2011年01月01日(土) 初詣(2011年)大塚神社 (車、徒歩)
初詣(2011年)吾平山上陵 を終え、【キタヰの妻】の実家の近くにある大塚神社へ向かった。
大塚神社へ到着すると参道脇にある駐車場には車が一台。正午を過ぎお昼時だった。
伊勢では見慣れない鳥居。明神鳥居だ。
鳥居をくぐると左手にある大木にはしめ縄が。
参道の所々に常夜灯が立っている。
参道の石段下には手水舎があり、
手水石には元禄十六年と刻されている。時は江戸時代、徳川綱吉が将軍だった時代のものだ。
この石段は踏み面も蹴上げも短く、非常に乱雑に積まれている? もしかすると整然と積まれた石が時とともに崩れてしまったか? 踏み面が水平ではないため、注意しないと滑りそうになる。
そのためか、石段の左手には上りやすい通路が確保されていた。しかし、この石段を利用しないと大塚神社に参拝したことにならないと勝手に決めつけた私は上りも下りもこの石段を利用した。
石段を上るとこの拝殿がある。
正面には神殿があり、
右手には「櫛磐?之命(?は変換できず)」の小社があり、
左手には「豊磐?之命(?は変換できず)」の小社がある。
また、拝殿(左)と神殿(右)をつなぐ渡り廊下の下には、竪穴式の石槨があり、その中には一枚岩の舟形石棺があるそうだ。
参拝を終え、鳥居まで戻ってくると晴天となっていた。
実はこの地に大塚古墳と呼ばれる前方後円墳があり、後円の頂上に大塚神社が建てられている。
大塚古墳を中心として大小140余基の古墳群が形成され、唐仁古墳群と呼ばれている。
この案合板の裏には先ほど紹介した拝殿と神殿をつなぐ渡り廊下の下にある竪穴式の石槨の蓋が置かれていた。
義姉が参道の脇に斎藤茂吉歌碑があるのを教えてくれたので、パチリ。
歴史を感じながら、大塚神社、大塚古墳を後にし、帰路に着いた。