2011年09月18日(日) 近鉄 お伊勢さん125社めぐり(第9回田丸・小俣6社) (徒歩、バス、徒歩)
最近、沖縄付近に停滞している台風15号と日本列島の東南の海上にある台風16号の影響で、曇りまた雨の気持ちも晴れない日々が続いたが、今朝は太陽が輝いていた。
今日は、お伊勢さん125社めぐりの第9回、田丸・小俣で6社にお参りだ。宇治山田駅からスタート地点まではバスでの移動。
自宅から徒歩で宇治山田駅を目指し、9時前に到着した。事前にバスの乗車券(320円)を購入してから受付の列に列んだ。
受付開始時刻は9時半の予定だが、9時過ぎなると受付準備が完了し、次の電車が到着する前に受付が開始された。
そうだ、受付の前に「不愉快な体験1」があったので、自分への戒めのためにも紹介。
近鉄ハイキングの担当者が受付の準備をほぼ完了し、列んでいるハイカーに本日の状況と受付開始について説明を始めた。概要は「天気予報では今日は雨の心配は無さそうです。・・朝からコースを回り、予め準備しておいた矢印シールがすべて設置されていることを確認しました。・・次の急行が10分に到着するので、それまでに皆さんの受付は済ませたいと思います。」だ。(確か9時05分を過ぎていた。)
その説明が終るか、終わる直前に、ある男性が大声で叫んだ。その概要は「早く受付を開始しろ(命令調)、これだけ列んでいるんだから・・・」 (近鉄の担当者がいなくなってから、「役所じゃないんだから臨機応変に・・・。」そして、「誰も言わないから俺が代弁してやった。」と同行者に話していた。)
近鉄の担当者の方は頭を下げていたが、どんな気分だっただろうか?
本来の受付開始時刻は9時30分。早朝からコースの下見を済ませ、9時過ぎには受付準備を完了し、そろそろ受付を開始しますと説明を終えた直後の苦言だ。
確かに臨機応変な対応は必要だけど、状況判断はもっと重要だ。
- 人の話をよく聞く。
- 全体感を持って状況を判断する。
勉強になりました。
担当者の説明通り、即刻に受付は開始された。
これが今回のコースマップ。
受付を済ませ、宇治山田駅前から臨時バスに乗った。
バスが出発する前にも「不愉快な体験2」。
バスは座席が埋まるまでアイドリングストップでエンジンを切っていた。バスに乗り込んできたハイカーが一言。「暑いからエンジンを掛けてくれ(命令調)」。どうも空調を求めているようだった。今日は何のために来たのだろう。ハイキングコースには空調はないんだけど? この人、本当にハイキングに来たのだろうか?と疑問になった。
ただし、その言葉は独り言のように聞き流されたのか、運転手には伝わらなかったのか、何も無かったかのように時は流れ、補助席も含めたすべての座席が埋まるとバスは出発した。
度会橋で宮川を渡ると台風12号による増水のために河川敷に残された流木を横目に見ながら堤防道路を走り、玉城町昼田にある「独立行政法人 水産総合研究センター 養殖研究所 玉城庁舎」の門の前に停車した。コースマップでは昼田バス停での下車予定であったが、堤防道路は交通量も多いし、ハイカーのマナーを配慮すると賢明の措置だろう。
バスを降りて、歩き始めてから振り返ってパチリ。
「不愉快な体験3」。朝から不愉快な体験ばっかりで、気が滅入ってきた。
狭い道路を2列で平気に歩いている人が多い。特に、年配の方。車両の往来を気にせず、会話に没頭しているようだ。このような危険な状態が頻発し、実際に事故が発生してしまうとこのようハイキング企画は実施できなくなるだろう。参加しているハイカーはそんなことお構い無しなのだろうか?
