2012年11月24日(土) 談山神社から明日香、橿原神宮前駅へ (徒歩)
桜井駅から談山神社まで歩き、談山神社の紅葉を堪能した。帰路も徒歩は譲れないが同じルートを戻るのも味気ない。と言うことで、明日香へのハイキングコースを辿り橿原神宮前駅から近鉄の列車に乗ることにした。
このルートは近鉄のてくてくマップを参考に考えていたものだ。
【参考】 奈良-10 と 奈良-22の飛鳥坐神社~橿原神宮前駅
紅葉の談山神社の西入山入口から神幸橋を渡るとその先には次の道標が建っている。
「左 はつせ」、「右 よしの」しかしその右側が読めない。「さ以こく?」、「さ●てら?」
この道標の右手には次の案内板。「明日香・石舞台」ハイキングコース。
でも、私は次の目的地として飛鳥坐神社を目指すため、「増賀上人墓」方向へ向かった。途中までは「明日香・石舞台」コースと同じ。
坂道を上ると
左へカーブする。その右手に紅葉。さらに、足元には道標あり。
この道標の文字はまったく読めない。
坂道を上りつめると石垣があり、石垣の間を通り抜けてから振り向いてパチリ。
談山神社西大門跡の石仏の説明板が見える。
説明板の上の石仏はこちら。
この近くにはこの様な形状の石製の? これは何だろう。
なお、同形状のものが道路の反対側にも線対称に配置されている。
また、この近くには 紅葉の談山神社 に掲載した東大門と同様に「女人禁制」に関する石柱が残されている。
左から「女人禁制石柱の説明板」、
隣が「女人禁制石柱」、
さらにその隣には「亀山天皇皇子良助親王墓」の石柱がある。
また、道路に架かる橋の右手には大きな石標が建っている。
「増賀上人墓」への矢印に従い進んだ。左側の道路には談山神社へ向かう車の渋滞の列。
渋滞の列を背に、右側の道へ進むと次の分岐が現れる。
左が「明日香・石舞台」、右が「増賀上人墓」方向。
東山を経由して飛鳥坐神社を目指すので右のルートを選択。
道標に従い先へ進むと
左へカーブする道路の左側に「三社神社」の鳥居が見えた。ここでもお参り。
そしてお参りを終えてから道路側からもパチリ。
この道は等高線に沿うようにしばらくは蛇行しながらほぼ水平に続いている。
左手に「念誦崛(ねずき)不動尊コノ下」の道標を見ながら
さらに進んだ。こんな所に石垣がある。かなり高さがあるが何だろう?
そして、目立たない路傍に石仏が隠れていた。
しばらくすると、 「増賀上人墓」への案内板が見えた。ここは分岐となり坂道だ。
この先の状況が不明なため、電車の時刻を考慮すると明日香への到着を優先したい。ここは道路から雰囲気だけをパチリ。もっと上の方にあるのだろう。
石垣の下には次の碑が建っていた。
紅葉の下をくぐると
その先には分岐がある。と言っても舗装路は北山へ向かっている。
私は「万葉展望台」方向へ
この急坂を下った。この道標には「飛鳥坐神社 3.4km」とある。
昨日の雨でかなり泥濘んだ土道を下るとさらに分岐が現れた。ここは獣道のような右側の細い道が高家(たいえ)へのルーとだ。私は直進方向。
この道標では「万葉展望台」方向。
道標の隣には木のベンチがあり、その先には
石仏三体、それぞれが個性的で魅力的だ。
こんな雰囲気の山道を軽快に進むと
道の中央に道標が見えた。
近づいてパチリ。
パチリ。
道標の先、火の用心の看板の奥へ進むと視界が開けた。ここが万葉展望台だ。
飛鳥の里が一望できる。畝傍山や二上山も・・・
万葉展望台で風景を満喫してから先ほどの道標(石標)まで戻った。続いて、その近くにあるこの道標の「東山」方向へ下った。「東山 1.2km」
ここからは下り。かなり急で足場が悪い。
落ち葉で地道が見えない。さらに下ると
こんな感じ。至る所で土が掘れてしまい足をとられそうだ。
また、斜面が崩れている場所も所々に・・
足元に注意しながら坂道を下りきると
フェンスが現れた。
その先では扉が閉じられていた。
先日訪れた、三重県松阪市飯高町月出を思い出した。あちらは林道だが、こちらは山道。ただし理由は同じく獣害対策だろう。
【参考】
フェンスの扉が開けられずに乗り越えた所、チェーンが緩んだ。乗り越えてから施錠方法が分かったので、緩まないように掛け直して置いた。
獣害フェンスを後にすると「万葉展望台 1.2km」の道標。
さらにその先には「銃猟禁止区域」の警告板。
さらにその先、果樹園の間を進んだ。
みかんがおいしそう・・・
果樹園を抜けるとやっと東山の町中へ出た。右手の路地の先に常夜燈が見えたので近づくと
こちら。「太神宮」と刻されている。
この辺でてくてくマップでの位置関係が怪しくなってきた。仕方なく文明の利器に頼ってしまった。スマホのナビ機能で目的地に飛鳥坐神社を指定すると、「この先700m」だった。ルートは間違ってはいなかったのか!
