2010年08月16日(月) 朝熊山登山(朝熊岳道:朝熊登山口~朝熊峠) (車、徒歩)
ここ数回は「お伊勢さん125社」とかけ離れたテーマを追っていたが、今回は朝熊山に登山し、金剛證寺、八大龍王社へ行ってきた。金剛證寺は伊勢神宮の鬼門を守る寺(神宮の奥の院)とも言われ、伊勢音頭の一節では「お伊勢参らば朝熊(あさま)をかけよ、朝熊かけねば片参り」とも歌われる。と言うことで直接ではないにしても、間接的にお伊勢さんテーマに引き戻した。
今日は写真の枚数が多いため、次のように四本に分割した。
- 朝熊岳道:朝熊登山口~朝熊峠
- 朝熊峠~金剛證寺
- 金剛證寺~八大龍王社
- 八大龍王社~朝熊峠~朝熊登山口
最初は、朝熊岳道:朝熊登山口~朝熊峠で、登った距離の目安となる何町を表す石標を順に紹介する。
朝熊の登山口に隣接する「であいの広場(駐車場)」に車を駐め、登山を開始した。
「ようこそ朝熊岳道へ」の案内板の前にはお地蔵さまがあり、その脇にはなぜか二十二町を示す石標が立っている。
コンクリート舗装された斜面を進むと「朝熊岳道」の看板があり、この先は登山道となる。
2年前の冬には毎週末朝熊山に登っていたが、今回は久しぶりの登山なので、まずは「ゆっくり、ゆっくり」とペースを抑え気味に歩き始めた。
まずは「一町」
今日は出発が遅かったので、もうすでに9時前であり、太陽が高くなり始めていた。
「二町」 折れた石標が修理されている。
「三町」
「四町」 この辺までは平坦な登山道であるが、これから徐々に山登りらしくなってくる。
スポットライトが・・
「五町」
ここは分岐になっており、左手にも経路を取れる。今回は右手と言うよリも階段状の直進(多分、正規ルート)を進んだ。
「六町」 この石標は登りで確認できず(忘れた)ため、下りで撮影したので、多少位置関係がおかしいかも?
岩を削った階段であるため滑りやすいため、注意しながら登った。
一面を切り出すと、ジャングルのような雰囲気も味わえる。
山は自然の中にあるので、樹木とともに土砂が削り落とされているところがある。谷側は滑落、山側は落石、土砂崩れの危険があるので、低山とはいえ注意が必要だ。危険に高山も低山も関係ないのだから。さらに気を引き締めて登り進めた。
しばらく登ると木々の切れ目から地上(下界)が見えるようになってきた。高度を稼いできた証拠だ。
「七町」 この石標も修復されている。
手すりが切れた右手下方に 小さな滝ができていた。水量が増えているのだろうか?
ここにもスポットライトが!
「八町」
右へ行くと行き止まりであるが、「九、十町の町石」がある。数年前にこちらへ登ったことがあるが、その時でも山道は荒れていた。今日は取り付きも見当たらないほどの荒れた状態で、誰にも踏まれていない様子だった。そのため、ここはスルー。
ベンチが並ぶ斜面を右手へ登ると、
橋が見えてくる。
視界が開け、伊勢市街が一望できる。ただ、今日は霞んでいたので、ソフトフォーカスがかかったような雰囲気であった。
高低差418mを 9分で登っていたのか。やはり文明の利器は速い。
ケーブルカー軌道の下方を見ると、
ケーブルカー軌道の上方を見ると、
のようにかなり荒れているので、海の方を遠望した方が気分がよくなる。
橋を渡りしばらく進むと、左手の斜面が削られ、土砂が落ちていた。
「十一町」
こちらは山側に大木の根があり、登山道へ崩れ落ちないように丸太で支えられていた。誰かがこの作業をしてくれているのだ。(感謝)
「十二町」
右手に視界が開ける。
ここにも誰かが手を入れてくれている。登山道の右端に石積みの簡易水路が作られているのだ。(感謝)
このほかにも谷側に雨水が流れるよう、石が並べられていたり、この登山道を維持してくれる人の影が随所に見える。
「十三町」
「十四町」
そろそろ疲れが見え始めるころ、パワーをもらえる光景が・・・ この光に何かを感じた。さあ、もう一息だ。
遠くの奥には いつ見ても何かが宿っていると思える大樹。
「十五町」
近づくと、
スポットライトが当たり、
根元には、いい形の石が添えられていた。誰か知らないが、とてもセンスのいい石だ。人か動物か、様々な想像が掻き立てられる。「修行中の行者に小鳥が話しかけている?」
「十六町」 斜面にあり、石標自体も傾いている。
少し、平坦になった途中に、「十七町」
また、登り始めて「十八町」 この石標は新しそうだった。よく見ると左手に折れて上部が無い石標らしきものがある。修繕不可能なため、新設されたのだろう。 一番上の文字はサンスクリットだろうか?
「十九町」
「二十町」
「二十一町」 登山道の先に明るい光が見えてきた。
「二十二町」、そう言えば、朝熊登り口のお地蔵さんの前の石標も「二十二町」だった。 何か関連はあるのか? もしかして、二十二町で頂上に到着することを明示していたのだろうか?
到着すると男性がひとり休憩していた。ノコギリと鎌を持っていたのでお話を伺ったところ、「登山道の草を刈ったり、水を流すために石を並べたり・・・」しているとのこと。まさしく、この方が登山道を維持してくれているだ。感謝の言葉を述べ先へ進んだ。
アスファルト舗装路へ出ると、そこは内宮方面から通じる宇治岳道との合流地点である。
ケーブルカーがあった頃にはかなり賑わっていたのだろう。とうふ屋旅館の跡がある。
また、今では信じがたいが、宇治岳道にはバスが走っていたそうだ。!