2013年07月28日(日) お白石持行事 内宮奉献(小木町箕曲団) (徒歩)
第62回神宮式年遷宮 お白石持行事も三日目。伊勢市小木町の奉献団「小木町箕曲団」によるお白石の内宮奉献に同行するために浦田駐車場へ向かった。
実は、三年半ほど前からお伊勢さん125社を何度も巡り神社の魅力に引き込まれてしまった私は、神宮の式年遷宮にさきがけて執り行われた地域の神社の御遷座を追いかけていた。
【参考】
- 高向大社 高向大社 平成二十二年御造営のまとめ
- 二木神社 御造営後の二木神社
- 御薗神社 御薗神社(その後36)奉祝祭
- 日保見山八幡宮 御遷座祭(日保見山八幡宮)
- 箕曲神社 神遷奉祝の餅まき、歌合戦(伊勢市小木町)
- 日和神社 御遷座後の日和神社(伊勢市下野町)
ほか
その中でも最も馴染み深い神社が伊勢市小木町の箕曲(みのわ)神社だった。勤務先が小木町にあるため昼休みのウォーキングコースのひとつでもあり、社殿等の修繕から遷座祭、箕曲神社へのお白石持のための町内曳、さらには雨の中の餅まきや歌合戦など一連の祭典、行事を町民の皆さんと共に体験させていただけた。箕曲神社の御遷座が一段落すると次は神宮の式年遷宮へ向けて動きだした。
公民館の前にある掲示板のポスターで、お白石の内宮奉献は7月28日(日)と知っていたので、ぜひとも同行しようと決めていた。
そして、小木町の奉献団「小木町箕曲団」が出番を待つ浦田駐車場へ到着した。(今日はこのために特別神領民の奉曳サポートのボランティアはお休みした。)
小木町箕曲団は浦田駐車場を出発する奉曳二番車で9時10分発となっていた。
出発時刻が近づいてくると
お白石を詰めた多数の木樽を載せた奉曳車から綱が伸ばされた。
先頭には先導車に続いて踊り衆が・・・。
先導車は浦田駐車場から国道23号へ出て、さらに宇治浦田町交差点へと進んだ。
木遣りの打ち合わせが終了すると
木遣り唄が順に披露された。
・・・
木遣り唄が終わると「エンヤー・・」の掛け声で奉曳車が動き始めた。他の団の女性陣に見送られながら。
浦田駐車場から国道23号へ出る際は、めっぱい右に寄せてコース取りされ
大きな弧を描くように左へ曲がった。
国道23号へ出ると
次は目の前に見える宇治浦田町交差点で左折だ。
ところがすでに練りが始まっていた。
左右から綱が押し合わされ、力較べだ。
少し進んでは練り、進んでは練りを繰り返し、
宇治浦田町交差点を大きく左へ曲がった。
続いては、おはらい町通りへ入るために左折するのだが
私は迂回路を通り、先頭へと急いだ。
出発時と同様に綱の先には踊り衆、
さらにその前には文字通り、先導車が先行していた。
先導車よりも先行して神宮祭主宿舎前へ進むと、奉曳車がここを通る姿を想像しながらパチリ。
おはらい町通りを引き返すと再び木遣り唄が披露されていた。
綱の先には細い綱が継ぎ足された。
木遣り唄が終了すると奉曳は再開されるが、
すぐに練りが始まる。特別神領民の奉曳ではこんな余裕はないが地元の神領民にとってはこの練りも楽しみのひとつだ。木遣りは左右の綱で挟まれる。
ちびっこも練りは楽しそうだ。20年後、40年後は彼らが主役だ。今のうちに楽しさを心身に刻み込み次世代を担ってほしい。
こちらは優しく挟まれた木遣りの女性陣。
練ってばかりもいられないので、「エンヤー、エンヤー・・」の掛け声と共に前進だ。
とは言っても、少し進めば練る、進めば練る・・・このパターンは繰り返される。
神宮祭主宿舎(旧慶光院)前でも
練りは繰り返された。
そしてまた前進・・・。
脚立がないと遠くを見渡すことはできないが、いいところにカーブミラーがあったので、左右の様子をパチリ、パチリ、パチリ。
右手は奉曳車の側、
左手は綱先だ。
前方の様子が気になったが観光客も多くなかなか先へ進めなかったので、五十鈴川の河川敷を迂回して先頭へ出ることにした。
その前に奉曳車をパチリ。
五十鈴川の左岸、ほとんど人影は見えない。ここを急ぎ足で進み、
次の路地(梅谷ノ世古)をおはらい町通りへと進んだ。
その先には「利休饅頭」の看板を掲げた藤屋窓月堂本店が見える。
おはらい町通りへ戻ると、ここでも木遣り唄が披露されていた。
木遣り唄が終わると休憩タイム。神宮祭主宿舎の向かいにある神宮道場の前では宇治奉献団が冷茶を振る舞っていた。
木遣りの女性陣が駆け出したと思ったら
冷えた飲みものを後続車から運び出し、
綱を手にしてその場を離れられない団員に配り始めた。
長めの休憩になるのだろう。
綱が巻き始められた。
綱が巻かれるにつれて奉曳車がどんどん近づいてきた。
最後には短い綱を少人数で曳くことになる。
力のこもった曳きが終わると
奉曳車は巻かれた綱の直前に位置していた。
彼女達はこれから自分たちの休憩タイム?
