2010年04月17日(土) 五十鈴川めぐり(自転車)
本日は五十鈴川めぐりである。JR東海の125社マップを参考にめぐることを考慮し、JR五十鈴ヶ丘駅を起点とするため、まずは五十鈴ヶ丘駅を目指した。
ここは無人駅である。通学のためであろうか、多くの自転車が駐めてある。
最初は加努弥神社に参拝するため、駅を出て、左へ進む。遠くにホテルの建物の背面が見える。
その先のトンネル(R23号線)をくぐり、さらに進む。
左は住宅街(杜の宮)だ。ここもまっすぐ進み、この先蛇行はするものの道なりである。
この突き当たりは左へ曲がっている。
このY字路は右である。
曲がるとこの風景になる。
前回はここを通り過ぎてしまった。このカーブミラーで左を見ると、小さな杜が見える。ここを左折する。ここが加努弥神社(末社)である。
少し通り過ぎてから振り返るとこんな感じである。
社殿はない。前回は強風のために、この扉が全開となっており、御垣内に御座す石神さまに対面できた。今回はしっかりと閉ざされていた。
思わず、再度ご対面した。
加努弥神社をあとにして、鏡宮神社へと向かった。先ほど来た道をさらに進むと五十鈴川の堤防が見える。その先にこんもりとした小山が見えるが、これは朝熊神社の社叢である。
堤防までくると、朝熊神社(左奥)と鏡宮神社(右手前)の社叢が大きく見える。目の前に見えているが直線では五十鈴川を渡れないので、右手に見える堀割橋まで遠回りすることになる。
堀割橋を渡り五十鈴川右岸を折り返すとその先には鏡宮神社(末社)である。その手前にこの看板がある。以前、この小さな入江は川曳用のお木の貯木場であったそうだ。
ここが、鏡宮神社(末社)である。手前(五十鈴川)、奥(朝熊川)が流れ、周囲のほとんどが川に囲まれている。
左手にある階段を下るとその先に社殿が見える。前回来た時よりも木々が茂っているように感じた。春の芽吹きのためか。
これだけ低いと川面との高低差も少ないので、台風などで増水するとどこまで水が来るのだろう。なぜこの場所に神社を建てる必要があったのだろう?
ここでは、社殿を覆う木々はまったくない。フルオープンな状態だ。
社殿はほぼ南面している。
社殿の左手(西側)には小路があり奥へ進める。
そこには、虎石と呼ばれる石がある。
次は朝熊神社へ向かうが、鏡宮神社の階段を上がり社域を出ると、左手には細い橋が見える。
自転車でギリギリ通れるくらいの幅である。今日は風が強かったので少しフラつきながら渡った。
朝熊神社側から鏡宮神社を望むとこんな風に見える。完全に島に見える。
石垣に付いた水跡から推測すると、虎石は満潮時には水没するだろう。
ここが、朝熊神社(皇大神宮の第一の摂社)である。
石段を右に折れ、さらに登ると、頂上の左側に、
向かって左側が朝熊御前神社(摂社)、右側が朝熊神社(摂社)である。前回のめぐりで参拝順序を教えていただいたので、朝熊神社から参拝した。
こちらが朝熊神社、
こちらが、朝熊御前神社である。
ともに社殿は南よりもやや西を向いている。
何か異なる点はないのかとじっくりと見学していたところ、御垣の扉の横にある柱に相違点を発見した。柱の根本に注目すると、朝熊御前神社の柱の根本は木の台座が据えられている。なぜことなるのだろうか、これも調査テーマだ。なぜ、相違させる必要があるのか?また、朝熊御前神社の柱の根本にはどんな意味があるのか?
朝熊御前神社の左側には次のような注意の立て札があった。三番目に「一.落書きはやめましょう」の一文があった。この注意書きは他の神社では見たことがなかったので少しショックを受けた。この一文があるということは、ここでは落書き事件があったのだろう。観光名所では落書きも珍しいことではないが、神社はね・・・
ちなみに、石段下の立て札は通常の定であった。
朝熊神社を後にして、大土御祖神社へ向かった。
先ほど渡った堀割橋を渡り返し、五十鈴川の左岸堤防を上流へ走った。
ここから舗装路が砂利道に変った。
さらに進むと、伊勢二見鳥羽ラインの下を通る。
その先には、大土御祖神社の社叢が見えてくる。
また、対岸を眺めると、神宮神田を遠望できる。
これは五十鈴橋を渡る手前のショットである。新しい橋を作っているようだ。現在の橋は車が対面通行できないし、老朽化している。奥に見えるのは、大土御祖神社の社叢である。
五十鈴橋を渡り、左折するとこの風景となる。
ここが、大土御祖神社(摂社)である。この社域には国津御祖神社(摂社)も御座す。さらに、宇治乃奴鬼神社(末社)が大土御祖神社に、葦立弖神社(末社)が国津御祖神社に同座されている。
木々の枝が円形に切り取られたような入口で、これは人工的である。
参道には大樹が乱立している。
ここが大土御祖神社。
社殿はほぼ南面している。
さらに、奥へ進むと、ここが国津御祖神社である。
ここの社殿もほぼ南面している。
木の門をくぐって、社域を出る。
社域と道路の間には水路があり、この流れに誘われて進んでゆくと神宮神田がある。
これは、五十鈴川の右岸堤防からの遠景である。
神宮神田前を通る県道37号まで戻ると、神宮神田の入り口がある。
さらに進むと、石段がある。
