2011年06月25日(土) 大師の里(丹生)の散策 (車、徒歩)
先日、雑誌の束を整理していたら「みえ中南勢ハイク39HikingMap」なるおすすめハイキングマップが出てきた。平成の大合併前の町村名が使用されているので、かなり前(2006年以前)のものだ。
ぱらぱらめくっていると丹生の大師の里のコースの中に丹生大師神宮寺の石階の写真があり、これが気になっていた。
今日は早朝から庭の草抜き作業をしていたが、その時なぜかあの丹生大師神宮寺の石階のイメージが思い浮かんだ。思い立ったが吉日、草抜き作業を終了すると朝食を済ませて9時過ぎに丹生を目指して出発した。
五桂池(最近、TVドラマ「高校生レストラン」で話題となっているまごの店があるところ)を抜けて、国道42号線へ出ると勢和多気ICの手前を右折した。
右折した丁字路の手前におきん餅で有名なおきん茶屋があった。こちらが以前の建物で、現在は国道の反対側に近代的な建物になっている。
(旧)おきん茶屋の前には道標がある。
左 さいこく道
右 よしの
かうや みち
道標の裏側から国道側を見るとその先に見えるのが、おきん茶屋の新しい建物だ。
JR紀勢本線 丹生踏切を渡ってから振り返ってパチリ。
列車が通り過ぎたので、見送りながらパチリ。この列車は「臨時列車」で、丸いプレートには「熊野古道 伊勢路号」と記されていた。(いってらっしゃい。)
ここからはしばらく山の中を走ると十字路の右側に大きな常夜灯が。丹生神社と刻されている。
この先には「ふれあい館」があり、無料の駐車場もある。
ふれあい館では村の特産品や朝採り野菜などが売られ、変わったところでは丹生神社のお神札(ふだ)やお守りも授与してもらえるようだ。
【参考】 丹生大師の里ふれあいの館(三重県農水商工部農山漁村室ふるさと振興グループによる)
今日の目的は丹生大師神宮寺の石階だが、それだけではもったいないので、1時間半~2時間でできる限り丹生を散策することにした。
さて、どこから散策を始めるか? まず目についたのが、ふれあい館を出て右手にある高台だ。民家へのアプローチの可能性もあるが、石の門の間を通り、コンクリート舗装されたスロープを上ると
手すりの終端、右側に「桜山公園」の標石があった。民家ではなかった。さあ、前進だ。
と思ったが、右手を見ると石の座像があり鼻の下にはピアス? これはかたつむりの鼻ピアスだった。
鼻ピアスの坐像を通りすぎると階段があり、
その先は空間が広がっていた。
今日は左側への上り道は無視し、直進するとここ。キャンプ場へ出た。
中央には勢山荘があり、ここには宿泊できるようだ。
その隣にはバンガローが立ち並んでいた。
キャンプ場の入口付近にこの道標があったので、あじさいの小径へ向かった。
森を抜けると
立梅用水の説明板があった。
【参考】 みんなの立梅用水
先のHikingMapには「切り通し」があると書かれているので、来た道を戻ると分岐があった。その先にはこの看板。
立梅(たちばい)用水切り通し
この水路は今から200年ほど昔のみと槌を使い山を切り取って作られたものです。
「切り通し」といえば以前住んでいた鎌倉を思い出す。鎌倉の切り通しは歩くための道だが、ここの切り通しは水を流すためだ。
水の流れを追って行ったら
確かに、のみと槌で岩を削った跡のようだ。
用水の切り通しから上流へ戻ってくると
この案内板があった。
エンゲの切り通し
町指定文化財 第十号
指定年月日 平成十三年五月二五日
多気町丹生字エンゲ四八六七ノ一番地先
用水工事においてもっとも過酷な労働とされるのが岩山やトンネルを掘る作業である。石切専門の石工により、ノミと金槌で岩を砕き水路を造った。深く切り開いた岩肌の状態で水路を造るのが切り通しと言われる。水路は大きくカーブしている難工事であったが、当時の土木技術の優れていたことがうかがわれる。
多気町教育委員会
さらに立梅用水の上流へ向かい、あじさいの小径を散策した、
名前通り、多数のあじさいが咲いていた。
途中、右手には、せいわの里「まめや」の建物が見えた。
【参考】 農業法人 せいわの里「まめや」
さらに進むとあじさいの鉢が並んでいた。どうも売り物のようだ。
右手には、「大師の里彦左衛門のあじさいまつり」の垂れ幕がかかっていた。が、まつりは12日にすでに開催されたそうだ。
