2012年05月27日(日) 図録「幕末の異国船騒動」を求めて (車、徒歩)
5月25日の朝日新聞 朝刊に次の記事が掲載されていた。
磯部の古文書学習会が志摩市に残る古文書を読み解き、約一年をかけて図録「幕末の異国船騒動」にまとめたそうだ。
古文書を勉強している私としては、図録の内容だけでなく、古文書学習会がまとめ上げた点にも興味をひかれた。
そこで、午後から資料館を訪れることにした。
新聞記事を熟読せずに私が向かったのは以前訪問したことがある磯部郷土資料館。
【参考】
ところが、磯部郷土資料館へ到着すると入口は閉ざされていた。「今日は休館?」と思ったが、
掲示板を見ると、大きな「移転しました」の文字。
さらに、その右側には移転先(志摩市歴史民俗資料館)への道順を示した地図が。
早速、その道順に沿って車を走らせると
次の案内矢印が現れる。ただし、ここには「志摩市歴史民俗資料館」の名前はない。(移転したばかりだから当然だ。)
右へ湾曲する坂道を上りきると立派な建物が建っている。
この建物の一階が資料館と図書館。
エントランスを入ると左側が「志摩市歴史民俗資料館」、そして右側が「図書館」
ところが、志摩市歴史民俗資料館は閉館?
いやいや、まだ開館されていないようだ。
図録「幕末の異国船騒動」が買えない? と思ったが、図書館側の受付で取り扱っていた。購入したものが、これだ。ページ数(37頁)とはそれほど多くはないが内容的には読み応えがありそうだ。じっくりと読もう!
この後、磯部町山田にあるはずの道標についてお話を伺った。そして、それはショッキングな結末だった。私は移転前の磯部郷土資料館にて資料集「磯部の道標と町石地蔵」を購入し、天明六年建立であるかなり貴重な「山田にある道標(12)」を探し回った。
【参考】
「磯部の道標と町石地蔵」の購入
「山田にある道標(12)」の調査
二度の調査で地図の周辺や林道の奥までを歩き回ったが、結局はこの道標を見つけることができないでいた。機会があれが資料館で状況を伺おうと思っていが、それが今日になったのだ。
そしてショッキングは結末はこれだ。
近所の方から「道標がなくなっている?」との情報が寄せられて、調査したところどうも盗難されたようだ。
とのことだ。世の中には残念なひとが・・・。(残念)
ところが私の中には残念な気持ちとは裏腹に(もう探さなくても良いために)ホッとした気持ちも湧き上がった。その後、新しい資料館のスペースや展示内容についてお話を伺っていたところ、準備中の資料館内部を少しだけ見学させていただけた。(感謝)
「山田にある道標(12)」に対する複雑な気持ちを抱えながら外へ出ると、頭上にはこの光景が広がっていた。パチリ。
続いて、エントランスの右手には陶製のベンチ。座ってみるとやけにフィットした。何て座り心地が良いのだろう。固い陶製とは思えない感覚だった。
そして、この視点からもパチリ。別世界が見えた?
さらに、エントランスの左手には円筒形のポスト(丸ポスト)が建っていた。郵便物の集配用扉が施錠されていなかったので、これは過去の建築遺物になっているのだろう。
最後に、資料館前の駐車場を奥まで進むと、その先にはこの風景が広がっている。
この後は佐美長神社・佐美長御前神社四社、つづいて伊雑宮・御神田、そして最後におうむ岩を訪問した。
【 20120527 午後の記録 】
- 図録「幕末の異国船騒動」を求めて
- 佐美長神社、佐美長御前神社四社
- 伊雑宮、御神田
- おうむ岩(磯部町恵利原)