上野城下町遺跡(5次)~伊賀市上野農人町~現地説明会

2012年07月08日(日) 上野城下町遺跡(5次)~伊賀市上野農人町~現地説明会 (車、徒歩)

本日、伊賀上野を訪れた第一の目的は「上野城下町遺跡(第5次)」現地説明会に参加すること。

私が訪ねた~上野まち~ にて、伊賀市役所市庁舎駐車場付近から東へ向かい農人町交差点を目指した。

「史跡 芭蕉翁誕生の地」を過ぎてからしばらく歩くと、前方に目立つ幟が見えてきた。ここが説明会の現場だ。

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

まさに、農人町交差点。

農人町交差点

農人町交差点

まったく迷うことなくたどり着けたので、予想以上に早い時刻。説明会が開始される10時半まで30分以上あった。

こちらも道路改良工事の際に発見されたようだ。こちらが工事看板。

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

そして、こちらは発掘業務委託の看板。

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

 

すでに受付は開始されていたので、先に説明会資料をいただき、説明会が開始されるまで現場内を徘徊していた。本遺跡についてはこの資料で紹介されているので、この記録では現場で入手した情報を紹介することに。

上野城下町遺跡(5次)説明会資料(1/4)

上野城下町遺跡(5次)説明会資料(1/4)

上野城下町遺跡(5次)説明会資料(2~3/4)

上野城下町遺跡(5次)説明会資料(2~3/4)

上野城下町遺跡(5次)説明会資料(4/4)

上野城下町遺跡(5次)説明会資料(4/4)

まず、この説明書では1号墳と2号墳の二基が示されているが、資料作成後にもう一基、3号墳が発見されたとのこと。

 

定刻になると説明会が開始された。参加者は150人以上、そして三重テレビとケーブルテレビが取材に入っていた。

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

 

現場を指し示しながら、説明会資料にある内容の説明が始まると

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

見学者は見入り、聞き入っていた。

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

 

一通りの説明が修了すると、現場北側に設置されたテントの下では出土品が公開されるとともに

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

発掘現場が開放された。テントはすぐに人でいっぱいになったので、私はまず現場へ下りることにした。

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

 

こちらは現場の南側、1号墳周溝付近。なお、1号墳周溝は道路を隔てた隣の発掘現場へ続いていた。ちなみに周溝はその両側にピンク色のビニール紐が引かれていた。

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

まず最初に目立つのは石積みの井戸、

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

これは江戸よりも新しいものだそうだがかなり古く、頑丈に積まれているとのこと。今回はこれ以上は掘り下げられてはいなかった。

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

また、井戸の近くやその他の部分にも円筒型の黒っぽい土が見られるが、これは江戸時代の遺物の存在位置を維持するため敢えて掘削せずに残された部分、古墳時代まで掘り進めればこれらの黒い部分は皆無になるはずだ。

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

そして、その黒い部文に残されているはこれらの石、柱の根石だろうか?

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

さらに、1号墳周溝の東部分には

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

「土坑」の札が立てられ、その部分には

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

割れた土器片が広がっていた。

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

また、ところどころにこの様な色が異なる部分も削られずに残されていた。これは粘土質の土で形成されており、水を溜めるために作られたものではないだろうか? とのころ。

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

水溜?

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

こちらは、1号墳の墳丘が削られた場所、そこには

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

土器の底部分が残されていた。

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

 

続いて、北側へ移動するとこちらが2号墳周溝、

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

さらに、こちらは現場のもっとも北側にあり、説明会資料には明示されていない3号墳周溝の一部。

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

3号墳の中から現場の南側をパチリ。

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

以上が遺跡発掘現場の見学。気になったことで説明員の方にお伺いした内容の追加はこちら。

【Q1】 各古墳で周溝の幅が異なるのは?
【A1】 どうも1号墳から3号墳に向けて上りの傾斜がついていたと思われる。その斜面が水平に削られたら1号墳は溝の上部が残り溝の幅が広くなったと思われる。

【Q2】 古墳時代と江戸時代の間の時代は見つかっていない?
【A2】 多分、古墳時代の後も生活拠点になっていたと思われるが、江戸時代に城下町を整備する際、古墳の存在など意識されずに整地されてしまった。そのため、古墳時代から江戸時代の間の形跡が残っていないのだろう。

【Q3】 周溝の目的は?
【Q3】 第一の目的は墳丘に盛る土を調達するため、より多くの土が必要であれば周溝の幅が広がる。また、その他には人を近づけないことだろう。

これで発掘現場の見学を終えると、出土品が展示されているテントへと移動した。

 

テントの下では、テーブルの上、右側に古墳時代の出土品、左側には江戸時代の出土品が並べられていた。古墳時代と江戸時代の間の出土品は見つかっていないそうだ。

【古墳時代】

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

これは円筒埴輪の一部。

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

こちらは須恵器の提瓶、

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

出土品には情報が書き込まれていた。

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

そして、こちらが須恵器の杯蓋。

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

 

【江戸時代】

これから左側は江戸時代のもの、これらはおもちゃだったのだろうか?

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

魚の背びれや鱗が見事に再現されている。

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

これは四つ足の動物。何だろう?

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

その他、生活に利用されていた器類が出土されていた。ロウソク立てや急須など・・・

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

さらには甕や鉢など・・・

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

なかでも気になったのは、底に「宗」の文字が書かれた徳利の破片。

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

そして、こちらは植木鉢。江戸時代に使われていたのか? どんな花が植えられていたのだろう?

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

植木鉢のなかを覗くと水抜きもあり、現在のものとまったく同じ構造だ。

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

これはすり鉢で、

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

これらは、水滴ほか。

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

 

テントを離れて、発掘現場から掘り出した土に目を向けるとそこにも破片がちらほら・・・。どうもこれらは江戸よりもあたらしく現代またはそれに近いものだそうだ。

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町に思いを馳せながら発掘現場を後にした。

上野城下町遺跡(5次)

上野城下町遺跡(5次)

この後は、伊賀上野の散策に・・・

 

【 20120708の記録 】

 

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