この後、HikingMapに記載されていたポイントを順に回った。
めだか池。
水銀坑跡
立入禁止の中はこんな感じ。水が流れている。
続いてビオトープの周囲をぐるりと歩いて
反対側の
素堀のトンネル
町指定文化財 第十一号
指定年月日 平成十三年五月二五日
多気町丹生字柳谷五四四五番地先(二ヶ所)
多気町丹生字塔ノ本四九九三番地先
入口より二十九m附近には水銀を掘るためのタヌキ掘りと呼ばれる水銀坑道が交わっており、その岩肌には水銀採掘のための明かりとしてローソクを立てた跡が残っている。このトンネルは長さ七十一.五m、高さ一.八m、底幅一.五mで岩肌にはノミの跡が残され、岩一升米一升(岩を一升掘れば貴重な米一升がもらえたと言われる)ということわざが残るほどの苦難の工事であった。
この上流(丹生地内)に、あと二ヶ所同様のトンネルが残されている。
多気町教育委員会
トンネルの入口はコンクリートで固められているが内部にはノミの跡が残っている。
さらに進むと左手に「水銀のたぬき掘り古道(入口)」の案内板があったが、あまり寄り道し過ぎると本来の目的の丹生大師神宮寺での時間がなくなるので、ここは我慢して次回の楽しみに取っておいた。
ルートが分からなくなったので、適当に方向を定めて歩いていたら
この場所、
近畿自然歩道の道標にたどり着いた。前方から来たから左へ行こう。こんな調子で「ぶらり歩き」となった。予定通り1時間半~2時間に収まるだろうか?
水路を背にして歩き始めると
左手の墓地を過ぎ、前方右手に「まめや」が見えた。「おっ、観光バスが到着した。」
この道をまっすぐ進むとふれあいの館の前を通る道と交差した。ここは曲がらずに直進するとこの風景だ。左手には高い位置に水路が流れている。
この先を左折すると田んぼの間を抜け、古い町並へと出た。この看板が目についたのでパチリ。
さらにその先左手には「和歌山別街道」の案内板が。
しばらく歩くと本来の古い町並が。
この建物の玄関には「立梅用水 築造者 西村彦左衛門氏旧宅 丹生ふるさと会」とあり、その下には「西村酒業店」とあった。
さらに、この建物の左隣には新造された門があり、その前には「西村彦左衛門為秋翁生家」の石柱が建っている。
門をくぐると敷地は公園になっている。ここは地元の方により手入れが行き届いているようだった。それは公園日誌が物語っている。
こちらが西村彦左衛門為秋翁像だ。このポーズはクラーク博士と同様に大きな志を示しているのだろう。
西村彦左衛門為秋翁生家 公園を出て、右へ進むと
突き当たりにはこの道標がある。
右 いせさんぐう
左 よしのかうや
ここを右折するとすぐ左手のこの掲示があった。この辺りの家にはこの様な白いプレートが掛けられていて、以前の店名等が記されている。
道なりに進むと火の見櫓が見えて来た。この前を進み、
次の交差点を右折すると左手に
この案内板がある。
さらに次の角を左折すると、遠く前方に山門が小さく見える。あそこが本日の目的の地、丹生大師神宮寺だ。どんどん山門に近づくと、
途中、右手にこの建物がある。「弘法大師の加持の井戸」とあり、
瓦にも「大師井戸」とある。
さらに進むと門前橋を越え
丹生大師神宮寺の山門前に到着した。山門前にはこの道標がある。
左 よしのかうや道
右 いせさんぐうみち
こちらが、丹生大師神宮寺の山門。
その左手には土塀が続いている。
山門をくぐると
右手にはこの境内案内図があり、建物等の配置と全体感を把握できる。
また、左側には
掲示板がある。毎月第一日曜日には写経会が開かれている。
参道へ戻ると左手には丹生大師神宮寺の建造物群の説明板がある。
その先、
右手には弁天堂があり、
その向かい側、参道の左手には神宮寺寺務所がある。先ほどの境内案内図によると、こちらは納経所、庫裡、書院で構成されている。
さらに参道を進むと右手に閻魔堂がある。
その向かいには、護摩堂と吊鐘堂があり
護摩堂へ近づくと、
不動尊霊場とある。
また、御堂の上部には「護摩堂」の額が掛けられている。
参道へ戻り山門を望んで左側をパチリ。
さらに、右側をパチリ。
回れ右してパチリ。あれに見えるは観音堂だ。
まずは、観音堂の右手にある
薬師堂、
さらに薬師堂の左奥にある大樹にお参りし、
続いて、
観音堂にお参りした。
上部に掲示されているこの巻物はお経だろうか?