気をよくしてさらに進むと次の交差点に出た。信号待ちの際、左から数名のサイクリストが下って行った。彼らは、今朝、私が談山神社へ歩いている時に下居神社から赤鳥居バス停の間で追い越して行った集団だった。どこを回って来たのだろうか?
この交差点の角には「小原」と地名が掲げられた掲示板があった。雰囲気のある屋根がついている。
大伴夫人墓へ
飛鳥坐神社方向へ
振り返ると白壁の建物がすらり、明日香村小原の風景。
先ほどの交差点を渡るとその先右手に見えるのは大原神社。
道路側には「大織冠誕生地」の石柱と
「大原の里(藤原鎌足の誕生地)」に関する説明板がある。
説明板の左側には「(藤原鎌足)産湯の井戸入口」の矢印がある。
この矢印も気にしながら、大原神社の参道を進むと
その先には小ぶりな二宇の社とそれらを覆う屋根。
お参りしてから注視すると、社の脇には二本の竹をまとめたものが数組置かれていた。何だろう?
これらが何かを解決できないまま、「産湯の井戸 入口」の矢印に従うと
斜面に切られた階段の下、
竹田川のほとりに石積みの井戸があった。なお、この井戸とは離れた場所にも別の井戸があった。
大原神社を後にすると目の前に見える社叢のような杜へ向かった。
その手前には、この案内板があり、
杜の下には、大伴夫人之墓があった。手を合わせた。
この場所から大原神社方面をパチリ。
続いて、飛鳥寺研修会館の前を過ぎると
この先に
飛鳥東垣内遺跡の
案内板がある。
そしてこちらが後半戦の目的地の一つである飛鳥坐神社。
詳細は別の記事で、
【参考】
- 飛鳥坐神社
飛鳥坐神社を後にするとその前面の町並みを通り抜け、
この道標で左へ折れた。
あまり時間がなかったが、飛鳥寺の所在を確認するためだけにこちらへやってきた。
「飛鳥大佛」の石柱と
案内板をパチリ。
さらに、「かめバス」飛鳥大仏前バス停をパチリと撮影してから
先ほどの道標まで戻り、甘樫丘を目指した。道標を左折すると「飛鳥北簡易郵便局」、そこには杉玉が吊られていた。酒屋さんだ。
さらに進むと 水落遺跡への道標。ここは通り過ぎ
「かめバス」飛鳥バス停付近まで進むと、
その右手には水落遺跡の案内板があった。水落遺跡を通り抜けてくればよかった!
今となっては水落遺跡へ戻る気力はない。
水落遺跡とは逆の方向にあり、飛鳥川に架かる橋を
渡るとこの先には
「聖徳皇太子御誕生所橘寺」の石柱や
道標が建っている。
時間がないから甘樫丘には登らないつもりだが、マップに従って
甘樫丘の売店付近を通過、
紅葉をパチリ。かなり綺麗だった。
さらに、休憩所付近もパチリ。
ここで、休憩所の脇を通りすぎたのが間違いだった。
飛鳥川まで出てしまい、しばらく歩くと
橿原神宮前駅への案内矢印。
とりあえず左折したが、てくてくマップに示された和田池がありそうな道路ではない。ここで第六感、左手に見える歩道を歩くことにした。田んぼ道へ入り、
くねくねの舗装道を進むと前方に大きな池が見えた。正解。
ここが和田池だ。池の前には記念碑が建てられている。
池を左へ巻くように進むと
こんな風景を背に
住宅街へと向かった。マップに「細道下る」とあったので、ここだろうと進むと
畑の間の道、でもその先は住宅街だ。マップ通り。
ただし、住宅街に出てからルートを誤ったようだ。
私は菖蒲町第一自治会館および
近くの公園の前を通り、
この交差点を左へ向かった。これでマップのルートへ復帰。
後は道なりに進み、歩道への階段を上ると剣池のほとりへ出た。
剣池の先には孝元天皇陵が見える。
この(遊)歩道は途中で道路へ下れないようなので、元の階段へ引き返した。
残るは橿原神宮前駅までの数百mと思っていた所、右手に社叢らしい雰囲気を感じた。さらにあの階段、私を誘っている。
私の身体が勝手にその誘いに乗ってしまった。軽快に階段を上ると
確かに神社だ。社標などは見当たらない。
とにかく、お参りした。
帰宅後に調べたところ、こちらは大歳神社。
大歳神社を後にすると残るは直線。駅舎が見える丈六交差点で信号待ち。
その時見つけたのが、孝元天皇御陵の石柱。横断歩道の先に見えた。パチリ。
信号が青に変わると近鉄 橿原神宮前駅へ。
長いようで短かった一日も終了。桜井駅~談山神社~飛鳥坐神社~橿原神宮前駅。よく歩いた。
あとは大和八木駅で宇治山田行き急行に乗り換えれば伊勢市まで連れて行ってくれる。
【 2012年11月24日 の記録 】
- 桜井駅から談山神社へ
→ 破不動尊と不動延命の滝 - 紅葉の談山神社
- 談山神社から明日香、橿原神宮前駅へ
→ 飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)