この後はハイカー集団とはなるべく距離を保ちつつ、ハイキングを開始した。
三郷・昼田処理場、
下條橋を過ぎ、緩やかな坂道を上った。
その先右へカーブする辺りに左折する路地があり、カーブミラーには「小社(おごそ)」の地名板がある。
ここを左折すると右手には畑が広がり、その先には小社神社の社叢が見える。
そして、次の十字路を右折すると、
左手には下外城田小学校。
この道を直進すると、
正面には、本日の一社目の小社神社だ。
まずは、参拝。
小社神社の社域を出ると、コースマップに従って右へ向かった。
前方には、「立派なクヌギ林(コースマップ)」が見え、
ここで振り返ると、小社神社の全容が見える。
「立派なクヌギ林(コースマップ)」に突き当たり、左折すると右側には水路が流れている。
水路に沿って歩いていると、左手に見える小社神社の社叢が小さくなった。
次の変形十字路で右折するとしばらくは民家の間を歩いた。
佐田交差点で県道13号伊勢多気線を横断し、さらに進むと
JRの三ツ桝踏切がある。踏切を渡ってから田丸駅方面をパチリ。
踏切の先を左折すると、次の貼り紙が目に入った。「田丸神社御遷宮 御白石曳」、今年の5月3日、既に終わっていた。
しばらく歩くと極楽橋にたどり着いた。ここは見慣れた場所だが外城田川の上流側にあるJRの鉄橋が気になり、
鉄橋に近づいた。
くぐってから振り返ると、「制限高 1.8m」
さらに、興味深かったのは橋脚の断面形状だ。上流側は水の流れを左右に分けるためか?尖っている。
しかし、下流側は直線。これは橋脚の強度、川の水量など様々な要素を考慮して設計されているのだろうが、この橋脚は川の流れ方向では非対称だ。今後は、古い橋脚もチェックしよう。(実におもしろい。)
新たな疑問と興味とともに、外城田川左岸を歩くと
外城田橋の手前で左折となった。路地を入ると右手には狭田国生神社の社叢が。
本日、二社目。狭田国生神社に参拝。
参道は左へ直角に曲がっているので、途中で社殿をパチリ。
ここでも、「不愉快な体験?」。今日の幾つ目か分からなくなった。
社殿の前、鳥居の脇で社殿に背を向けて腰掛け、携帯電話を操作している若者(?)がいた。彼は他の参拝者のことは意に介さず、一心不乱に携帯を操作し続けていた。
わたしは心を鎮めてから参拝を終えた。
狭田国生神社の社域を出ると来た道とは逆の右方向へ向かった。
コンクリート製の垣に沿って歩いていると社殿が見えたので、パチリ。
垣が切れると旧伊勢本街道へ出る。右折して萱町のバス停を過ぎるとその先には外城田橋が架かっているが、
橋の手前左側には「ちびき神社」の道標がある。パチリ。
道標の後ろから外城田橋をパチリ。
さらに、外城田橋を渡ってから振り向いて、狭田国生神社の社叢をパチリ。
外城田橋の先へ20~30m歩くと、右側の駐車場の奥に石仏の後ろ姿が見えた。駐車場へ失敬して正面からパチリ。
街道へ戻ると、民家の正面に「小林政太郎生家」と刻された石柱が。「小林政太郎」は誰?と思いつつも通り過ぎてから振り返ってパチリ。両側に蔵がある立派なお屋敷だ。
そんな時、道路の反対側にあるJP玉城郵便局の右横から呼ばれた気がした。
郵便局の建物の右奥を覗くと石碑が建っていた。石碑に誘われるように進むと、何と小林政太郎に関連する石碑だった。(奥の蔵は石碑とは関係がなさそうだが)
これが石碑(孔子廟碑)で、
隣に「孔子廟跡由来」の説明がある。
さらに街道を進むと、次の貼り紙。「田丸神社の秋季大祭」、10月2日と3日だ。
その先にはコースマップ(4480)交差点の右手に常夜燈がある。「両宮常夜燈」であるが、
建立年は読み取れなかった。
常夜燈の裏手には石神さまが祀られていたので、参拝した。
なぜか、右側の山神さまに惹かれた。
寄り道からコースへ戻り外城田川を渡った。渡った橋(橋名は?)とともに外城田川をパチリ。
ふと視線を落とすと彼岸花が咲いていた。もうすぐお彼岸だ。彼岸花は、気候の変動には影響されず、暦の時を知っているかのように咲き始める。
この橋の先にはお菓子処 吉祥庵があり、今回の休憩ポイントとなっていた。
お店の隣で、お茶をいただき、再出発。今日はとても暑かったので、コップ一杯のお茶で生き返る気分だ。
吉祥庵の左側の道路を進み、住宅の間を左折、右折するとここ。
ここから湯田神社まではほとんどが農道で、近鉄の矢印シールが無ければ同じルートを通るのは難しいかも?