この鳥居の丸太も皮が剥かれていない。そうだ、伊雑宮の神田の鳥居と同じだ。
石段を上ると、この風景を見ることができた。
神宮神田を後にして、宇治山田神社へ向かった。
五十鈴橋を渡り、左折し堤防を走った。
近鉄鳥羽線の高架下をくぐると、右手には田園風景が広がった。ちょうど田植えの準備のため、トラクターで代掻きをしていた。
これだけを切り出すと、深い自然のなかにいるような錯覚に陥る。
堤防から右手を望むと宇治山田神社の社叢が見える。2階建ての家と比較しても、社叢の背はかなり高い。
さらに堤防を進むと、御側橋にたどり着く。左手には三重県営総合競技場があり、歓声が聞こえてきた。なにかの大会が開催されていたのだろう。
ここでは、橋と反対方向へ進む。
右に曲がるとこの風景であり、目の前に社叢が見える。
突き当たりを左折し、細い道を道なりに進む。
この角を曲がると、すぐそこに、
この民家の間の細い道、この上に宇治山田神社が御座す。
石段を登って行った。
その先には苔が生えた赤土の斜面が広がっている。これだけ苔が多い神社も珍しい。
ここが宇治山田神社(摂社)であり、那自賣神社(末社)が同座されている。
今日は、お守りの方が掃除されていた。新芽がでるこの時期が一番大変だとおっしゃっていた。確かに、枯葉が散在していた。
この社殿は完璧に南面している。
宇治山田神社を出てから細い路地を引き返し、元の道へ戻り、そのまま道なりに月讀宮を目指した。
この信号を渡れば、月讀宮だ。前回のめぐりでは葭原神社を探すのに苦労したが、所在を知っている今回は楽なものだ。月讀宮の鳥居をくぐるとすぐ右手に葭原神社がある。
まっすぐ進めば、月讀宮へ、
右手には、葭原神社(末社)が御座す。
社殿はほぼ南面している。
社殿に向かって右手には、神社を見守るように大樹が立っている。
大樹から見た葭原神社。
徒歩のめぐりであればこちら側の参道から月讀宮へ向かい、帰りは御幸道路へ出る参道を利用することになる。今回は自転車でのめぐりであるため、先に御幸道路側の入口まで自転車を移動し、そちらの参道から月讀宮へ参拝した。
御幸道路を通り、月讀宮へ自転車で走った。
こちらが、御幸道路側の入口である。
参道へ入ってゆくと、風景は一転する。
灯篭の屋根の劣化度がやけに違和感を感じさせる。
式年遷宮のために準備されている新御敷地は、参道からでも木々の間に微かに望める。
参道の突き当たりは手水舎である。右側の参道を進むと先ほど参拝した葭原神社へ戻ってゆく。ここは、心身を清めた後、左の参道を進んだ。
その先には、今回の式年遷宮で新しく社殿が建てられる新御敷地がある。4つの覆屋が並んで見える。
参道を奥へ進むとそこには4つの社殿(向かって左から、伊佐奈弥宮 (いざなみのみや)、伊佐奈岐宮 (いざなぎのみや)、月讀宮 (つきよみのみや) 、月讀荒御魂宮 (つきよみのあらみたまのみや) )が並んで建てられている。しかも、すべて別宮だ。125社でこんな光景を見たことはない。何とも贅沢な雰囲気だ。
月讀宮、月讀荒御魂宮、伊佐奈岐宮、伊佐奈弥宮の順で参拝した。
まずは、月讀宮
次は、月讀荒御魂宮
さらに、伊佐奈岐宮
最後は、伊佐奈弥宮である。
また、すべての社殿はほぼ南面している。
ここは月讀宮であるので、他の三宮と比較すると、社殿、鰹木、御垣はかなり大きい。ただし、千木の差はよくわからなかった。
参道を引き返すと、右手の高台に新御敷地があり、覆屋の頭が見えている。参道脇には御井であろうか、覆屋が見える。
参道を引き返し、鳥居をくぐると現実世界へ戻ってくる。御幸道路を右手に進むと近鉄鳥羽線の高架が見えてくる。この高架をくぐり道なりに進む。
少し上りの傾斜になり始めたあたりで、伊勢自動車道と交差する。
ここは、熱田神宮から伊勢神宮まで襷を繋ぐ大学駅伝で、前方から手前に向け、最終ランナーが駆け下りてくる場所である。(ただし、ここは歩道)
さらに坂を上ってゆくと大きな鳥居が見えてくる。
道路の案内板と比較すると、その大きさがよくわかる。
坂を上りきると右手には、神宮文庫への門がある。
ここを左折すると、倭姫宮の入口がある。
鳥居をくぐると右に曲がりながら下る坂になっている。かなり下っている。谷底へ向かう感覚だ。
下りきった参道を進んでゆくと、石でできた橋を渡る。
突き当たりを右へ曲がると石段が現れる。
石段を上ると、倭姫宮を遠望できる、手前左側には手水舎、右手には宿衛屋がある。
ここが倭姫宮(別宮)である。
ここでも新しい発見があった。御垣の回りに柵が建てられている。そういえば、神社・大湊めぐりの御食神社は御垣が二重化されていた。ただし、この柵は形状が興味深い。長い柱の間に短い柱が挟まれている。なぜだろう?
木々が多い茂った谷の底を通る参道には溝が整備されているが、常に湿度が高いのか、苔も多い。
JRのマップに従うと、倭姫宮をでたらJR伊勢市駅へ向かうことになる。
宿衛屋手前の参道を進むと神宮徴古館の手前にでる。
ここを左へ進むと 左手には 式年遷宮記念 神宮美術館、
さらに、右手には 神宮農業館 が現れる。
坂を駆け下りると、左手には駐車場がある。また、その入口脇にはトイレがある。
わたしはIR伊勢市駅へは向かわず、自宅へと直行した。