車させてもらった。
最初に長原神社へお参りに。
鳥居の右手前には「第四回 長原神社式年遷宮祭 平成二十二年十二月」と書かれた柱が立っていた。
「4回目の式年遷宮とは歴史が浅いのか?」と思ったが、左手にある手水石の奥にある常夜燈を
確認すると、「天保四・・」と読めた。するとこの常夜燈は1833年の建立で約180年前。
それで、四回目の式年遷宮とは・・・? またまた疑問だ。
由緒等が不明なのでとにかくお参りするために石階を上った。
まずは、お参り。
御垣の前にはかなり古そうな狛犬が置かれていた。
また拝殿の屋根の下には上棟祭で使われたものだろう、幣串が上げられている。
拝殿から階段下を望むと家々が・・・ 、長原の地は長原神社に見守られている。
長原神社の境内は緑の絨毯で覆われていた。
神社の左手へ進むとそこにも鳥居があり、その前に説明板が建てられていた。
説明板にある大崎玄蕃頭(守)の顕彰碑を確認するため長原城址へ向かった。鳥居をくぐると苔むした長寿橋を渡り、さらに鳥居をくぐった。
この後は幅の広い山道(参道?)を道なりに進むと
途中で右手に長原簡易水道 浄水場が見えた。
さらに進むと前面にこんもりとした砦のような場所が・・・。
左手の階段(建築ブロックで作られた)を上ると
右手に空間が開けていた。鳥居があり、
その先には祠、さらに祠の手前には長い竹が木に縛られて立っていた。
祠の左手には
大崎玄蕃守城跡の碑、これが顕彰碑だろう。
この碑には、説明板に書かれていた大崎玄蕃守の言葉「わが領地 見わたす四方の山々は 高き低きも長原の里」が刻されている.。
空を見上げると、先ほどの竹の先に・・・
城址を後にして長原神社へ下る途中、大崎玄蕃が見たであろう山々を感じながら歩を進めた。
ここも長原の里・・・
長原神社まで戻ると
長原神社の石階を下った。
【 20121223の記録 】
- トレッキングシューズの足慣らし山行2(獅子ヶ岳)
- 長原神社、長原城址(度会町長原)