2010年08月22日(日) 早朝参拝(内宮) (車)
内宮に朝4時から参拝できるのは8月までである。8月1日には朔日参りでチャレンジしたが、寝坊してしまった。あれから3週間、日の出も遅くなったので真っ暗な宮域を体験できるはずだ。ということで、早朝参拝を決行した。
朝3時半に起床し、車で浦田駐車場まで急いだ。おはらい町通りを歩きたかったのであえて遠い駐車場に駐めた。まだ陽は上っていないし、今日は星も出ていなかった。そのため、空は真っ暗だった。
浦田交差点近くの交番の裏手に駐車し、浦田交差点を渡り、おはらい町通りへ向かった。朔日とは異なり、車も少なければ、人も少ない。
おはらい町通りですれ違ったのは、自転車の男性1人、警備の男性1人、通勤者らしい男性2人の計4人であった。
赤福本店の店内には電灯が点いていた。通常は朝5時から営業すると聞いているが、もう準備しているのだろう。この他の店舗では活動の気配は感じられない。赤福は朔日だけでなく、平常から営業努力しているのか。
赤福本店以外はまだまだ眠っている様子だった。
宇治橋前に到着した頃には、4時は過ぎていた。しかし、早朝参拝には十分な雰囲気であった。
宇治橋を渡ると夜明けを呼び寄せようとする神鶏の鳴き声が聞こえた。が、まだまだ暗い。
宇治橋を渡り、神苑の前まで来ると、灯篭の明かりのみとなる。視覚よりも聴覚がさえるように感じた。玉砂利を踏みしめる音がやけに大きく感じる。まわりに参拝者はなく、私がこの空間を独占していた。なんと贅沢な体験なんだろう。これだけでも早朝参拝のありがたさを感じた。
手水舎の周囲で撮影していると、一人の男性が現れ、急ぎ足で参道へ消えて行った。
手水舎の前にある斎館には明かりが灯っていた。
御手洗場の前に照明が点いているが、これが無ければ真っ暗だ。闇。
参道へ戻り正宮へ向かおうとすると、再び暗闇に包まれた。玉砂利を踏む足音は聞こえても、目の前の人が見えなくなる。
神楽殿の前辺りで少し空が白んで来た。が、まだまだ暗く。撮影するには充分な光量が無い。ただ、早朝は数十秒の違いで空の様子は一変する。
参道を正宮の前まで進むと、空はさらに白んだ。
空は明るくなり始めたが、社叢に囲われた参道はまだ暗い状態であり、石段下からの撮影では石段はまったく写らなかった。
石段を上がり御正宮に参拝しようとすると、後方に衛士が現れた。私がカメラの三脚を抱えていたからなのか? すべての参拝客に対しての行動なのだろうか? ご苦労様。
衛士に見守られながら参拝した。
参道を戻る途中、かなり明るくなってきたが、今日は曇っているためにどんよりとした光が落ちていた。
先ほどは御手洗場から瀧祭神も見えず、風日祈宮への参道も見えないほどに真っ暗だったので、今日は風日祈宮には参拝できないと思っていた。ここまで戻ってくると充分に明るくなっていたので、神札授与所の前を左折し、風日祈宮へ向かった。
工事中の風日祈宮橋は片側の欄干が取り付けられているようだ。
ここに天からのスポットライトが当たっていた。
早朝だけに照明が当てられており、昼間とは微妙に表情が異なる。
せっかくなので、瀧祭神にも参拝するため、参道を戻っていると、左手に明るい場所が見えた。川原祓所だ。ここにも大きなスポットライトが当たっているようだった。
瀧祭神。
第一鳥居内祓所。
瀧祭神に参拝した後、神札授与所まで戻り、帰りの参道を進んだ。
参集殿の前にはたくさんの神鶏が集まっていた。私がカメラを構えてジッとしていると何故かカメラへ近づいて来た。
もうすでに、照明はいらない程度に明るくなったが、早朝参拝の名残りのように点いている灯火には趣きがある。
ここまで来ると後は宇治橋を残すまでとなったが、終えてしまうのがもったいない気分になったので、しばらく宇治橋の手前を散策した。
宇治橋の橋桁を見ていると屋根に気づいたので、帰宅後に ウィキペディア 宇治橋(伊勢市) で調べた。下部の構造は次のように説明されている。梁の切り口が風雨で劣化しにくいように小屋根等で保護しているのだ。
下部構造
1969年(昭和44年)の架け替えの際にコンクリートの基礎が初めて採用された。景観に配慮して基礎表面は石畳で覆われている。
橋脚は橋脚杭3本・水貫4本・筋交貫4本と梁1本から構成されており、梁の上に載せた7本の台持木に橋桁が渡されている。橋脚13組が橋体を支える14径間連続木桁橋の構造である。また、梁の両木口には小屋根と梁鼻隠が取付られ、風雨による劣化を防いでいる。
宇治橋を渡ろうとしてふと右下を見ると、黒いものが見えた。何かと思い、撮影したのがこれである。進入防止のための柵だろうが、どちらからの進入を防ごうとしているのだろうか? 川側から動物が? 宮域側から人間が?
また、この玉砂利はどのようにしてここに巻かれたのだろうか? これも気になる!
疑問を残しながらも、早朝参拝の初体験に喜びを感じながら宇治橋を渡った。
この時間(6時前)になると参拝客が増えてきた。
ただし、おはらい町通りに人はいなかった。
おはらい町通りを歩いていると五十鈴川の方から大声が聞こえてきた。何をやっているのか非常に興味を覚え、すぐ近くにあった細い路地を急いだ。おぉ、あれに見えるは禊か。初めて見る光景であった。水に入るまでも、舟を漕ぐような動作を繰り返し、かなり時間がかかった。
先導者(指導者)?の合図で男性から女性の順で川へ入り、
肩が水に浸かる体勢になった。
「大祓」の掛け声で祝詞(?)の奏上が始まり、これが終わると「明治天皇・・」の掛け声が・・・
その後、川から上がってきた。この季節だから見ていても心地よさを感じるが、これが冬だったらと思うと厳しさを感じずにはいられない。神に仕えるのも大変なことだ。
禊を初めて見学できたことは、早朝参拝のご褒美であった。
五十鈴川をあとにして、
おはらい町通りへ戻ると、赤福本店が店舗を開け、若い女性が湯釜のお湯を移していた。やはり朝の5時から営業を開始しているのだろう。
ただし、おかげ横丁に人影はない。
これで、早朝参拝は終了。
このあとは、恒例の高向大社造営状況の確認へ走った。