2013年05月25日(土) 熊野古道伊勢路図絵を片手に(伊勢神宮外宮から田丸まで) (徒歩)
先週の~ 熊野古道伊勢路を歩く展 ~ トークライブ『図絵を片手に伊勢路踏破』(伊勢市立伊勢図書館にて)にて刺激を受け、早速熊野古道伊勢路に一歩を踏み出すことになった。
起点は外宮の北御門。熊野古道伊勢路への出発に向けて にて北御門に到着したのが午前7時。
タイトル通りに『熊野古道伊勢路図絵』(ホームページからダウンロードし印刷したもの)を片手に北御門を出発した。
なお、今回の歩き旅はできる限り『熊野古道伊勢路図絵』のルートを辿ることとし、場所や建物の名称も『熊野古道伊勢路図絵』で使用されているものを採用した。ただし、現地で別の名称を確認した場合はその限りではない。
【参考】
歩き始めてると数mで振り返り、パチリ。
ほどなく昭和の電柱。
次の交差点を左折。(直進は外宮の別宮 月夜見宮への参道)
NTTのビルの前を通過するとしばらくは道なりに直進となる。
この辺りは歩き慣れている場所でもあるので早足で・・・。右手に小西萬金丹。
通り過ぎてから絵図に記載されていることに気づき、振り返ってズームでパチリ、丸与パン。
宮川の堤防までは幅の広い歩道が続いている。
光明山 常照寺、
南宮町 バスのりば、
常磐湯を通り過ぎた。
しばらくすると道路は左へ曲り、変則な交差点となる。
ここが筋向橋だ。
欄干には「嘉永二・・・」と刻されている。
道なりに進むと、浦口町 バスのりば。
辻久留町 バスのりばへと順調に進んだ。
ふと、気づくと古い酒蔵と書かれた場所を過ぎていた。振り返ってその建物を探すと建物の間から次のパチリ。
伊勢辻久留郵便局を左手に見ながら進むと
道路は左へ曲り
宮川の堤防が見えてくる。ルートはこの先で鋭角に折り返すが、歩き慣れた場所なのでここでは手前の階段を上がった。
堤防(宮川右岸)へ出ると右方向へ進んだ。しばらくすると左手に次の碑(宮川堤植櫻碑)がある。
進行方向にはこれから渡る度会橋が見え、
左手、対岸には尾崎咢堂記念館の建物が見える。
なお、記念館の右手には柳の渡し跡の説明板がある。
【参考】
堤防道路では散歩中の犬に吠えられた。犬を避けながら度会橋へ急ぐと
橋を渡り始めた。
橋を渡る途中で、宮川の上流側をパチリ。これからこの先へ向うのだ。
度会橋を渡ると度会橋西詰交差点を過ぎ、
次の道標に従った。左手前方には社叢のような杜が見えていたので気にしながら進むと
鳥居が建っていたので、思わずくぐってしまった。
名前は分からないが
お参りした。コンクリート製で鉄扉の頑丈な社になっていた。
お参りを終えて先へ進むと尾崎咢堂記念館への分岐。この先の様子は知っているので今日は寄り道せずに熊野古道伊勢路絵図のルートに従った。
證得山 地蔵院を右手に見ながら進むと
川端 バスのりば。
絵図にも示されてるように旧道の雰囲気。妻入りの建物だ。
さらに道路は左へ曲がる。ここからも旧道の雰囲気は続く。
坂東 バスのりばを過ぎて、右へ曲がると
蔵がある家が・・・。
しばらくすると視界が開け、その先に橋が見えた。
菱川に架かる和合橋。
その辺には、熊野街道、伊勢街道の道標。新宮まで162kmだ。
橋を渡り、さらに前進すると道路幅が狭くなった。
城田団地前 バスのりばの辺りで右手の視界が開け、
左手に民家が切れるとこんな感じ。車道の左側に歩道が設けられている。
歩道を歩きながら遠くの山並を眺めたが、ガスがかかり・・・?
眺望は諦めて歩みを進めると汁谷川に架かる汁谷橋に到着した。右手前方に見えるのは伊勢市立城田小学校だ。
橋を渡りながら、
左方向をパチリ。
また、橋を渡り終えてから右手を望むと庚申塔と石神さんが祭られていた。その前へ近づいて、お参りした。
そしてすぐ目の前には「伊勢市上地町」と書かれた歩道橋があり、城田小学校へと向っている。
歩道橋へ向う左手の階段を上ると、その先には恐竜!
