2010年08月16日(月) 朝熊山登山(朝熊峠~金剛證寺) (車、徒歩)
朝熊山登山(朝熊岳道:朝熊登山口~朝熊峠)に 引き続き、朝熊峠から金剛證寺へ
朝熊峠からアスファルト舗装路を左手へ進むと、
八大龍王の石標が現れる。
その前には、金剛證寺へ向かうルートが書かれており、どちらでも金剛證寺へたどり着けるが距離が異なる。左手は稜線ルート、右手は山腹ルートである。いつも往路は右、復路は左に決めていたので、今日も右ルートで先に金剛證寺へ向かい、その後八大龍王社経由で戻ってくることにした。
よく整備された林道のようなコースを進んだ。
ただし、山側からの湧水が道の中央を流れるような場面に何度も遭遇した。このコースの水はけはあまり良くないようだ。
なぜかお地蔵さんが集まっている。
林道の脇に「従是神宮宮域(これより神宮の宮域)」と彫られた石標があった。いままで何度このルートを歩いたことか。いまだかつてこの石標には気づいていなかった。そう言えば、今までは速さを追求していたので、この平坦なルートは走っていた。やはり、お伊勢さんに関する意識が変わり、周囲を観察しながら歩いていたから発見できたのだ。
とにかく、これは大きな収穫だ。が、一体どこからが宮域となるのだろうか?
考えても解決できないため、疑問を残しながら金剛證寺を目指した。
林道を抜けると、有料道路であるスカイラインが見えてきた。
この斜面の左手には、隙間の無い綺麗な石垣が残っており、この中で何か工事が進められているようだった。
また、スカイラインの道路を挟んで反対側には、丸山道(鳥羽の加茂駅へ)の道標が見えた。
さらに進むと、「伊勢参らば朝熊をかけよ 朝熊かけねば片参宮」の掲示板が無残な状態で放置(廃棄?)されていた。なんと言うことでしょう!
この林道では、一人の男性とすれ違っただけだった。
ここからが金剛證寺だ。
まず、最初は孝源院。
次は、望海院。
建物の右側面に、
参道を進むと
駐車場の前にたどり着く。一般の観光客はここからのスタートとなるため、さきほどの雰囲気は体験できないのでは?
山門には阿吽の金剛力士像が立っているが、いまいち迫力が感じられない。目が着色されており想像力を掻き立てられないためだろうか?
山門から眺めると、箱庭のように見えたが、
山門を抜けると、広い空間が広がっている。右手へ行けば開山堂。
前方には、弘法大師が掘ったとされる連間(つれま)の池に蓮の花が咲き、さらにその先には連珠(れんじゅ)橋が見える。
さんけい道を進むと、
左手には鐘楼がある。
ここで振り返ると、山門の両側に金剛力士像とはことなる像が見られる。これらは観音像?
元に戻り、茶屋の左手奥を見ると、別のお堂(?)が見える。
また、茶屋のそばにあるこの石は何だろう?
突き当たりには地蔵堂がある。
また、本堂へ上る階段下には佛足跡の石がある。
石段を上がると正面に本堂摩尼殿がある。
本堂の右前面には帚目が綺麗な残されている。
伊勢地方では葬儀の後、当山の奥の院に卒塔婆をたてる「岳参り(たけまいり)」が習俗となっている。この卒塔婆は角材のような大きなもので、一見の価値がある。今回は時間の関係で、奥の院へは向かわなかった。
この岳参りもどうやら家族によって違うようですね。
うちの親戚はすべて葬儀後、奥の院へ塔婆を建てにのぼりましたが、友人に聞いたところ、そんな習慣は聞いたことがない、初めてだというのです。
同じ小学校に通っていた友人の話なので、家族縁戚の構成からか、宗派的なものなのか・・・。
そうは離れていないところに住んでいるんですけどね・・・。
身近に「やっぱりそれでも違いがあるんだ」と思うと伊勢市も奥が深いなと思いますね。
やはり勉強する事はおおいものです。地元ながら。
そうですね。
私は
> 伊勢地方では葬儀の後、当山の奥の院に卒塔婆をたてる
> 「岳参り(たけまいり)」が習俗となっている。
と書いてしまいましたが、実際にはすべての家に当てはまらないと思います。ちなみに、私の家では「岳参り」はしていません。
ただ、神道でも仏教でも宗教に関わらずお参りされると聞いたことがあります。でも、キリスト教やその他の宗教の方は???
では、また、