こんな感じで農道を歩くと
こんな場所にも矢印シールが設置されていた。草の葉にホッチキスで固定さ。割り箸よりも高度(?)なテクニックだ。
農道で右左折を繰り返すと湯田神社の前へたどり着いた。なお、遠くからでも社叢は見えているのでどんなルートを選択してもたどり着くことはできそうだ。
本日、三社目に参拝。
湯田神社の社域を出て
千引神社へ向かう途中で、振り返ってパチリ。
このルートは初めてだったので、コースマップに従い千引神社を目指した。千引神社の存在は知っていたが、いままでのめぐりの途中では発見できずに参拝したことがなかった。やはり、この様なツアーに参加すると「行ったことが無い場所」、「通ったことが無い道」など新しい発見が多々あるので刺激になる。
こちらが千引神社。
想像していたよりも小ぶりの神社だった。しかも千木が内削ぎで、鰹木が奇数本だ。?
千引神社の近くに祠があり、11時半頃だったので、そこでお弁当を広げている人が多かった。その場所でも、また、「不愉快な体験」。
祠の正面に腰を下ろし、祠に背を向けながら食事を始めた男性、かなりの年配者。疲れ果てて考える力も無くしてしまったのか? それともこれがこの人の常識なのか?
千引神社から先ほど通過した十字路へ戻ると、その角には鳥居が建ち、
「じの神道」の道標がある。
「じの神道」とは? と不思議に思い立て札を読むと、不二池大権現は「痔病を治す」ご利益があるそうだ。(納得)
その心配はなかったが、とりあえず参拝した。
不二池大権現を出て、小俣神社へ向かい始めたら山神さまに気づき、振り向いてパチリ。
この後は、コースマップに従い、外城田川に架かる五十鈴橋(コースマップ(8210))まで一気に進み、ここからしばらくは新しい住宅街を歩いた。途中で、庭先から伸びる花をパチリ。(まだまだ暑いなか、秋の雰囲気を与えてくれたので思わず撮ってしまった。)
さらに、住宅街を進むと、
左手には、湯田野変電所がある。
次の十字路で右折するとJR掛橋踏切だ。踏切を渡り、直進すると、
左手に、官舎神社がある。
官舎神社の鳥居をくぐると、その先にも小さな鳥居が続き、その先左手に手水舎がある。ここには「洗心」の立札があり、手水では心身を清めることを再確認、いや、身体よりも、心を清めを重視しているのだろう。と理解した。
私も心を清めてから官舎神社に参拝。
こちらが拝殿。(立派だ。)
参拝を終えると、もう一方の参道で離宮院公園へ向かった。
実は、離宮院公園内の通路も参道になっていて、豊受大神宮遥拝所、皇大神宮遥拝所、皇居遥拝所が設けられている。すべてで遥拝したが、こちらの皇大神宮遥拝所でパチリ。
さらに参道を進むと、その先には離宮院公園の東側の鳥居が見えた。
参道横の広場ではこの常夜燈を見かけたのでパチリ。安永六年(1777)の建立だ。
離宮院公園の東側の鳥居をくぐり、公園を出てから踏切を渡り、振り返ってパチリ。
いつもならこの踏切を渡ると右折するのだが、今回のコース取りは直進だった。
数十m歩くとこの場所だ。中川メガネ。道路の右側には妻入りの民家が建ち並んでいる。ここは旧伊勢街道だ。
この丁字路を右折。
また、この場所で振り返ると「紀州藩高札場跡の」石碑がある。 江戸時代には「札の辻」と呼ばれ、往来が盛んな場所だったそうだが、今は往来もほとんど無く当時の様子を想像することはできなかった。
コースマップに従って進むと左手に立派な松の木が見えた。照国山 浄土寺。
絵画のようなこの風景に誘われ、いつのまにか山門をくぐってしまった。
こちらが、不動堂と本堂。最近はあまりにも立派過ぎるほどのお堂を建てる寺が多い(自宅の近所)が、この佇まいは檀家への思いやりが感じられる。
浄土寺を出てさらに進むと、見慣れた第一部自治区公民館。この場所に出てくるのか。これで、小俣神社の周辺地図が私の中で完成した。
いままでの小俣めぐりのように、すぐ近くの小俣神社へ向かい
参道へ向かった。
参拝を終えると他のハイカーがいなくなった境内に私一人。しばらく一人の雰囲気を楽しんでいた。
小俣神社を出ると、
いつもなら隣の八柱神社へも参拝するところだが、今日は鳥居の前で済ませた。
そして先を急いだが、さらにその隣の西光寺の瓦に呼び止められた。見上げるとこれだ。とにかくパチリ。(獅子が飛び跳ねて、着地するところだろうか? また、どんな意味があるのだろう?)