それは城田幼稚園の敷地に置かれていた。
寄り道はこれくらいにして先へ進むと
上地 バスのりば、
さらには上地町公民館、大楽寺。もしかしてここはお寺が公民館、それとも公民館がお寺?
先は長いので小さなことは気にせずに歩き続けた。
大楽寺を過ぎると右側から中学生の自転車群が現れ、整然と一列になって駆けて行った。最近、2列や3列になり道路を占有しながら走る高校生を見ることが多いので、体育会系のビシッとした女子中学生はクールだ。
伊勢城田郵便局を過ぎると
上地町交差点に到着。ここは変則の五叉路だ。しかし迷うことなく直進。
道なりに進み
JR参宮線の上地踏切を渡った。
絵図に「のどか」と書かれているのはこの辺のことだろうか?
「のどか」な場所を過ぎると
古川にかかる古川橋。
新田町東 バスのりばを過ぎてしばらく進むと
信号機がある次の交差点に到着。交差点の左手には小さな社叢があり、前方左手には常夜燈がある。
石神さまが祭られている社叢に立ち寄ってから常夜燈へ向った。常夜燈には「両宮」の文字が見える。
常夜燈を過ぎると右手に次の案内板。民家の塀に取り付けられていた。
その向かい辺りには旧道を思わせる雰囲気の家。先の説明板には旧「伊勢本街道」と書かれていた。つまりこの辺はさまざまな街道が共用している。伊勢へ通じるルートが限られていたからだろう。
玉城病院前 バスのりば、
玉城郵便局。
今日は立ち寄らなかったが、玉城郵便局の右奥には「孔子廟の碑」がある。
【参考】
玉城郵便局を過ぎて左手には柔らかいオブラートを発明した小林政太郎の生家がある。
【参考】
続いて、外城田川に架かる外城田橋を渡ると
前方にはお伊勢さん125社のひとつである狭田国生神社の社叢が見える。
外城田橋を渡ると右手にある道標を思いだし、近づいてパチリ。「ちびき神社・・」への道標だ。図絵では碑と記されている。
街道へ戻ると前方には社叢、そして民家の壁には
次の説明板が取り付けられている。「萱町の武者隠し」
萱町 バスのりばを過ぎると左側の路地へ入り
狭田国生神社にお参りした。
狭田国生神社でのお参りを終えて街道へ戻ると
前方に歩いている人を発見。かなり離れている。どこまで行かれるのだろうか?
(道中では会釈を交わす程度だったが、結局歩いたルートは同じで帰りのJRの列車内でお話しする機会を得た。この方も私と同様、先日のライブトークで刺激を受け、歩き始めたそうだ。)
「参宮本街道 宿場町 旅籠 扇屋跡」の碑の前を過ぎると
「左へ向うとJR参宮線田丸駅」の交差点に出た。ここは直進。
この道標の通りだ。伊勢本街道(参宮街道)の矢印に従い直進。
この先はとても変則な交差点。とにかく前方へ進むと
「←熊野 多気」の標識があり、その左側には
田丸町道路元標がある。玉城町ではなく、田丸町だ。
道路元標で右折すると百五銀行 田丸支店の前へ。
ここを左折してさらに進むと
「しょうゆ」の香りが漂っている。ミヱマン醤油だ。
その近くにはフリー役場口 バスのりば。
さらに進むと左手、民家の角に
立派な道標。
ここが街道の合流点だ。
図絵ではここで左折となるが、トイレを借りるために直進し田丸城址へと向った。
大手門橋の手前に立派な案内板が建てられていた。
大手門橋を渡ると右手に建っている村山龍平記念館へ向った。
ここは、玉城町郷土資料館でもあり、玉城町図書館でもある。私も何度かお世話になっている。
資料、情報収集と共にトイレをお借りした。
【 20130525 の記録 】
- 熊野古道伊勢路への出発に向けて
- 熊野古道伊勢路図絵を片手に(伊勢神宮外宮から田丸まで)
- 熊野古道伊勢路図絵を片手に(田丸から成川まで)
- 熊野古道伊勢路図絵を片手に(成川から柳原まで)
- 熊野古道伊勢路図絵を片手に(柳原から栃原まで)
- 熊野古道伊勢路図絵を片手に(栃原から下楠まで)
- 熊野古道伊勢路図絵を片手に(下楠から下三瀬まで)
- 熊野古道伊勢路図絵を片手に(下三瀬からJR三瀬谷駅まで)
- JR三瀬谷駅からの帰路