2010年08月15日(日) 虎尾山ほか (自転車)
午前中は墓参り。午後から徴古館へ行こうと思いたち、自転車で家を出た。河崎の辺りを走っていると、なぜか虎尾山のことが思い出された。2010年05月15日、神宮徴古館の帰りに虎尾山へ寄ろうとしたがどこにあるのかが分からなかった。ことが・・・
もうこれは行くしかないと思い、行き先を変更した。勢田川沿いを走り、先日の逆コースをたどり、住宅街の坂道を上り高台へと出た。前回と同じ場所を走ってもたどり着けないと思い、伊勢の街が見える方向へ思い切って坂を下った。しばらくすると造成地が現れ、左手に掲示板があった。やっとたどり着けたのだ。
ここには、私が迷いながらたどり着いた順路ではなく、宇治山田駅方面から速やかにたどり着けるコースを紹介しよう。
宇治山田駅方面から伊勢古市参宮街道(古市街道)を間の山へ向かうと小田橋にたどり着く。
小田橋を渡り数十m先、三重県真珠株式会社の手前を右折する。
突き当たりの右手が急な坂道となるので、黙々と上りつづけると、
視界が開け、造成地が現れる。建築中の建物の右手を見ると、
その先には、遠くに【分】【譲】【中】の看板が見える。
拡大すると【中】の看板の右奥に・・・。
先ほどの坂道を上りきった場所へ戻ると
山側に掲示板があり、これを見るとこの上に虎尾山があることを確信する。
目の前に伸びる階段を駆け上がると、
その先には山へ通じる道があるが、立入禁止となっている。
掲示をよく見ると、登山口が移動したと書かれている。右の奥の方へ・・・
よく見ると、「はいってはいけません」の掲示の先には、倒木がある。立ち入るのは危険だ。
帰宅後に、特定非営利活動法人(NPO法人) 自利利他 のサイトを見て分かったが、昨年の台風18号で被害を受け、登山道が閉鎖されたそうだ。
掲示に従って先へと進むと、
突き当たりには小公園がある。公園の入り口左側に立つ電柱にも次の掲示があり、
先ほどと同じ内容の掲示だ。
さらに、小公園の奥へと入って行くと、
金網のフェンスに扉があり、その両脇には2種類の掲示がある。
様々な方の協力があり、新登山道が完成したこと。
新登山道(林道)の敷地は株式会社ユタカ開発が所有しているが、歴史施設「砲台山」の見学のために提供していること。
金網の扉を開け、竹林へと入っていく。竹林の斜面には階段が切られており、非常に登り易い道である。なぜか山道沿いの所々に電球がぶら下がっている。夜間にも入れるのだろうか?
数分で登りきれるが、、下を見るとわりと高く感じる。
伊勢市街がかなり小さく見える。つまり、虎尾山は標高50m程度なのにかなり高く感じる。
山道を登りきり竹林を抜けると、虎尾山の頂上へ続く石段の下部に出る。
石段を数段下ると広場があり視界が開けている。また、前面の手すりには多数の絵馬がかけられており、さまざまな願いがここにある。
振り返ると、石段の左側には木々が根こそぎ倒された状態が今も残っている。ここが以前の山道だったところだろう。
石段を登ると、
その途中からでも左手には先ほどと同様な倒木が見える。かなりの被害だ。旧山道を復元するよりも新に開いた方が容易だったことがよく分かる。
石段を登ると、踊り場が現れ、さらに石段が続く。
ここが頂上だ。実際のところ、この建造物はなんだろうか?
Wikipedia(虎尾山) では戦役記念碑と紹介されている。
このハートマークは何を意味しているのだろうか?
塔とこの構造物は作られた年代が異なるのだろうか? どうもミスマッチな感じだ。
木々に遮られはするものの、伊勢湾まで続く伊勢の町を一望できる。この眺めは気持ちがよい。
先ほど登ってきた石段の先、左手にはNTTのビルが見える。さらに、その左へ視線を移すと外宮の宮域がある。
あれに見えるは高倉山か。あそこには高倉山古墳があるのだろう。あー、見てみたい。
そう言えば、以前、検定「お伊勢さん」の講習会で、皇學館大学の岡田登教授が「高倉山古墳が築かれた時には木がすべて伐採されたので非常によく見えただろう。これを築いた人は海からも眺められるように・・・」と説明されていた。
現在、一般人が自由に高倉山古墳を見学することはできない。もし、古墳周辺の樹木を伐採していただければ、地上からでも拝めるだろう。式年遷宮記念せんぐう館の完成に合わせ、実現しないものだろうか!
ここからでも高倉山古墳が見えることを想像しながら、この地を後にした。