2013年03月23日(土) 上長屋神社(伊勢市御薗町) (徒歩)
気の早い花見ウォーキング(伊勢市)の途中で、伊勢市御薗町にある上長屋神社にお参りした。
立派な社標を右手に見ながら石製の鳥居をくぐると
参道の先に常夜燈が建てられている。ここを右へ進むと小公園へ出る。
手水石には水が張られていなかったので、形式のみで心身を清め、
先の鳥居をくぐった。
先に見える鳥居の手前左手には小さな社とその左右に石座が祭られている。
御薗村誌によると上長屋神社の由緒は
本社は、近世期には八王子社と称し、明治三年に 長屋上産神と改称された。明治四十二年の神社合 祀の際には、長屋神社と号して御薗神社へ合祀さ れた。 そして、戦後の昭和二十六年十一月に、上長屋 区民の手で独立分祀することになり、社名を「上 長屋神社」と単称することになった。 分祀独立 に当たっては、下長屋・中長屋区の氏子のために、 長屋神社当時の御鎮座神である度会氏神社 (明治三年記録ニハ「長屋下産神社」トアリ) 一座を御薗神社に残し奉祭するという。本社の 祭神・那賀射矢大彦神は、度会大国玉比売神の 裔孫にして、当地開発の祖神であるによって、 往古、鎮守神として奉斎されていたということ である。
とある。そして、境内相殿社としては次の五社があり、
- 尾立社(御祭神:尾立権現神)
- 饗社(御祭神:宇賀御魂神)
- 八王子社(御祭神:八柱神)
- 山神社(御祭神:大山祗神社)
- 秋葉社(御祭神:秋葉山の祭神火之迦具土神分霊)
尾立社は当社の御祭神である那賀射矢大彦神の西相殿神として、また饗社は東相殿神として奉斎されているとのこと。
そして、八王子社は境内西石段の上に鎮座とある。御薗村誌に記述されている鳥居は見当たらないが、先の画像の小社が八王子社であると思われる。また、山神社、秋葉社はともに石座で八王子社の北および南に座するとある。つまり、社殿に近い側の石座が山神社で、逆側が秋葉社であると思われる。
また、その左右にある、こちらは手水石。年号が? 天の次は何だろう?
そして、右手の常夜燈は柱以外はかなり古い感じだ。
台座を見ると「享保十* 正月(吉)*」。
享保二十年(1735)に式年造替されているので、その前年の享保十九年かもしれない。
最後の鳥居をくぐり、
拝殿にてお参り。拝殿、御扉、御垣等はまだ新しい感じだった。
お参りを終えて参道を戻り、最初の鳥居をくぐり返すと、そこには御造営御大儀御芳名が記されていた。
そこには平成二十三年とある。最近御造営されたとはいえ、最低でも一年以上は経過している。
【 20130323 の記録 】
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