奉曳が休憩の間、おかげ横丁の入口付近では小木町箕曲団の踊り衆が伊勢音頭などを披露した。
踊り衆の活躍が終わると、十分に休息した曳き手は奉曳車から綱を伸ばした。
ここでも曳き始めるために木遣り唄が披露された。
木遣り唄が終わると例の通り、少し進む、練る・・・・。
【練る】
【進む】
【練る】
【進む】
【練る】
この辺での練りはかなりの盛り上がりを見せていた。木遣りを両側から綱で挟み、さらに・・
ここが見せ場だ。
木遣りを両側から綱で挟み、しかも上へ持ち上げる・・・
『天まで届け!』
白鷹で休憩と言っていたが、
その前にカメラマンも挟まれた。
でも、みんな笑顔、とても楽しいそうだ。
この楽しさを子供たちも体験している。
そして先導車がおはらい町通りを抜けると
宇治橋前へ到着した。
踊り衆は鳥居の前へ移動し、
撮影クルーは準備万端。
しばらくすると奉曳車が見えてきた。
少し進み、練りのパターンはここでも続き、宇治橋前でも練りは繰り返された。
そして先綱との継目が宇治橋前へ到着すると
先綱がここで外されて
巻き取られた。
綱が短くなった奉曳車はここから一気に曳き込まれる。そろそろ動き出すのか? みんなの視線が・・・
「エンヤではないが、速く・・・」、全速力ではないが、速めに曳き入れるとの説明のあと綱が動き出した。
「エンヤー・・・」
奉曳車が近づき、
私の目の前を通り過ぎた。
そして、宇治橋前へ停車。
宇治橋の鳥居前では踊り衆が・・・。
その間に奉曳車では荷解きされて
お白石が詰まった木樽がひとつずつ降ろされた。
そして、大八車に載せられた。
踊り衆に続き、木遣り唄が披露された。
木遣り唄が終了すると、小木町箕曲団によるお白石は奉曳から奉献へと切り替えられた。
奉曳車の梃子方が太い竹の棒で木樽を担いで宇治橋を渡り始めた。
梃子方による担ぎの後に大八車が続き、神苑の前に設けられたお白石置き場へと向かった。
木遣りの女性陣にカメラを向けるとピースで応えてくれたので、パチリ。
パチリ。皆さん、お疲れ様!
お白石が置き場へと到着すると
次々と木樽から置き場へと移された。
お白石置き場への移動が完了するとついに各団員の手に白布とお白石が配られた。
お白石を手にした団員は参道にて修祓を受けた後、銘々に新宮を目指した。
火除橋を渡り、
第一鳥居をくぐると
道なりに左方向へ曲がると
第二鳥居をくぐり・・・
新御敷地の石階下でパチリ。
パチリ。
パチリ。
私は出発前に区長さんから小木町箕曲団の襷を貸していただいたので新宮の通り抜けを体験できた。ただし、小木町の皆さんは相応の費用を積み立ててこの日に臨まれているので、当日参加で費用負担もしていない私はお白石の奉献は遠慮しておいた。
新宮を十分に体感しながら新御敷地を通り抜けると荒祭宮への石階付近に出た。
ここからは外幣殿の裏手の坂道をくだった。そこには奉献者への配慮だろう。
多数のミストシャワーが設置されていた。気持ちいい!!!
この後は通常の参拝経路の帰路となり、四至神の前から参道へ戻ると
神楽殿の前、
神札授与所を先を右折した。
参集殿の脇を通り、神苑の前を通り宇治橋へと戻ってきた。
奉曳車が気になったので、宇治橋を渡って左側にある奉曳車置き場へ向かった。
提灯が外されていたが、
まだ、この状態だった。
小木町箕曲団は出発点で迎えのバスに乗って奉献を終えるとのことだったので、浦田駐車場まで戻った。
おはらい町通りは続々と奉曳車が入って来るので身動きが取れなくなるだろう。迂回路である五十鈴川の左岸を下った。
B4駐車場からB2駐車場へ向かうと
そこには送迎バスが待っていた。
以上で小木町箕曲団によるお白石の内宮奉献は終了した。
ここで、小木町箕曲団の皆さんと別れると私は古市を出発点とする奉献団を追いかけるために牛谷坂へ向かった。
お白石持行事に関しては 有限会社 伊勢文化舎 が発行する『伊勢の今を伝える いせびとニュース 夏号(第11号)』に簡潔にかつ明解に紹介されている。幸いなことに本ニュースのPDF版が伊勢文化舎のホームページにて無料で提供されている。ぜひご覧ください。(感謝)
【参考】
また、お白石行事のスケジュールおよび本期間中の伊勢市内交通規制については伊勢市のホームページに掲載されている。
【参考】
- お白石持行事のページ (伊勢市のホームページ)
- お白石持行事期間中の交通規制 (伊勢市のホームページ)
- お白石持行事公式ホームページ (御遷宮対策委員会)
【 20130728 の記録 】
- お白石持行事 内宮奉献の陸曳出発点である浦田駐車場へ
- お白石持行事 内宮奉献(小木町箕曲団)
- お白石持行事 浦田からの内宮奉献
- お白石持行事 古市からの内宮奉献