観音堂の木階を下り、右に回りこみ、六地蔵をパチリ。
六地蔵へ向かう途中、観音堂の壁面にこの場所を発見。「西国三十三ヶ所霊場安置」の札が掛けられている。
中には、これだ。
六地蔵を参り、その先にある
石階へ。石階の隣には瓦屋根付きの廻廊が併置されている。
廻廊の後ろ(前?)からパチリ。
廻廊の入口に近づくと、
これだ。
廻廊内
土足厳禁
靴を脱いでお通り下さい。
と言うことは、靴を脱げば、通ってもよい。
折角なので早速靴を脱ぎ廻廊へ入った。まずは階段とは反対側、左手へ、廻廊の前(後ろ?)から覗いた。前方に見えるのは祈願の杉だ。
先ほどの入口を通り過ぎ、
階段を上り始めた。
ここが廻廊の出口。前方には大師堂が見える。
右手の手水石、
さらに右手へ進むと小ぶりの地蔵が多数並んでいる。ここは新四国霊場八十八ヶ所であり、第一番から八十八番の地蔵が並んでいるようだ。
全景をパチリ。
さらに、この奥には丹生都姫神社の案内があり、山道を歩き始めたが、さらに山の上にありそうだったので、今日は省略して次回へと回した。
山道を戻ると中でパチリ。
大師堂の正面へ戻ってパチリ。
内部は金網で遮られていた。
大師堂でお参りを終えると
右手にある文殊堂へ。
文殊堂
この堂は本尊に文殊菩薩、脇佛に普賢菩薩が祭ってある。文殊菩薩とは知恵の力を象徴した尊像であり学門の佛として信仰が厚い脇佛の普賢菩薩は成佛のもとである信仰心を司どる佛である。
元禄十四年に建立されたこの堂を昭和六十一年十月二十一日再建された。
石階を下る途中で振り向いてパチリ。
さらに下りる途中でパチリ。
石階を下りて正面にある祈願の杉の左隣の祠(境内案内図には龍王堂と記されていた。)に参拝した。
正面に「笑門」の門符が付いたしめ縄が掛けられていた。
これで、神社モードへ移行したので、当寺の隣にある丹生神社へ向かった。
参道を先ヘ進むと、丹生神社への鳥居があり、
この由来が掲示されている。
鳥居をくぐると左手に丹生神社があり、早速参拝した。
社殿の左奥に案内板が見えたので近づくとこれだ。
伊勢椿の原木とある。
境内には「山の神」
「女神」が祭られ、
さらに最奥には丹生中神社が祭られている。
こちらが丹生中神社の由来。
参拝を終えると、丹生神社の参道を戻った。(往路は丹生大師神宮寺の参道で、帰路は丹生神社の参道)
鳥居の手前には、御石が垣で囲われていた。何か謂れがある石なのだろう。
これで、お参りは終了。
ふと常夜灯を見ると、その上部はまるで「座玉(すえだま)」のようだ。
もう一度、丹生大師神宮寺を確認してから
ふれあいの館へ戻った。ちょうど12時。2時間ほどの散策となった。ほぼ予定通り。
お土産にお餅を買って帰宅した。