2012年07月14日(土) 天王祭典(河邊七種神社) (徒歩)
天王祭典にむけて(河邊七種神社) の後、しばらくすると社務所前にて天王祭典の祭員に対する手水が開始された。
また、本祭典では神宮の舞楽奉納があるため、楽師と舞女も・・・
天王祭典の式次第はこちら。
手水が終了すると、修祓のために御神木の前に準備された祓所へ整列した。
【修祓】
祓詞の後、まず、大麻が
社殿へと進み、
続いて、御塩も・・・
社殿では、御饌の修祓が行われたと思っていたが、後に出てくるように神社本庁から幣帛を給わっているのでその幣帛の修祓も行われたと思われる。しかも最初に。
神社祭式同行事作法解説(神社本庁編)によると、
祓を行う順序として、宮司以下祭員及び本庁幣を奉じた献幣使以下が同時に祓所に著いた場合、(1)本庁幣、(2)宮司、(3)祭員、(4)献幣使、(5)同随員、(6)総代、(7)氏子崇敬者である。
続いて、宮司以下祭員、楽師、舞女が大麻で祓い
御塩で清められた。
さらに、献幣使、総代が・・・
最後に、氏子崇敬者ほか参列者が祓い清められた。
(私もお祓いを受けたので、その写真はなし)
修祓が終了すると参進となり、祓所から本殿前、拝殿へ移動。
【宮司一拝】
全員が着座すると、宮司一拝で祭典が開始され、
【開扉】
開扉となり、御匙を受け取った宮司が本殿へと向かわれた。
開扉の際、私も低頭していたためその様子を拝観することはできなかったが、扉が開かれる際に発せられる「ギィーーィー、・・・」と鳴る音を聞き、扉が開かれる様子を想像していた。
開扉の後は、献饌。
【献饌】
御饌が手渡しで運ばれ、本殿前に置かれた案の上に供された。
【宮司祝詞】
献饌の後、宮司におる祝詞奏上となった。(進行の説明では祭主祝詞と言っていたと思う?)
なお、祝詞奏上の際は、基本的には私も低頭しようと意識しているため、ある時期以降から祝詞奏上の写真は撮っていないので、祝詞奏上後をパチリ。この祝詞のなかに「神宮本庁から幣帛を給わり・・」のような内容が聞き取れた。
【献幣使祝詞】
それに呼応するかのように、次は献幣使による祝詞が奏上された。
祝詞が終了すると、
【舞楽奉納】
社務所から舞女が登場した。
鳥居の前に整列し、
吸い込まれるように本殿前へ進むと
舞楽奉納が始まった。
舞楽奉納が終了すると舞女は退下となり、
社務所へ戻った。
【玉串奉奠】
その後も祭典は粛々と続けられ、玉串奉奠となった。
来賓等の参列者の中には、三重県会議員 中川正美さん、
祭典の後に日舞を奉納された日本舞踊西川流師範の西川茂登瓔さん(「河崎音頭保存会」を指導されているそうだ。)、
『河』の文字を染め抜いた法被をまとう「河有会」、天王祭の奉祝イベントを主催する地元有志のグループ。
【撤饌】
玉串奉奠が終了すると撤饌。本殿の前に供されていた御饌が手渡しで下げられた。
【閉扉】、【宮司一拝】
その後、閉扉、宮司一拝にて祭典は終了し、
【退下】
退下となった。
最後、宮司によるお言葉があり、天王祭典が滞りなく終了した。
祭典終了後の献幣使と宮司。
祭典終了に拝殿が慌しくなった、椅子が運び出され茣蓙が敷き詰められると
【日舞奉納】
先ほど玉串を奉奠された日本舞踊西川流師範の西川茂登瓔さんによる長唄「梅の栄」が奉納された。
日舞の奉納が終了すると、隣に社がある吉家稲荷神社のことが気になった。
【吉家稲荷神社での祭典】
天王祭典にむけて(河邊七種神社) にて、吉家稲荷神社の拝殿にも椅子が並べられていることを確認していたので、もしかすると思い急いで吉家稲荷神社へ向かった。(と言っても10秒くらい)
あっ、
祭典が斎行されているようだ。
拝殿へ近づくと、すでに献饌は終了し、祝詞奏上の直前だった。
低頭しながら奏上される祝詞を聞き取ろうとしたが、河邊七種神社とは異なり音響設備(マイク、スピーカー等)は利用されていないため、聞き取ることはできなかった。
祝詞の奏上が終了すると玉串奉奠、
続いて、撤饌となり、
最後、宮司一拝。かなりコンパクトな祭典だった。
天王祭典が始まる前にはお参りすることができなかったので、すべての祭典が終了し、参拝者が少なくなったところで、じっくりとお参りさせていただいた。
まずは、河邊七種神社
次に、吉家稲荷神社
以上で、天王祭典の拝観を終了し、帰途についた。
【 2012年07月14日~15日 河崎天王祭の記録 】
- 天王祭典にむけて(河邊七種神社)
- 天王祭典(河邊七種神社)
- 河崎天王祭 神輿渡御