同じルートを何度歩いても、新しい発見は尽きないものだ。
こちらは以前も報告しているが、驚きを隠せないものなのでパチリ。汁谷川に架かる宮古橋の横にある参宮人見附の永代常夜燈。この方向からは何の変哲もないが、
横から見ると、これだ。だれが切ったのだろうか。切らずに移動することは考えなかったのだろうか? しかも根元はコンクリートで固定されている。いつ見ても疑問だらけの対応だ(???)。
反対側はこんな感じ。
汁谷川はこんなにいい雰囲気なのに、常夜燈は酷い状態だ。(関係ないか。)
宮古橋を渡り、その正面には宮川の左岸堤防がある。道路標識の下に「宮川親水公園」の文字があるが、この文字を入力する際、最初の変換対象が「浸水」だった。先日の台風12号で宮川河川敷は浸水してしまった。
これだ。
河川敷には流木が今も残っていた。かなり片付けられたそうだが、まだこの状態。
東屋も四隅の足が折れ、屋根が落ちていた。
さらに、酷いのは桜の渡し跡の常夜燈。手前のものは火袋の上部が破損しただけだが、
奥のものはこの状態。補強のために内部に仕込まれていた鉄パイプが曲がってしまった。水の力は途轍もない。
【参考】 以前の状態: 宮川・桜の渡し(下の渡し)
遊歩道の流木はほとんど片付けられているが、数日前までは遊歩道が見えない状態だったそうだ。
また、堤防沿いには舟の形状を残したままの残骸も・・・
JRの鉄橋では橋脚の上部にまで流木等が残っていて、最低でのあの高さまで増水したことが分かる。
撤去作業は今日は休みだが、今後当分続きそうだ。
台風12号の被害を目の当たりにしてショックを受けつつ、宇須乃野神社を目指した。河川敷から堤防へ上がり、宮川に架かる宮川橋を
歩いた。
宮川橋の途中で、JRの鉄橋の橋脚をパチリ。奥に見える畑の緑とのコントラストに違和感を覚えずにはいられない。堤防のありがたさを感じた。
宮川橋を渡ると桜の渡しの説明板がある。
今回のコースには入っていないが、宮川右岸の桜の渡し跡が気になり、宮川橋の脇を折り返すように宮川へ向かった。ここが宮川の右岸にある桜の渡し跡だ。
土砂が押し上げられ、一部の舟は宙に浮いているようだ。
気を取り直して、今日のめぐりの最後の神社である宇須乃野神社(縣神社を同座)を目指した。
宮川の右岸堤防道路へ出て、宮川を一望した後、
堤防道路から右へ外れた。(石碑がある場所よりも先のY字路)
坂を下り、道なりに進むと近鉄の 踏切道 小俣第7号に達する。
踏切を渡るとそのには、止まれの標識の位置から宇須乃野神社の社叢(巨大なクスノキ)が見える。
近づくとさらに大きくなる。
正面に回り、パチリ。
本日のめぐり最後の神社、宇須乃野神社(縣神社を同座)に参拝。
ちなみに、宇須乃野神社の前にはこのような札場と呼ばれるものが建てられている。
【参考】 札場についての情報: 御頭神事(高向大社)へ向かう
以上で、本日のめぐりは終了した。本来であれば近鉄宮町駅がゴールであるが、私は自宅が逆側なので、今回ばかりはゴールへのタッチは見送り、宇須乃野神社の近くにある高向大社へ参拝した後帰宅した。
今日は、多数の「不愉快な体験」を報告したが、これは自分自身への戒めでもある。
撮影に夢中になり、他者に迷惑をかけてしまうこともあるだろうし、常に意識しながら行動したい。